自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

憲法違反の「安保法制案」に賛成した議員の被選挙権剥奪の国民運動を開始しよう!

2015-07-15 20:55:15 | 憲法を考える
 戦後70年、戦争放棄の憲法を守る義務がある政治家が、憲法学者の大多数が憲法違反だとしている「集団的自衛権」の行使 (2)を憲法違反ではないと閣議決定をして、国民の多くが反対する「安保法制案」2015年7月15日 (水) 平和安全特別委員会強行採決し、衆議院本会議で議決しようとしています。

 これは戦争を止められなかった戦前の日本の体質や構造と同じで、敗戦後に戦争に関わった者は公職追放されたように、憲法違反の法律に関わった政治家を含む公務員は公職追放の罪に相当する戦後最大の犯罪です。「安保法制案」の採決は記名投票で行うべきです。そして、もし強行採決されたとしたら、刑の執行猶予のように法律の施行猶予を求めねばならず、憲法違反の罪で賛成議員の被選挙権の剥奪を求める国民運動を始めなければなりません。また、これと並行して18歳以上の国民は民主主義憲法を学ぶ義務があります。

 安倍・麻生リベンジ内閣は国民主権ではなく国民支配の政治を始めています。国家主権の誇りをもってアメリカの占領政策に反抗することもなく、沖縄の基地反対運動に国民として寄り添うこともなく、自然エネルギーの利用で地域の活性化に寄り添うこともなく、原発廃棄物の処理原発稼働反対の住民 (2)の声に寄り添うこともなく、原発の汚染はコントロールされていると世界に平気で嘘を言ってオリンピックを招致し、選手と観客の健康に寄り添うこともなく、競技は猛暑の真夏に開催する予定を作成し、2520億でも工事の目処が立たない新国立競技場の建設を決定し、オリンピックのアスリートたちさえにも設備や経費の点で問題ありと反対され、環境の破壊と高額な維持費で将来の利用さえできないことが予想されています。

 なお、1938年7月15日は東京五輪返上を閣議決定した日であり、1960年7月15日は安倍首相の尊敬する祖父岸信介氏の内閣総辞職の日でもあるそうです。また、日本人は戦時中は「撤退」を「転進」、「全滅」を「玉砕」と言い、戦後は「敗戦」を「終戦」、「占領軍」を「進駐軍」と本質から目をそらす言葉を使う体質があるようですが、1789年7月14日のフランス革命記念日も日本では革命の言葉を使わないで「パリ祭」と言い、明治維新の記念日はないという指摘もあります。私も戦争=明治政府、平和=徳川幕府という視点を提案しましたが、明治維新についてもっと勉強したいと思いました。

 2015年7月15日の平和安全特別委員会における「強行採決」から話が飛んでしまいましたが、原発事故を重要視せず国民主権や国家主権を大切にしない安倍内閣の不信任から、2020年オリンピックも返上した方が良いという国民の声が聞こえて来るような気がします。

追加:
2015年7月16日、「安保法制案」は衆議院で与党議員だけの出席で賛成多数とされ参議院に送られることになった。衆議院本会議において遠山清彦(公明党)議員は9分の討論の終わりに、「最後に一言申し上げます」と、次の発言をしている。「憲法のもとに国民の生命、自由および幸福追求の権利を守る責任は政府だけにある訳ではありません。議会制民主主義の日本においては国会もその責任を共有しているのであります。野党の皆様の中には、この自覚と基本的認識すら欠如している方がおられると思えて残念でなりません。日本の安全保障を確保し、そして国際平和のための外交的努力においては、与党、野党を超えて私たち国会議員全員が自覚と責任を持つべきであると申し上げ、私の討論を終わります。」

「集団的自衛権は憲法違反である」という問題と「日本の安全保障のあり方」を完全に混同した考え方、討論であり、そのことが国民の理解を得られない原因となっていることを意識しているのかどうか知らないが、これは意図的な扇動に見える。

私は自衛隊は「国際緊急援助隊」とし、銃機ではなく重機で国民のためにも国際貢献のためにも働いて欲しいと思っている。そのことが戦争放棄した平和憲法に相応しい自衛隊であり、国民の生命、自由および幸福追求の権利を守る自衛隊であると考えている。今国会に提案された「安保法制案」が憲法違反であることを野党は追求しているのであるし、憲法を守るのは国民であり、国会でもある。もしこの意見が与党の代表意見なら、それなら憲法改正を国民に問いなさいと言いたい。

本会議に残った与党議員のうち2人は座り反対したそうだが、人形のように賛成起立している与党議員は誠実ではあっても問題の本質が見えないのか、国民に不誠実であっても党に忠実に従っているのか? いずれにしても与党議員の著しい人格の劣化が認められる。

戦後、我が国が平和に高度経済成長できたのは日米同盟のお陰ではなく、憲法が軍事力の強化を認めさせなかったからである。朝鮮戦争以来、自衛隊の創設からイラクへのPKO派遣に至るまでアメリカの一部軍拡派の圧力に抵抗して、戦争放棄の憲法の解釈をガラス細工のように積み上げてきたのが歴代の内閣であり、それが憲法の安定性を支えてきた。安倍内閣が憲法改正ではなく解釈改憲するなら憲法の存在意義がなくなり、「国民主権」から「国民支配」への政治の暴走が始まる。憲法を変えることができるのは国民であり、国会の多数決ではない。今国会においても与党議員の良識と誇りが、この憲法違反の法律を廃案にしてくれると信じたい。しかし、今国会で承認されてしまったら、次回の国会議員の選挙に際しては、野党再編をしないまでも、それぞれの党の独立性を認めながら「安保法制」の廃案だけは一致して連帯を表明して闘って国民に投票への希望を与えていただきたい。それこそ現在の憲法を守る国民投票になるから。

冷戦終結以来、社会主義から新自由主義が闊歩し、小さな国民の命、自由および幸福追求の権利を奪っている。与党を支援されている方々にも、宮崎駿監督の外国記者との会見でじっくり考えていただきたい。

本日は心配していた台風が東側の倉敷に再上陸し、暴風圏も無くなったので信じられなくらい静かな朝を迎えた。被災地のことを心配してかテレビはどの局も台風の特別番組を組んでいたが、一局だけ人気の通常番組に切り替えていた。日本人の優しが横並びの風習を生む面もあるのだろうが、「安保法制」は憲法改正か否かの問題であることだけは明確に解説してもらいたいと思う。

初稿 2015年7月15日 2015年7月31日 更新