
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。
広報部局の本間暁登です。
昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。
筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!
本日の1人目の担当は、小林理瑛(体育1・県立相模原)です。

広報部局の本間暁登です。
昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。
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本日の1人目の担当は、小林理瑛(体育1・県立相模原)です。

筑波大学野球部のブログをお読みの皆さんこんにちは。
体育専門学群1年、小林理瑛です。
拙い文章ですが、最後までお付き合いください。
私は県立相模原高校(通称:県相)出身なのですが、よく先輩方から「県相は変人揃いだ」と言われることが多いので県相に居た頃の話を含め、大学野球に至るまでの話をしたいと思います。
まず私は神奈川県横浜市で生まれ育ちました。横浜生まれながらも、幼いころから両親による阪神タイガースファンとしての英才教育を受けていました。 そのため物心が付く前からグローブやバットを持ち、六甲おろしを歌っていました。
小学校に入学したタイミングで少年野球をはじめ、中学では硬式クラブチームに入りました。
そして私が中学2年のころ、筑波大学野球OBでもある石毛大地さんを擁して、県立相模原高校が神奈川3連覇中だった横浜高校に勝利するという番狂わせが起こりました。
これを受けて私は県相を受験することを決めました。
しかし中学のクラブチームでは週7日練習があったので、中学3年に上がると同時にクラブチームを休部して受験勉強に励み、その甲斐あって無事に県相に合格することができました。
県相の野球部では同学年が36人と、多くのチームメイトに恵まれました。
また、ありがたいことに1年の夏からベンチに入れてもらいました。
佐相眞澄監督からのしごきを十分に受けて、多くの試合経験を積みました。
高1、2年の夏は公立高校に敗れ、とても悔しい思いをしました。
そして最後の1年で特に印象に残っているのは冬の紅白戦です。
1~3月にかけて行った15試合、チームメイトとしのぎを削り、実戦感覚を養いました。私もこの紅白戦のなかでいろいろな力を養えたと思います。
同学年の投手による熾烈なエース争いに勝ち、迎えた最後の夏では背番号1をつけることができました。
しかし結果は4回戦で、慶應義塾に0-10で8回コールド負けを喫しました。
甲子園には届きませんでしたが、県相野球部で積んだ経験は今でも宝物のように感じています。
引退後は、横浜に勝った代の石毛大地さん、中澤篤樹さん、1学年先輩の吉田桃二郎さんの影響で、佐藤航成とともに県相バッテリーで筑波大学に入学しました。
筑波大学に入学後は、またまたありがたいことに長らくAチームに所属させていただいています。
さらにはリーグ戦、関東大会のベンチにも入れさせていただきました。
しかしベンチには入れたものの、果たすことができなかったリーグ戦登板、さらには活躍することをこれからの目標にして、この冬頑張っていきたいと思います。
そして吉田さん、佐藤航成とともに試合で活躍し、特にお世話になった佐相監督に恩返しができるようにこれからも頑張ります。
長くなってしまいましたがここまでお読みいただきありがとうございました。

体育専門学群1年 小林理瑛
県立相模原高校
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