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じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

久々の新体操

2006-11-20 23:34:41 | その他いろいろ
今日はめちゃめちゃ寒かった~~ 勤務中はひざ掛けをしていたのですが、それでも冷える冷える トイレに通いまくりでした。何だかサボってるみたいでしたわ←たまにはそういう時もあるので

話は週末に戻るのですが、土曜日の深夜に新体操のW杯を見ました。日本で開催されたんですね~~知らなかったわ~~ ここ数年の新体操、どーにもこーにも好きになれなかったので見てなかったんですよね。今回は久しぶりに見たんですけど……やっぱりダメ 技の難易度を競うだけ、音楽なんてあってもなくてもいい感じ、コスチュームといい演技といい似たり寄ったりで全員同じに見える等など、言い始めるとキリがない 解説者も以前なら演技プランについての話とかあったのに、この技は何点加算~みたいな点数の話しかしない 新体操=スポーツなんだから仕方ないのかな~と思うところはあるけれど、芸術性も含んだ競技ならもう少し何とかならないものかと……ま~~だ、フィギュアやシンクロの方が楽しい

じいが新体操に嵌まってたのはブルガリア全盛期の時代。リリア・イグナトバ、ビアンカ・パノバ、アドリアナ・ドナフスカ、マリア・ペトロバ……特にパノバの大ファンで、数少ない、唯一の、かな?「月刊スポーツアイ」は欠かすことなく読んでました。当時は今みたいに地方で大きな大会が開かれることはなくて、じいもまだ子供だったので遠征なんて夢のまた夢「演技会」と称したエキシビション的な催しがじいの住んでた地域に来た時は嬉しかったなぁ~~

当時の演技は「こういう演技をしたい」「○○を表現したい」というのが感じられた。採点競技だし、審判の趣向や時代の風潮でなかなか評価されなくて上位にいけない選手たちもいたけれど、それでも“その人らしい”演技をしていたし、とっても魅力があった 分岐点になったのは1987年の世界選手権・88年のソウル五輪かな 10点満点を1種目でも欠いてしまえば優勝できなくなってしまったんですよ。今でも忘れませんけど、じいの憧れ、パノバ選手のソウル五輪でのこん棒の演技。当時としてはめちゃめちゃ難しい技が入ってたんですけど、失敗しちゃったんですよ 前年の世界選手権で優勝してたから、オリンピックでは金メダルを取って当たり前みたいなプレッシャーがあって、正直見ている方が辛くなるくらいの悲壮感が漂ってましたけど……でも、優勝の可能性がなくなった後の演技はすご~~く良かったんですよね。いつもの可憐で前向きな演技に戻ってた

ソウルを制したのはソ連(当時)のトップ選手、以降ソ連、そしてロシア等々の旧ソ連の国々が新体操王国となって今に至るわけなんですけど、じいは正直、好みではないんですよ。ど~~も技重視な面があって、自分で何かを表現しようという意欲が感じられない。昔に比べれば身体能力も主具の操作能力も格段に進歩してるけれど、注目したくなる選手や「また見たいと思わせる演技」をする選手がいないんですよ。ま、好みの問題ではあるんですけどね

スポーツだから、極限まで芸術性を求める必要はないのかもしれないし、ソウル以降、何とか満点が出にくいルールにしようとして採点基準が紆余曲折した結果が現状なんだと思いますけど、それにしてもねぇ~~どうにかならないものかしら??一つ一つの技を次々の繰り出すのはいいとしても、繋ぎの部分が全くダメ ただ走ってる、突っ立ってる、もしくは無理にピボットターンを入れてふらついて落ち着かなくって……それでも投げ技とか成功すれば減点されない……ってどういうこと??(と、じいが言ってどうにかなるものではないけど

ま、日本の新体操界のお偉方(特に頂点の某大学関係者とか)は旧ソ連系の演技が好きみたいですけどね。彼らは「日本らしさ」(じい的には元気が良くて明るければいいとしか思えないのが、何故に“日本らしい”のか意味不明なんですけど)にこだわりがあって、喜怒哀楽いろいろと表現しようとするブルガリアの演技はお嫌いみたい←じい的主観ですぅ あはは~~ちょっと言い過ぎかしら
コメント
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