ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

厄除けしなくちゃ

2008-04-09 | family

2月に中国旅行をして、戻ってきたかと思いきや、一週間も待たずして次は中・南米へと
旅立った息子。3月下旬から新たな職場での仕事が始まる
ので、今しかない、と、精一杯
自由を満喫したかったのだろう。格安切符で最初に向かった先はパナマ。そこからコスタリカへ
バスで行き、又、バスでパナマへ戻り、次は去年訪れたペルーの首都リマへ。そこではお馴染み
の宿へ泊まり、時間を調節し、今回の旅行での主たる目的地であるボリヴィアのウユニという、
塩湖で名高い町にバスで向かう。名高い、とはあとで知ったことでその時点では初耳だった。
おっと、ココにたどり着くには首都ラパスからバスで行くしかないので、ラパスで一、二泊した
らしい。らしい、というのは、親に詳しいスケジュールを伝えていなかったし、旅行社から送られて
来たスケジュール表は手渡されたが、それには航空機の予約状況しか書かれていなかった。

ラパスでは昨年、サンパウロからペルーへ向かう時の飛行機の乗り継ぎ時だけでも頭が割れん
ばかりに痛くなり、飛行機の同行者に励まされながらやっとの思いで難を凌いだと思ったのに、
よくも再度、行く気になったもんだ。今回はどうも予防の薬を持ち歩いていたようだ。
なにせラパス(La Paz とは平和という意味)もウユニも標高3700メートルにある都市。
富士山の頂上だと思えば想像できると思う。南半球は暑い時期のはずでも高地には低地
のような夏はないんだろう。

十数日ほど過ぎた頃、コスタリカから投函したとみられる、パナマの絵葉書が我が家に届いた。
今の所、危ない目にも遭わず順調に旅行をしています、とそこに書かれていたのだが、
それから数日後の朝、息子から突然電話があった。ちょっと様子が変だ・・・と感じていたら、
二言目には、「今、ウユニの病院に入院している」、と言うではないか!
で、どうなの、大丈夫なの?いったいどうなっちゃったの?の返事が、
「よくわからないけど、沢山の人がお見舞いに来て・・・くれて・・いる ・・・」  
えっ、え~~どういうこと?どこが悪いの?」の返事は、
「頭全体が痛くて、全身が重くてだるくて調子悪い、、」とのこと。
一度切れた電話だがその後、すぐに2回続けて同じ内容の電話がはいり、何なのか様子が
掴めないでいた所、4回目の電話は、その病院(診療所の規模らしい)の、英語を話せる
薬剤師のような方からだった。出勤前の娘に電話を代わり、英語での会話を頼んだ所、
どうも高山病にかかって身動きとれず、歩くことが出来ず、病院としてもどうして良いのやら
わからないようで、ラパスの日本大使館と海外旅行傷害保険の加入会社に連絡してほしい
と言われた。まずは大使館に連絡。休日だったので、休・祭日用の緊急用電話につながり、
事情を話し、保険会社の連絡先なども知らせ、大使館から保険会社とウユニの病院に
連絡をとってもらう。高山病は普通なら1~2日すれば慣れてくるが、息子の場合は数日経
っても治らず緊急を要する、との結論になり24時間後には即、低地の都市サンタクルス市に、
チャーターしたセスナ機で搬送、という事態に展開。セスナ機はサンタクルスから脳内科の
医師を乗せてウユニに向かい、息子を乗せて又、サンタクルスへ引き返した。
たまたま同市には知人がいて、あらゆる手段を尽くして下さったし、入院中の数日間も
毎日病院に行ってくださり、医者の説明を受け、その内容を電話やメールで連絡下さった。
大使館からも事あるごとに状況説明の電話があったし、保険会社も帰国便の時間変更の
件まで連絡下さり、その手回しの良さに、何にもまして大きな安心感をもらった。
大使館と保険会社と病院の連携プレーの見事さは、現地の知人でさえ、いたく感激した
とのことだ。。
高山病では重い場合は死に至るそうだ。脳や肺に水が溜まったりもするそうで、今回は
肺に水が溜まっていたとのこと。簡単な引き算をさせたら少しおぼつかなかったとのことで、
脳への影響も拭いきれなかったため、
ナース同伴での帰国となった。

帰国日が判った時、マイカーはまだ修理中だったので、行きはリムジン、帰りはタクシーにする
しかないか、と思っていたが、帰国の前日に運良くトヨタから電話があったが、明日の夕方に
届けてくれると言う。明日の予定を話し、出来れば朝いちで届けてほしい旨伝えたら 修理
工場に連絡してみるとの返事。結局午前中に届けてくれることになり、滑り込みセーフで
一件落着となった。

息子の様子を見るまでは頭がおかしくなっていないかが最も心配だった。が、心配するばかり
では体が持たないので、心配することをやめて祈ることにした。
心配事が同時に複数並行して起こっていたので気持ちを思い切り切り替えられたし、心配
することと祈ることの大きな大きな違いをそこで発見も出来た。

その後、J大学病院で診察を受け、太鼓判を押され、帰国6日後に慌しくも新転地へ赴く。

ウユニの写真をweb上で見つけた。その神秘的なこの世のものとは思えない未知の自然界
の美しい光景を見て、塩湖の魅力にとり付かれた子の気持ちに同感した。でも命にはかえ
られないっす。ブログをよくも何度も賑わすことしてくれたなぁ~!(いえいえ貴重なネタに感謝でござる。)

又、海外旅行傷害保険に子が申し込んでいた事が医療面での安心に繋がったこと。
これってほんとうに大きかった。お一人さまのための医者付きのセスナ機ですよ。入院費用
から帰りの指定便(変更出来ない激安チケットですからね)の変更費用、付き添いナース
の往復費用などなどですよ。もう気が遠くなりそう!
ラパスのホテルには、ウユニの帰りに又立ち寄るつもりだったので、荷物を預けていたが、それを
大使館の方がサンタクルスまで送ってくれたし、帰りの便は体に無理のないコースをと、選んで
くれた。最悪の事態が最高の援助を受けて、終り良ければ全て良しとなったこと。すごいな。

今回のことを含め、私自身にではなくて、私の周りに色々なことが起りすぎているので毎日の
ように娘に言われている。「ママ、厄払いに行こうよ!」「ママ、もうお払いに行って来た?」と。

えっ、今年の厄年って?何年生まれなんだろう?まさかぁ、関係ないよね!
落ち込むことが多かった3月を引きずっての4月となったが、ぼちぼち過去分も挟みながら、
マイペースでやっていくっきゃない。手短かに・・が、又長くなって困ったなぁ。
画像は全て息子の撮ってきたもの。このあとに意識不明となって・・・気が付いたときは
誰かに支えられて小便していた、と。