自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

4月20日の口蹄疫発生1年を振り返るフォーラム

2011-04-10 21:21:54 | 牛豚と鬼

この一年は宮崎の口蹄疫の惨事に始まり、東日本大震災、福島原発災害と、日本沈没かと思われるほど大変な状況が続いています。戦後の焼け野原から復興できたのは、「国破れて山河あり」と山河が残り、国民の底力があったからですが、山河まで失った農業や漁業はどこで生きていけばいいのでしょうか。

口蹄疫も、原発も、科学的事実を説明せず、緊急時対策を準備していなかった学者、専門家に大きな責任があります。口蹄疫は殺処分を前提にしか説明しないし、原発は安全を前提にしか説明しませんが、「殺処分」の対極には「生かす」ことがあり、「安全」の対極には「危険」があります。

原発の危険時の対応として、止める、冷やす、閉じこめるの3つが列挙されていますが、学者、専門家は、冷やすことも、閉じこめることも出来ない場合に、命をどう守り、自然をどう取り戻すのか想定していなかったのでしょうか。危険とはそこまで想定することであると知ったとき、原発反対運動の切実な訴えを自分のこととして考えなかった愚かさを恥じています。そこまで想定すれば、原発は決して認めることは出来ないと、誰もが思うのではないでしょうか。それとも自分には人災は及ばないと思うのでしょうか。

口蹄疫の惨事では牛と豚を失っても、山河は残りました。しかし、牛と豚を殺処分することしか考えなかった学者、専門家は、「殺処分」の対極として「生かす」ことをどうして考えないのでしょうか。ワクチン接種して殺処分すること、健康な家畜を殺処分することを知ったとき、何故だ!と自分のことのようにじっとしていられなくなりました。口蹄疫の被害は殺処分にありますから、被害を最小にするためには、「生かす」ための対策を考えるのは当然だと思います。しかし、殺すための対策として埋却地と補償金を準備すれば良いという横暴な考えが、ワクチン接種や遺伝子検査を否定し、初動を遅らせました。「生かす」ための対策が英国を含むEUで準備されていることを知ったとき、誰もが何故その方法を採用しないのかと思うでしょう。それとも自分には人災は及ばないと思うのでしょうか。

口蹄疫対策として「殺処分」より「生かす」ことを考える必要があります。
4月20日に宮崎県川南町で、「4月20日の口蹄疫発生1年を振り返るフォーラム」(案内, pdf) が開催されますので、「口蹄疫の被害最小化対策を考える」(講演要旨, pdf)と題して講演 (図表1, pdf図表2, pdf図表3, pdf 提言,pdf ) し、「生かす」ための口蹄疫対策について、皆さんと考えてみたいと思います。

2011.4.10 開始 2011.4.14 更新  2011.4.17 更新中