つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

青い海のむこうへ(追っかけ歌)

2021年10月03日 | 抱っこ通信
今日(3日)、Youtube二本松はじめつながりソングチャンネルにアップしました。
『青い海のむこうへ(追っかけ歌)』
今週のステイホームソング№103『青い海のむこうに』
 日頃、歌うこととはあまり縁がない人たちが、集会に参加して、おなかの底から大声で歌って、仲間がいると感じられて、元気になれるような追っかけ歌をつくりました。
 追っかけ歌?なんとなくカノンとも、輪唱とも違う感じがしますが、レク・ソングとして『かえるの合唱』『森のくまさん』『山賊の歌』など遊んできましたが、銭湯でつくったと言われる『大きな歌』(中島光一作)や大学生の二人の恋がもっと豊かになるようにと願ったつくられた『あの青い空のように』(丹羽 謙次・潤子作)との出会いに刺激を受け、「そのうち俺だって」と思うようになっていました。
 『青い海のむこうに』の創作背景を、これまた古い話ですが、『輪囲和意』((全レク東久留米レクリエーション・リーダー会議機関紙1973年10月13日発行)26号に書いていますので掲載します。深堀君を職場復帰させる会主催の「11月16日集会をめざす『ダイワ深堀』支援コンサート」を成功させるために、月1回開催していた「のんびりコンサート88回 ダイワの深堀君のたたかいを支援するために」を開催するために書きました。ホント、当時はいろいろやっていました。♬若かったあの頃 何も怖くなかった・・・♬
     ー・ー・ー・ー・ー・ー
      人間らしさと自由を求めて
   生きることは手をつなぐこと
   生きることはたたかいつづけること
   生きることは仲間をつくること
 私たちの住み、働くこの街、東久留米で「人間らしさと自由を求めて』闘っている仲間たちがいます。
 市内前沢にある「つり具のダイワ」(現グローブライド)はイレブンPMなどで知られていますが、その中では、有無を言わさぬ出向、配転、組合差別、組合つぶしなどが公然と行われています。
 ラジオ体操の輪に入れない。社内教育に参加させない。残業をさせない。机の位置を一人だけ離してある。電話の対応をさせない。社内旅行や職場のレクリエーションに誘わない。入社10年のベテランにパートと同じ単純労働。月の半分以上がタ職場への応援作業などの差別がダイワ分会(東京西部一般)に対して行われ、一般社員に対しては、会社や第二組合(ダイワ労組)幹部は、口をきくな! あいさつするな! ビラをとるな!などの圧力を加えています。
 一方、その組合つぶしの一環として、78年2月、当時、青婦部長だった深堀君を「窓ない小部屋に入ったとたん、職制5人が取り囲み、威圧的な態度で『君はもう会社に必要のない人間だ!』と告げられた。この一言が僕への解雇通告となった。ぼくを職場から追い出す習いは明白だった」という首切りが行われています。
 今、深堀君は、「職場に復帰させる会」の仲間たちや支援共闘会議の仲間たちなど多くの働く仲間たちと共に、「お前ひとりのたたかいじゃない。責任を持ってやりぬけ!」と親父の励ましの中でたたかています。ダイワ分会の仲間たちも、深堀君の不当解雇と組合差別と組合つぶしのねらいは同じとし、たたかいの先頭に立っています。
 私たちもこのたたかいにもっと目を向け、事実は何か、真実は何かを知り、働く仲間として、このたたかいをもっと自分のたたかいとしていく必要があるように思います。そのひとつに下記ののんびりコンサート(当時月1回開催)を開きます。
 のんびりコンサートで歌う予定の曲。
『風の中へ』『青い海のむこうへ』『風よ伝えて』『こぶしの唄』『光をみられなかった子どもたち』『夜明けはもうすぐ見えてくる』他。
    ー・ー・ー・ー・ー・ー
 何故、「海」になったかお判りなりましたか。釣り具の・・・だからですよ。『あの青い空のように』もあったしね。
 今年も、地区労主催の新春のつどいなどでダイワ分会の仲間たちと出会いました。みんな齢をとったけどいい顔をしています。嬉しいです。

 
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