つながりあそび・うた研究所二本松はじめ

二本松はじめ(ピカリン)の活動予定や活動報告、日頃、考えていることなどを書きます。研究所のお知らせも掲載します。

抱っこ通信1204号 台風一過! 青空が気持ちいい

2021年10月02日 | 抱っこ通信
 気持ちいい青空が広がっています。町中ぶらぶらの散歩日和です。

 今日は、福井サマー・カレッジ実行委員会のおしゃべり会におじゃまして、仲間たちの元気だろう顔を見るのを楽しみにしています。研究所風の便り10月号で、オンラインで、地域ごとの小さな単位での「お互いに元気だった?」くらいの交流をしたいね、と書いたので、ほんとうに良いタイミングでした。
福井だけではありませんが、各地のサマー・カレッジ実行委員会の仲間たちは、この2年間近く集まることができなく、しかも現場は「サマカレ、どうする」どころではない大変な状況を強いられています。コロナ禍がいつまで続くのが見通せない中にあっても、手を替え品を替えながらも細々でも、つながりのつながりを断ち切られること、断ち切ることなくつながっていきたいです。
今回、福井では、仲間たちが参加しやすいようにと、今日、明日の2日間おしゃべり会を開くそうです。今日は私が、明日はまっちゃんが参加する予定です。他の地域へもこれから働きかけていく予定です。

今週(26~2日)のつながりソング&あそび動画の譜面です。

【26日SHS№102『つないでゆこう』】
 以前は『伸ばしてごらん』というタイトルで歌っていた曲を自主制作・出版CD『笑って笑って笑って』を収録するときに変更しました。

 『伸ばしてごらん』は、つながりあそび・うた研究所設立直後に歌詞らしきものがメモしてありました。子どもたちに、友だちをつくるには、まず、自分から手を差し伸べるのだよ、というメッセージソングとしてつくるつもりでした。自分が自分自身の主人公として生きほしいという願いから生まれました。
 でも、子どもたちと歌う時だけでなく、先生にも親さんにも一緒にうたってほしいと思い、同じ立ち位置で、同じ高さで、同じ時代を生きる仲間、という思いで『伸ばしてごらん』ではなく、『つないでゆこう』に変えました。

 私の青春時代、京浜工業地帯に働く青年たちの中で「生きることは手をつなぐこと、生きることはたたかうこと、生きることは仲間を増やすこと」という言葉が広がっていました。言葉は違いますが、『つないでゆこう』を、今を生きる子どもたち、青年たちに贈りたい歌です。【抱っこ通信702号(2016年3月23日)より】
 歌詞を少しだけ変更しました。「きみ」を「あなた」に、「ぼく」を「わたし」に。

【30日つながりあそび200『私をみつけて』】
 つながりあそび動画200回です。パチパチパチパチ・・・。つながりソング動画100回の時のように、「200回は、これをアップしたい」というものを特別に考えていませんでしたが、Youtube二本松はじめつながりあそびチャンネルにmihoさんから『私をみつけて』の親子バージョンのリクエストがあり、「そうだ、これだ!200回は」と急遽、アップすることにしました。収録済みだったこともありましたし・・・。
 mihoさんのコメントの抜粋です。「この曲で、運動会の時に、先生のフリを見ながら子ども達がダンスをする感じだったので一緒にはダンスしなかったんです...。自分の事を指差したり、いないいないばぁの様な振り付けがありました(*^-^)」。

 ちょうどつながりあそび・うた研究所を立ち上げてから10年目くらいの作品です。立ち上げて数年くらいは、保育応援団だとしても、あそびのプロになったのだから、新しいあそびをつくらなければ、自分の独自性を、自分のカラーを、オリジナリティ等々を出さなければとえらく難しく考えていました。

 ところが、現場から乳児のあそびや親子のあそびを求められるようになって、子どもたちのできることが少ないというか、大人のできることが少ないことに気がつきました。もちろん、子ども自身はやりたいけど、出来るようになりたいけど、楽しみたいけど、まだできないということですが。
 それならば「抱っこして、見つめ合って、微笑み合って」が楽しめればいいのではないかと考えはじめ、『ピッタンコ』『ラッコっこ』『ぬくぬく』『カエルの親子は』など、CD『だっこしてオンブして いい気持ち ラララ・ラッセーラ』(音楽センター発行)に収録してあるようなつながりあそびをたくさん創作しました。その延長線というか、ひとつの到達点にあるあそびが『私をみつけて』です。ただ抱っこするだけのあそびですが、保育のあそびで、親子のあそびでなにを大切にしていかなければならないかを考えさせてくれたつながりあそびの1曲です。
 なんとなく、保育ということや、保育の中のあそびや遊ぶということがわかり始めてきたのでしょうか。現場で子どもたちとつながりあそびを楽しむ仲間たちが良く言ってくれます。「つながりあそびは楽しい。でも、ただ楽しいだけでない」。

 『私をみつけて』を収録したCD『あそべやあそべみなあそべ』(音楽センター発行)のピカリンメールには次のように書きました。

 『私をみつけては』は、今、私の親子あそびコンサートの中で大好評の遊びの一つです。「保育参観で盛り上がりました」。「運動会の最後の種目として遊んでやさしい雰囲気で終わることができました」。という実践報告も届いています。保護者が子どもを抱っこするだけの遊びなんですけど、こういう単純な遊びがいいんですね。子どもは自分のまるごとを見てほしい、自分のまるごとを受け止めてほしいのですよね。それが抱っこしてという形であらわれているのでしょうか。保護者も保育者も、もちろん子どもたちのその気持ちをよくわかっているはずです。でもねえ、現実は・・・。だからこそ、『私をみつけて』は単純だけど大好評なのかと思っています。


【1日つながりあそび№201『頭と頭』】
 あそびはハイハイして頭をコッツンコするだけですが、その後のニカッと笑うところがミソです。ま、動画のようにおじさん(おじいさん)二人で遊んでいる図は、どうみても可愛くありませんし、気持ちが悪いですが、先生がハイハイして子どもに近づいてコッツンコと歌ってからにっこりと笑いかけてください。

 『頭と頭』もハイハイしようとしている子どもに先生が近づいてということが大事ですし、前の前の『コロコロおきなさい』での午睡明けの子どもを「起こす」(今は、この辺りはどうなのかな)ためにコロコロして、というように、保育の中で、生活の中で、子どもに寄り添う結果、つい遊んでしまう、あそびになってしまうということが大事ということを教えてくれます。きっと先生たちの中には遊びという感覚がないのではないかなと思います。あそびのためのあそびではないのがいいのですね。そんなことを教わった10園研修でした。
 10園研修。この『頭と頭』は東久留米市10園研修でつくられたものです。時間内の研修会で、各園から研修委員が出て、年間の研修計画を立案、実行していくものです。いくつかのテーマがあって、テーマごとに年間を通じて研修しています。今はコロナ禍で集まってできていないようですが,研修会は今でもあるそうですよ。
 『頭と頭』がつくられた年は、東久留米市立滝山保育園が民間委託になってしまった翌年度でした。会場がその滝山保育園の旧園舎。きっと参加した先生たちは、いろいろな思いが混在していたと思います。

 70年代の後半あたりから東久留米の保母さん(当時の呼び方)たちとは組合活動を通じてや、全レクの活動を通じていろいろと保育について学ばせてもらっていました。保母さんのための「若葉のレクリエーション学校」の参加者の3分の一が東久留米市の保母さんだったということもありました。ともかく、子どもの話がたくさん聞けたことと、保育という仕事を通して生きるということを楽しんでいたのではないかと、魅力的な人に出会うことができました。
 楽しんでいたと言ってもその中身ですが、実際は職場を単位とした組合の民主化のたたかいや、行革から市民生活を守るたたかいや、その中でも、特に滝山保育園の民間委託の反対のたたかいなど、子どもを守る、保育を守る活動と、子どもたちのためのよりよい保育を保護者と共につくるという学習や活動が、保育というただでさえ大変な仕事、活動なのに、そのたたかいと活動の大変さを超える「人としての喜び」を得ていたのかなと思います。保母さんの中には子育て真っ最中という世代も多かったのにです。今、顧みるとよくやっていたな、出来ていたなと思います。何故、出来たのか。それはいつの時代でも「仲間」ですね。きっと「仲間」がいたことが大きかったのだと思います。

 そういう東久留米の保育があったから、仲間がいたから、そういう時代があったからこそ、私はつながりあそびの仕事も活動もできてきたのかなと思います。 
 『頭が頭』はその後の『指と指』や『ピッタンコ』や『くっついた』などつながりあそび・うたの原型になっています。


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