今日未明の地震にはびっくりしましたね。オロオロしていたら娘も眠い目をこすりながら
起きてきました。玄関の扉を開け,様子を見ていましたが、ゆらゆらと気持ち悪くなる程、
いつまでも揺れているので逃げ出す時のことを一瞬考えました。
今年はまだ防災用リュックのチェックをしていないことに気付きましたし、避難する時に
見っともなくない服に着替えるべきか、現金や預金通帳などはどうしようか、など、幾つ
もの?が頭の中をよぎったのですが、揺れが収まったので寝ることにしました。
我が家の防災対策、真剣に見直さなくちゃ、と思った夜でしたが全く起きてこないパパは
どうなるんでしょうかね?
息子からは今朝早く、大袈裟にも安否を気遣っての電話がありました。おや珍しいこと・・
と思いましたが上司から言われてのことだそうで、納得です。
又、6日にミャンマーで発生したサイクロンでは2万2千人以上が死亡したというし、自然
災害はいつどこで起こるか判らないので、日頃の心がけが肝心だと、改めて感じた次第。
2日に起きたウユニ塩湖での衝突事故のニュースでは、3月に帰ってきたばかりの息子は
驚きを隠せませんでした。あのように予備のガソリンをRV車の屋根に積んで走っている
このような写真を見せてもらったばかりだったのですもの。右も左もどこがどこだか判らなく
なるくらい、いちめん真っ白な塩湖の上は、現地の案内人がいないと走れないそうです。
世の中は常に何かが起こっては過ぎ、又起こっては過ぎて行きます。
え~と、GWの益子の続きを書く所でした。最初から長くなり、もう・・ご免なさい。
益子参考館とは、濱田庄司が長い時間をかけてあちこちから集めた
陶磁器ほか工芸品の数々を展示公開しているところですが、広大な
この場所に地方から移築された建物が展示室となっており、展示物
及び建物の両方とも見るに楽しいところなんです。
濱田氏のコレクションは、ただ気に入ったのを集めたというより、
「自分の作品が負けた、と感じた時にその記念として購入した品々」
なので、身近に置いて眼で楽しみ、又、制作の参考にしたりと、
刺激剤にもなっていたそうです。他の工芸家や一般の愛好家の方々にも、
自分と同じように楽しんでもらい、参考にしてくれたら、との思いが参考館
設立の願いに込められています。
★益子参考館の玄関は県内から移築 ★3号館は2号館共に大谷石の石蔵で、隣町の真岡市から移築
★中側から門を見た所 ★移築された濱田庄司館の長屋門の両側も展示室です
★濱田庄司館の門jをくぐると、彼のもっともお気に入りの建物、4号館があります
★四号館の前には巨大な釜が!中にはメダカが泳いでいました ★この素敵なランプシェードは濱田氏のデザインによるもの
★建物の左は長くて広い渡り廊下が気持ちよくのびており、右側は洋風の作りでカフェが出来るようになっていました
★山のように積んである薪。この建物が手回しろくろの並んでいる工房。裏手には名品の数々を焼き上げた巨大な登り釜があります
東京に生を受け、ここ益子に移住した時が1924年。
1894年生まれの濱田庄司氏が30才の頃だったのですね。
濱田氏は自身の陶芸家としての歩みを、
「京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」
と振り返っています。バーナード・リーチと共に英国でスタートした作家への道。
京都で共に学んだ河井寛次郎とは終生の友でした。
緑の中の広大な敷地。気に入った建物を一つずつ移築し、好きな品々に囲まれての生活。
此処を見て娘は、この人お金持ちだったの?と聞いていましたが、それなりの順序を踏んで
生活してきたからこそ、なのですね。きっと。芸術家としての優れた眼力。柔軟な感性。
人や場所とのよき出逢い。経済的観念などなど。そのような総合力が富を生むのでしょうか。
先月は駒場の日本民藝館を訪れた時、たまたま旧柳宗悦邸の公開日だったので見てきました。
私が「民芸」を初めて意識した何十年前かには京都を訪れた時、河井寛次郎記念館を
真っ先に訪れたものです。お家リフォームの参考に、なんて決してならないでしょうけど、
あぁ、こういう風にしたい!こんな空気が流れている家がいい、と、思って幾年月・・・・。
中途半端な希望は実現性ゼロということで御座いますね。
閉館の時間になり、受付にいた方にご挨拶してひと言二言お話をしましたが、
建物を維持する大変さを洩らしていました。ず~っと無くなってほしくないものを
守るには巨額の維持費がかかるのですね。良いものは、それでも残してほしいです!
それが国の文化となり財産になっていくのですもの。
もう一箇所寄りたかった陶芸メッセ・益子は時間がなくて次回に持ち越しです。
パーキングまで行く道で見つけた民芸屋ではとうとう小さなお皿を買ってしまいました。
GW中は全品20%引き。でも本当にほしいものには全く手が出ませ~ん!
レジ横に小テーブルとイスが置いてあり、家族全員にコーヒーを出して下さったんですよ。
テーブル上にはイチゴやお菓子が・・!こういうサービスって嬉しいですねぇ。
又絶対に寄りたくなりますよ。私、3点で二千円しか払わなかったのに!
そう言うわけで帰りにお茶を、と思っていたレストランには行かず仕舞い。残念だったなぁ。
帰りは笠間~友部、そして常磐自動車道で、行きより一時間早く帰宅できました。
こうして4人揃っての久々のドライブは、すでに思い出の中の一ページとなってしまいましたと。
この花の名を尋ねてきたのに忘れちゃいました~!
ウユニ塩湖のニュースを見たときすぐに息子さんが浮かびました・・・
一寸先は闇と言いますがいつ何が起こるか分からないですね~
益子参考館の目の覚めるような若葉がきれい!
色々写真を見ていたら行ってみたくなりました~
益子はいつかゆっくり訪れてみたいです。
biancaさんブログでウユニ塩湖の名前を知ったばかりでのニュースでほんとうに驚きました。
人生何があるかわからないは同感です。
なにもない今日の幸せを感じます。
地方に行って緑に囲まれた立派なお屋敷を見ると、住んでみたいな、こんなうちでは子供も感性豊かに育つだろうと、羨ましく思う反面、しきたりにがんじがらめで大変、掃除も大変なんて勝手な想像をしています。
花は熊谷草(クマガイソウ)では?
益子・・・いい所ですねぇ 瀬戸物市には何度か行くお話が出ては未だ実現できていません。チャンスを見つけて行かなくっちゃぁ~♪
おおでまりも立派だし、あつもり草かな?と思ったお花もかぐやひめさんがおっしゃる通りくまがい草だったんですね
珍しいお花ですね
そうなると・・玄関を広く、そこに置きたい・・
なんて、想像力をかきたてられる「益子日帰り旅」
大きくなった子供達と、揃っていかれるなんて、素晴らしいですね。
14才の娘ですら、「散歩」にも付いて来なくなりましたよ・・・
30分のお買い物は、良しとしましょう~
(おおてまり♪きれいですね)
益子にも何回足を運んだことか・・・
濱田庄司さんのお家を(すでに参考館として開館されていたか記憶が不明)覗いていると、先生がひとりで縁側にいらっしゃって、入りなさいと手招きしてくださるので恐る恐る近くに伺わせていただくと、実に気さくにいろいろお話してくださって、夢のような時間を過ごしました。
好きというだけでロクに知識もない私達を相手に優しい方だなぁと感激した日のことが、biancaさんのブログを拝見して蘇ってきました。
また行きたくなりました!
今の様子が分かり感謝です。
新聞記事で事故を知った時は本当に驚きましたが、もし息子が
行かなければ、「知らないところでの交通事故」で終わっていましたね。
こんな所からも世間を知る大切さを感じました。
益子は小さな町ですが、春、秋と陶器市がありますよ。
かぐやひめさん
クマガイソウ!そうです。そう言っていましたぁ。
忘れっぽいのでメモしようと思いながらそれも忘れちゃって・・。
一見可愛く、よく見ると気持ち悪い。なのに又見たくなる花でした。
ウユニと言う名前はなかなか覚えられなかったのですが、
息子のせいでその名を連発せざるを得ずしっかり覚えた所で、
今回の事故でしたから、耳を疑ってしまいました。
今を大切に過ごしたいですね。
ウ~ン、そう考えると立派なお屋敷は、遊びに行くだけでいいかしら。
住めたところでお化け屋敷化しちゃいそう!
nettonさん
家族旅行も終盤の気が・・nettonさんどこのように、大家族で
孫も連れてお出かけ出来る日が来るのかなぁ。来ないかなぁ。
ところで、人形町で開かれているのは瀬戸物市でしたよね。
益子は陶器市。土臭いんですよね。九谷や鍋島などには
手が出なくても笠間や益子は庶民の普段使いのやきものですから
有名作家のでなければ求めやすいです。民芸ですものね。
お花の名前ですが、お教えいただき有難うございます。
皆さんすごく良くご存じで心強いです。アツモリソウも
クマガイソウで調べると似ている花として出ていましたね。
テレーサさん
家族旅行もいつまで続くか、と思うと親も我慢強くなりますし、
一日だけのドライブでも大切に過ごしたいと思ってしまう此の頃です。
気は若いつもりでも、年とってきたって事ですね、親が。
大きな壷にお花をド~ンと、って私も思いますよ。
好きな陶器とお花と木と布とに囲まれた素敵なインテリアを
考えるばかりで、その前にやるべきこと(整理する・捨てる)が
終わりましぇ~ん
カメリアさん
うゎ、そんなに素晴らしい思い出をお持ちだったのですね。
そういうエピソード・・もっともっとお聞きたいです。
濱田先生がつい手招きしたくなるような女性だった(+現在進行形)んですよ、カメリアさんは。きっとそうだぁ!
私も20代の一時期に電気ロクロで作陶していましたが、
壊したくなるものばかりが増え続け、やめました。
形成が上手く行っても釉薬で失敗したり、と、難しかったですが、土の感触は気持ちいい!
今、ロクロを回したら土がどこかにすっ飛んじゃうかもです。