じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

内野さんメモ

9/24 読売新聞夕刊(東京本社版)インタビュー掲載
9/26 週刊文春CINEMA!2024秋号(文春ムック)
9/27 男の隠れ家11月号(三栄)
9/28 LDK11月号(晋遊舎)
9/30 13:05~ NHKラジオ第一「まんまる」出演
10/3 八犬伝ジャパンプレミア
   映画『八犬伝』オフィシャルBOOK(KADOKAWA)
10/7 週刊ポスト10/18・25号(小学館)
10/11 8:15~ NHK総合「あさイチ プレミアムトーク」出演
10/13 7:30~10:25 日本テレビ「シューイチ」出演

10/14~26 芭蕉通夜舟 東京公演
 ≪地方公演≫
  10/29 群馬 11/2 宮城 11/12 岩手 11/16 兵庫 11/17 丹波篠山 11/23~24 名古屋 11/30 大阪

10/16 モノマガジン11/2号(ワールド・フォト・プレス)
    DIME12月号(小学館)
10/19 Cut11月号(ロッキングオン)
10/21 FLIX12月号(ビジネス社)
10/24 STEPPIN' OUT! WINTER 2024(幻冬舎)
10/25  映画「八犬伝」公開
10/26 八犬伝 公開記念舞台挨拶(全国中継あり)
11/22 映画「アングリースクワッド」公開

禁断の裸体 5回目

2015-04-24 23:57:39 | 観劇記
4月23日マチネの観劇記です。注ネタバレ!

懲りずに5回目のブラジル 今回は6列目センターで近すぎず遠すぎずでとても観やすいお席 若干上手寄り だったので1幕冒頭のベッドに寝転がるシーンがよ~~く見えました もうぅ~~美しすぎる身体!あれは芸術に域に達しているわ そしてジェニーに触れるエルクラーノの手がこれまた……特に背中に回した手はホント堪らないわ どんだけ好きなんだかと自分でも呆れる程ですが(笑)ほっっんと好きなんですわ、内野さんの手

公演も終盤に入ってきて滑らかになってきた印象。間合いや振りのタイミングが少し変わった???物足りなくなるほど←褒めてます!自然なんですよね~~表情の変わり方といい会話のテンポといい普通の会話を聞いているような……決して最初の頃が悪かったというわけではないし、ピンポイントでもう少し強調してもいいのかな?と思う部分もないわけではないのですが、観ていて楽に流れていく感じがしました。ただ、、、何かと“激しい”舞台なので初日の頃から何か起きるだろうと期待心配していたハプニング 今回は続きましたね~~ジェニーの部屋でエルクラーノが指輪を外して置くところで指輪がコロコロッとテーブルの下に 慌てて探しに行っていましたが転がりすぎていたらどうなってただろう?なーんて あと、エルクラーノがパンツを履く時に仕込みがズレそうになったのか履き方が怪しかったり(爆!)パトリーシオがジェニーの部屋で躓きそうになったり……

今回もエルクラーノのダメンズっぷりは半端なく アレ、、、駄々っ子ですね~~しかも大人で知恵がついている+自分の頭の枠組み程度ではあるけど“正しく”生きようとしているだけ厄介という……うわ~~最悪という感じですが、そのダメダメっぷりにキュンキュンしている自分も同等……か…な ただ、ある意味この作品の中で一番まとも???まぁその「まとも」の価値判断や基準に問いを投げかけている作品なので意味をなさない見方なのかもしれませんが、一番観る側に近い……ん、近いのか???(笑)自分では物凄~~く真面目に考えているのに全てが空回り、一生懸命考えた末に出た言動に触れる度に「・・・バカ」と頭を抱えてしまうんですよね~~ジェニーに対して「憐れんでいる」とか「人間だから」とか随分とまぁ失礼なことを 更に売春街で逞しく生きてきたジェニーに「俺たち出逢って日がまだ浅い」とか……今時の中学生だってそんなこをは言わないわ でもウォンウォン床に這いつくばって泣く姿やジェニーの背中や腰にしがみつくところは……嫌いじゃない、っていうか好きかも♪

1幕冒頭でエルクラーノが妻の後を追って自殺しようと銃口を咥える。その瞬間にハッとした表情になるのですが←この表情と空気感がこれまたイイのよ 2幕でその真相が明かされるのですが“あらぬ想像”をしてしまったという……。そこから全てが始まったというか、抑圧していただけで元からその種の欲はあったんだと思いますが、それこそ“人間だから”なのよね~~崇高な目的ではなく快楽のための行為があっても悪いことではない。寧ろ極めて本能的/人間的で自然なことだし、劇中では異常な価値観と見なされている特定の性的嗜好の人の行為はそういう意味ではとても人間らしいと言える。まぁセルジーニョの場合は強烈な体験によって「目覚めちゃったのね」という感じでもあるのですが、抗えない人間の性に対する挑戦なのかなぁと思ってみたり

ずっと不思議だったのが2幕 ジェニーが突然エルクラーノとセルジーニョの為に生きると言い出したところ。「私は憐れみを感じた時に聖女になるの」だったかな~~そういうセリフをジェニーが言うのですが何じゃこりゃ みたいな…… でも今回ふと思ったのがジェニーの憐れみとエルクラーノが1幕で言っていた憐れみは実は似ているのではないかと。。。エルクラーノの憐れみはごくごく普通の 宗教的な憐れみなんだろうけどジェニーの場合は明後日どころか明々後日の方向に目覚めた憐れみのような感じ 普通なら神様の存在を信じて悔い改めようとする方向がジェニーの場合はちょっとズレているというか、セルジーニョの事件→人間の本能や欲望を深い部分で理解しようとしているような……なので恥じらいも??な流れで認識しているというか まぁ意味不明は意味不明なんだけど、逆説的な捉え方もできるというかエルクラーノの憐れみ=世間一般に広まっている憐れみに対する皮肉なのかな?と思いましたね~~そして根底に流れるジェニーの生への執着。エルクラーノに結婚を迫るところも駆け引き+α無意識の生きる執念を感じたのですが、ジェニーが結婚を迫る流れってエルクラーノが守ろうとしている結婚の流れを違う方向から捉えていて、結局は同じことを描いていることになっていると思ったんですよね~~「私としたいなら結婚するのよ」と「処女のまま結婚した」は主眼が違うだけで同じことを言っているのではないかと……。ジェニーのストレートさが爽快に思える時もあるんですけどね あと、、、これはじいの勝手な思いつき ジェニーが乳房に固執していること。セルジーニョを旅立たせた時に胸をはだけさせるところでふと思ったんだけど、乳房→母の象徴、裏読みすれば聖母マリア。それを歪んだ形で描くことで何かを伝えようとしているのではないかと???うーむ。。。

とりとめもなくツラツラと書いてみましたが、観る度に違うところが気になったりツボったりするのがナマの舞台の魅力なんだけど今回はそれが顕著だわ~~残りの観劇は千秋楽のみ!どれだけ吸収できるのか分かりませんが最後までしっかりと全身フル稼働で頑張らなくては
コメント (2)
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