つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信848号 2018年度版夢わかばカレンダーご協力を

2018年01月12日 | 抱っこ通信
昨年に続いて、東日本大震災・熊本地震、そして、今年は九州北部豪雨復興支援として、『夢わかばカレンダー』2018年度版を製作し、被災地の子どもたち(保育園等)に贈ります。

熊本地震を受け、紙芝居・絵本『夢わかば』の絵を描いてくれた田村太さん(養護学校教師・鹿児島でつながりあそびを広げるしろくもメンバー)から、「被災地の子どもたちになにかできないか」と相談を受け、企画が持ち上がり、多くのつながりの仲間たちや鹿児島県発達支援通園事業連絡協議会、熊本保育連絡会の仲間たちのご協力で『夢わかばカレンダー』を保育園、幼稚園、特別支援学校に贈ることが出来ました。ご協力ありがとうございました。

今年も『夢わかばカレンダー』を製作して、東北、熊本、
そして福岡県朝倉市や東峰村、宮崎県日田市の被災地の子どもたち(保育園等)に贈ることを決めました。

絵は昨年も好評だった田村太さんが描いてくれまています。
1月中にカレンダーは出来上がります。
2月後半には、お手元に届ける予定で準備を進めています。

多くのみなさんに『夢わかばカレンダー』を購入していただき、その資金で被災地へ送る予定です。
ご協力をお願いします。

カレンダーは一部1000円。送料別ですが、10部以上は送料を負担します。

申し込みは、フェイスブックのメッセージかメールで。
または電話でも受付をします。
よろしくご協力をお願いします。

mail tunagari@cello.ocn.ne.jp
電話 042-479-1069

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抱っこ通信847号 2017年から2018年へ(3)

2018年01月11日 | 抱っこ通信
2017年は鹿児島療育ツアー第10弾(2月)、第11弾(4月)、第12弾(12月)と計18日間26ステージ、つながりあそびを楽しんできました。

鹿児島療育ツアーは、鹿児島子ども療育センター30周年記念に向かって、県内の療育の場を“つながりあそび”で笑顔いっぱいにしようと2013年にはじまりました。

昨年の8月、鹿児島市で開かれた全国障害者問題研究会第51回全国大会のオープニングで、鹿児島子ども療育センター運動でつながった、鹿児島市、伊佐市、阿久根市、湧水町などの30組の親子(年長と小学一年生)が、つながりあそびで元気いっぱいのステージを飾ってくれました。
『元気いっぱい』と『レッツゴー№2 あしたへ』を歌い踊ってくれたのです。

「会場のみんなを一気に療育の世界に引き込んでしまいました」と鹿児島県発達支援通園事業連絡協議会(鹿児島県通連)の大迫より子さん書いています。(大迫さんがオープニングに寄せて執筆した原稿より)。
「ステージで輝く親子の姿は、鹿児島がこれまで32年間発達保障運動を続けてきた成果であり」「32年前の悲惨な育児の状況や親たちの頑張り、子どもたちの可能性の素晴らしさ、関係者の頑張りが走馬灯のように浮かんできました」とも報告書に書いていました。

「ピカリンが元気なうちは療育ツアーを続けます」と大迫さんや鹿児島県通連の仲間たちは強く!おしゃってくれています。
療育でのつながりあそびの課題ももらい、可能性も引き出してくれている療育ツアーを今年も続けなくてはね。


昨日(10日)は、上の姉の一周忌法要。昨年の1月に癌で亡くなりました。
正直、3月末までは活動をする気が起きなかったです。仕事もキャンセルしました。

気持ちの整理がつかないまま1年が経過してしまいました。
一年はとても早いです。早すぎます。
私にとっていろいろな意味で影響力を持った姉でした。

両親と弟と同居していてくれましたので、両親が亡くなるまで世話をしてくれていました。妹弟、甥、姪、親類、友だちを大事にしていた姉。

姉がいてくれたから、両親や家族のことなど、なんの心配もなく、私は活動ができたのです。
私のつながりあそび活動を陰に日なたになり応援してくれていました。
自分のように気にしながらも喜んでもくれていました

仕事、書道、旅行、フクロウグッツの収集・・・
いつも仲間と一緒でした。
仲間たちからはまとめ役として慕われていました。

そんな姉が、私が高校生の時に日本のうたごえ祭典に誘ってくれました。高校時代に合唱部に入っていたこともあり、社会人となっても合唱を続けたかったのだろうと思います。千駄ヶ谷にあった東京都体育館での祭典でした。会場に入るまでの道路にはためく旗の多さにびっくりしたことを今でも思い出します。

うたごえだけでなく、当時、活字だらけの「月刊学習」なんていう雑誌も密か?に読み、見せてくれたのも姉でした。

私の大学進学を支援してくれたのも姉でした。本当ならば本人が進学したかったのだろうなと思います。
学生時代の4年間、私のアルバイト先の東京・有楽町で、よく昼食をご馳走してくれました。

私が社会人になってからは、私が家を出てしまったこともあり、年1回も顔を合せなかったこともありましたが、ずっと私を応援してくれていたと思います。

約6年前に癌が発症してからは、年1~2回は旅行に行ったり、病院への送迎の車の中で話したり、途中でお茶したりなんて、鉄砲玉の私としては、それまでは姉にしたことのない経験をしましたが、遅かったです。

11月16日に病院に連れて行ってそのまま入院でした。
翌日、ホスピス緩和ケア病室に入り、約2か月で亡くなってしまいましたが、ツアーから帰ってきて約1か月間、毎日のように病院に行きました。
その間に、もっともっといろいろな話を聞いておけばよかったと後悔しています。

姉のエンディングノートに書かれたことを誠実にやってあげること。
そして、姉が楽しみにしていたつながりの活動する弟の姿を見せてあげることが供養なのかなと思います。

一周忌の昨日も高校時代からの七豆会の仲間、書道の仲間、会社の同期の仲間に参加していただきました。


もう一つ辛かったことに、弟も11月に亡くしました。彼の人生は幸せだったのだろうか。いろいろ考えてしまいます。
自慢の4人姉弟が2人になってしまいました。


私自身に残されている時間もわずかだと考えています。
一日、一日を大切に、一人の人間として、自分のやりたいことを、やらなくてはならないことを精いっぱい、楽しみながら2018年です。

写真は鹿児島県全国障害者問題研究会のフェイスブックより



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抱っこ通信846号 2017年から2018年へ(2)

2018年01月09日 | 抱っこ通信
2017年も子どもたちとつながりあそびを楽しみました。
今年は、体調の関係で例年より楽しむ機会は少なかったですが、東久留米の保育園まわりで、夢わかばプロジェクト岩手ツアーで、福井の秋ツアーで、鹿児島の療育ツアーで。また、調布市のオリンピア保育園や恵那市のルンビニー保育園、さくら市のアップル保育園や周南市の徳山中央幼稚園など、20年近く毎年つながりあそびコンサートを開いている園にも遊びに行きました。もちろん、初めて遊びに行った保育園もありました。

子どもたちとつながりあそびを楽しむと、まず、私自身が元気をもらえて一番楽しんでいます。
子どもって不思議な存在です。なにごとにも一歩前に踏み出す力をもらえるのです。
それは、子どもたちが、私を受け入れてくれているからだと思います。それもまるごとです。

昨年は声も動きもままにならなかったのですが、そんな私でも子どもたちは「ピカリン、ピカリン」と大歓迎をしてくれて、ちゃんと受け入れてくれているのです。
私はそれが嬉しいから一層楽しめたのだと思います。
声も日にち薬ではないけれど、子どもたちと遊べば遊ぶほど出てくるようになりました。

この子どもたちとの楽しい時間が、私のつながりあそびの活動のエネルギー源でもあるのです。今年もこの時間を少しでも多くつくりたいと思います。


保育団体合同研究集会や保育大集会、奈良や横浜などでの保育士研修会など、保育関係者との活動も、例年よりも少なかったですが参加することが出来ました。

鹿児島療育ツアーの中で「リフレッシュ・フレッシュセミナー」が開かれたことも大きな喜びです。
準備の段階から保育関係者や養護学校関係者などと協同していくことの課題が見えたことも大きいです。

保育応援団としての私のつながりあそび・うたの活動として、サマー・カレッジを始めとするつながりあそびを保育士さんたちに広げ、先生自身が元気になっていただく機会をもう少し増やしたいなと思います。


夢わかばプロジェクト岩手ツアーも2017年で第9弾となりました。
あの地震・津波の映像や新聞報道等で知ったとき、あの空の下ではどんな思いで一刻を、一夜を、一日を過ごしているのだろうと想像するとからだが震え、涙が止まりませんでした。
そして、自分のできることで、最初に思いついたことは、紙芝居『夢わかば』を再版してもらって、被災地の保育園に贈ろうということでした。
(株)音楽センターさんも快くご協力してくれて、全国の保育関係者のメッセージ4000以上を添えて、一年で贈ることが出来ました。

その呼びかけのチラシの中にある、当時の岩手県保育連絡会事務局長櫻庭志美子さんのメッセージが、私にとって大きな励ましになりました。

「3月11日の大地震、その後に襲ってきた巨大津波は、県沿岸の市街地を飲み込みました。保育士さん達は、子どもを抱えて走り命を守り抜きました。未曾有の大災害で誰もがうちのめされそうですが、全国の皆さんから温かいご支援をいただき、被災直後から保育再開に全力を挙げています。今、私たちにできること、それは子ども達に笑顔を取り戻してあげること、保護者のみなさん、保育士さんたちが元気になってもらうことです。それが復興への大きな力となり、周りを大きく励ましてくれます。
ちいさなちいさな芽でも夢や希望を持ち、たくさんの人の愛をいっぱい受けて大きくなっていく「夢わかば」のように、子どもたちの夢の種が素敵な花になり笑顔いっぱいの花を咲かせられるように・・・長い時間がかかると思いますが、全国の皆さんのご支援をよろしくお願い致します。」

子どもたちと笑顔になること、保育士さんと元気になることなら「私にもできる」という思いが湧いてきました。

2011年の7月「合研で知ったピカリンに会いたい」という保育士さんの声に応えて、岩手ツアーが始まり、岩手県保育連絡会副会長の渡辺さんとともに、毎年の岩手ツアーを続けているのです。

自分自身が「3.11を忘れない」意味でもこれからも続けていきたいです。

嬉しいことに渡辺さんが、岩手県保育運動連絡会ニュース『Hand &Heart』号外で「ぴかりん&みやちゃん 夢わかばプロジェクトの軌跡」として掲載してくれました。

3月3日に開く『夢わかばプロジェクトコンサート 3.11を忘れない』の時に、会場に掲示する予定です。今年も岩手ツアーを続けます。(続く)


1月6日 はままつ保育士会新春のつどい
はままつ保育士会新春のつどいでつながりあそび・うたコンサート。577名の参加者とともに歌い、遊び、踊りました。
保育士会としては、年に一回のお楽しみ会ということなので、歌を聞いてもらうことよりも、子どもたちと一緒に楽しめるものも入れながら、みんなで歌うことを中心に、からだと心をあったかくするプログラムを考えていましたが・・・。

『カレーライスジャンケン』『だるまさんが大変身』などはきっと今日あたり、保育園で楽しんでいてくれるかな?

お年賀に『君からもらった宝物』の譜面と手話のイラストを印刷して持参。じっくりと歌ってもらいました。

その後の『みんな大好き』がすごいのなんの、保育者根性剥き出しの歌合戦になりました。エキジビションでの「ビール」「焼酎」もマスクをしてことを忘れていた人もたくさんいたような気がします。

久しぶりに『思い出してごらん』。卒園式に保護者に歌ってもらいたい歌ですが、先生たちにありがとうを伝えたくて歌いました。でも、セリフは考えながらしゃべっているのでぐちゃぐちゃでした(涙)。

「咲かそう私の夢 手と手と手と」をテーマにした楽しい1時間30分でした


1月8日 つながりあそび・うた研究所会議
8月のサマー・カレッジ反省会以来、久しぶりに全員が顔を合わせて、14日に開く全国サマー・カレッジ実行委員会代表者会議に向けての話し合いを行いました。
中身は代表者会議で、ということですが、つながりあそび・うたの目指すところについて意見交換もありました。いま、一人ひとりを大事にすることの意味が問われています。


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抱っこ通信845号 2017年から2018年に(1)

2018年01月05日 | 抱っこ通信
昨日は私の仕事始め。
6日のはままつ保育士会新春のつどいコンサートの音合わせと練習と、今年のレコーディングの1回目の打ち合わせでした。
ワクワクする一年が始まりました。
今日は静岡県に移動です。

昨年もいろいろありましたが、その中で仲間たちからの嬉しい一言は「元気な顔を見られて安心した」が一番です。

多くの仲間たちにご迷惑とご心配をおかけした一年でした。
おかげさまで、12月の術後の甲状腺がんの検査では異常なしということでした。10年間かな?半年に一度はこの検査を続けるそうです。

残念ながら歌う声は、高音部がまだ戻って来ていません。戻るのかどうかもわかりませんけどね。
少しずつ活動を続けることで声が戻ってきたら嬉しいと思いますが、それだけでなくからだの問題やら発声の問題やらを専門家に診てもらいながら、戻すということだけでなく、新しい自分らしい声をつくる、ということを目指したいなと思っています。

昨年9月、大阪と東京での古希コンサートで多くの仲間たちからお祝いや励ましをいただきました。
「次は喜寿だ!」なんていう冗談もありましたが、「これからも頑張れ!」の応援だと思ってその気になってつながりあそび・うたの活動を続けていきたいと思いました。

サマー・カレッジも大阪、東京、埼玉、山梨の会場しか参加できなかったですが、つながりあそび・うた研究所の中たちの報告や各地のつながり仲間たちからの情報で、サマー・カレッジ実行委員会の仲間たちがつながりを広げるために、「自分の要求」を「自分たちの要求」に高め奮闘していることが伝わってきて嬉しかったです。
その現場に早く戻りたいと思いました。
京都サマー・カレッジの参加者からの激励のメッセージ集とサマー・カレッジの中で『レッツ・ゴー!』を踊ってくれたということもつながりの仲間たちのあたたかさが伝わってきました。

三重県での二日連続の平和コンサート、山口保育連絡会の若者たちが主体となった平和コンサートなど、平和コンサートも新しい動きがみられました。
ある面では身内だけでなく、日常の人とのつながりを生かし「子どもたちの笑顔を守るため」「人間っておもしろい 人が集まるって楽しい みんなで楽しさをつくるって平和」と宣言し、「その楽しさが奪われているような気がしています 生きる楽しさを奪うものに立ちむかう 笑いあり涙ありの楽しいコンサートです」と呼びかけていました。
その先には「憲法を生かし、九条を生かし、一人ひとりが人間らしく生きられる社会を!」一緒に考えよう、つくっていきませんかという思いがありました。

いま、安倍政権は着々と「戦争のできる国」への準備を進めてきました。秘密保護法、安保法制(戦争法)、改定組織犯罪処置法(共謀罪法)などなどです。その仕上げの一つとして憲法に自衛隊を明記する九条改憲に踏み出しました。

なんとなく平和への不安を持つ人が増えているように思います。それはマスコミなどを通して政権側がつくりだす「北の脅威」だけではないと思います。自分らしく、人間らしく「生きる自由」が「生きる楽しさ」が狭められている、奪われつつある実感、個人の尊厳が奪われているという実感がなんとなくあるからだと思います。
仕事上でも、日常の生活でも「私」が存在しなくても良いのではないかと不安と結びついたところに平和への不安があるのだろうと思います。

ですから、私から、自分から、暮らしから「平和」を考える大きなチャンスであり、平和を守りつくりだす一歩を踏み出すチャンスなのです。
今年も平和コンサートを続けます。(続く)



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