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ラストシーズンに懸ける想い⑬(社工4・田之口輝毅/比叡山、体育4・古市悠之亮/刈谷)

2023年08月26日 21時00分00秒 | 2023年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

 

第13回は田之口輝毅(社工4・比叡山)と古市悠之亮(体育4・刈谷)です。

 

 

是非ご覧ください!

 

 

 

 

様々な皆様、こんにちは。

筑波大学硬式野球部 理工学群社会工学類4年の田之口輝毅です。

 

 

先ほど院試を終えました。手応えは、ありません。今出せる力は出し切ったので満足です。後期試験頑張ります。

 

名前の順で進んでいるはずのブログに、た、である自分がなぜ今なのか不思議に思った方もいるでしょう。ブログ担当の一井君、本当にごめんなさい。

 

 

何か尖ったことを書こうかなとも思いましたが、特に思いつかないので普通に書きます。

興味がある方は読んでもらえると嬉しいです。

 

まず軽く自己紹介をします。

出身は滋賀県大津市、びわ湖のすぐ側で生まれ育ちました。

 

 

野球を始めたのは小学校3年生の頃で、試合で良くないピッチングをすると野球素人の父親によく怒られていました。「野球やったことないのに、難しさ分からんやん。」と子供ながらに少し思っていました。

 

 

中学校ではそこそこ結果も出て、それなりにいい思いをしました。

 

 

高校野球では一転、思うような結果は出せず、かなりしんどい思いをしました。正直思い出すのも辛いくらいです。でも、この経験があったことで色々な事を学べたなと今になって思います。成功より失敗から学ぶことの方が多い、というやつです。あと、入学してすぐの新人練のメニューに直立というものがありましたが、あれは何だったのか、未だによくわかりません。

 

 

高校ではほとんど結果が出なかったものの、ネガティブな気持ちを持ったまま野球をやめたくないなという思いと、自分ならまだ成長できるんじゃないかという思いで大学でも野球を続けるという選択をし、当時の自分の実力から考えるとかなりレベルの高い筑波大学を選びました。

 

今思い返すと、野球以外にやりたいこともなく行きたい大学もなかったので、選択肢がなかっただけなんじゃないかとも思います。でもこの時この選択をして本当に良かったです。

 

 

さて、ここからは大学生活を振り返りたいと思います。

 

 

水道や電気が何度も止まったこと、マーくんの全盛期の防御率を下回るGPAを記録したこと、それにより除籍になりかけたこと、家計の問題などについて触れてほしいという声をたくさん頂きましたが、ここでは触れません。

 

野球生活について振り返ると、真っ先に思い浮かぶのは捻挫です。

 

3年の春リーグ前の挟殺の練習で右足首、その年の11月頃、新チームが始まった1発目のランメニューで、左足のリスフラン関節という洋梨みたいな関節を捻挫しました。

 

この2回で、1年弱くらいの期間を棒に振りました。またこの捻挫により(それだけが原因ではないかもしれない)、俊敏性といったものは完全に失われ、お腹もぽっこりとしました。

 

後輩には是非、怪我をした後ではなく、する前から気をつけてほしいと思います。怪我をした後は誰でも再発しないように気をつけますが、怪我をする前はまあ大丈夫やろ、とつい予防を怠りがちです。国本とかアップもろくにせず、いきなり全力で投げてきますが、やめてください。怪我をしてから後悔しても遅いです。

 

あと、捻挫には気を付けてください。長引きます。たかが捻挫と侮るなかれ。

 

 

3年生になった頃からAチームで投げることが増え、3年秋のリーグ戦での登板未遂を経て、4年春になってようやくリーグ戦で登板をすることができました。

 

この時ベンチから、大貝の「てる攻めろ攻めろぉ!」という声が聞こえて強気でいけた結果、抑えることができたので大貝にはほんの少しですが感謝しています。

 

また、家族にも試合で投げている姿をみせることができ、大学まで野球を続けて良かったなと思えた瞬間でした。

 

しかしそれだけでほとんどチームに貢献出来ていないので、秋はもっともっと貢献できるように、どんな場面や役回りであったとしても、全力で腕を振りたいと思います。

 

せっかくの機会なので、家族へ向けても書こうと思います。

 

まずは大学まで野球を続けさせてくれて、本当に感謝しています。

高校を卒業するまで朝早くから弁当を作ってくれ、夜は汚れた練習着を洗ってくれて、当時は当たり前のようにも感じてしまっていましたが、1人暮らしを始めてその大変さがよく分かりました。

恩返しと言えるような活躍はあまり出来ていませんが、筑波で野球をやって本当に良かったと思っています。

最後、いい姿を見せれるように頑張るのであと少し応援してください。野球以外でも色々と心配をかけてますが、今後もかけることになりそうです、ごめんなさい。

 

 

最後に、

 

筑波で野球をするという選択をして良かったと何よりも思えるのは、一生付き合っていきたいと思える同期に出逢えたことです。

 

チームのため、立場によっては自分ではなく人のために真剣に考えて労力を費やしてくれる同期を本当に尊敬しています。

 

こんな適当な自分を支えてくれて、一緒になって考えてくれる(特にピッチャースタッフ)には本当に頭が上がりません。

 

自分は物事は何をするかより誰とするかが大事だと思っています。

 

この同期(勿論後輩も)とだからこそ、リーグ優勝をしたいと心の底から思います。

 

A.R.Eを果たし、みんなでビールかけして西尾のあれもみんなで処理しよう。

 

理工学群社会工学類4年  田之口輝毅

比叡山高校

 

 

 

 

 こんにちは。4年野手コーチの古市悠之亮です。

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援のほど誠にありがとうございます。

 

 ラストシーズンに懸ける想いということで、この秋リーグの目標と意気込みを述べようと思います。

 

目標はリーグ優勝・日本一を獲ること。

リーグ優勝・日本一を獲るために粉骨砕身の思いでチームに尽力する。

 

以上

________________________________________

 

 

 

 秋リーグに向けて想っていることは正直こんなところです。

 

しかし、今回このブログを書くにあたり、「2000字を目安に」とのことだったのでなんとか到達できるよう、生い立ち等を綴ろうと思いますので読んで頂けたら幸いです。

 

 私が生まれたのは愛知県刈谷市。

 

よく刈谷市に住んでいると勘違いされますが、住んでいるのは安城市です。

 

昔は「日本デンマーク」とよばれ農業が盛んだったそうです。家の周りは田んぼだらけ、そんな田舎で育ちました。

 

最近は「安城市ってどこ?」って聞かれたら、東海オンエアのゆめまるの出身地や新幹線が名古屋に着く前に通過する三河安城駅があるところと説明すると通じるのが少し嬉しいです。

 

 「野球がしたい」そう思い始めたのは小学1年生の頃。父がしていた野球に連れていってもらっていたのがきっかけでした。

 

2年生の頃に地域の少年野球チームに入り、3年生まではワイワイ楽しんで野球を行っていました。しかし、4年生の頃に指導者が変わり、練習などもきつくなっていきました。これまでを振り返ってみても4年から6年までの3年間が一番しんどかったです。それでも上手くなりたいと逃げることなく練習に行き続けた経験があったから今まで野球を続けてこられたのかもしれません。

 

 

 中学は少年野球チームの指導者の薦めで硬式野球のクラブチームに入りました。入団当初はそのチームが何度も全国大会に出場し、優勝したことのあるチームだとは知りませんでした。そこでたくさんの大会で優勝し、全国大会でも上位までいき、レベルの高いメンバーと一緒にプレーできたことは非常に大きな経験でした。

 

 実は中学野球引退後かなり太り、72.3キロだった体重が98キロになりました。

 

 高校は愛知県立刈谷高等学校(通称:刈高)に進学しました。愛知県の中でもそれなりの進学校であり、100年以上の歴史があります。

 

頭の良くない私は授業についていくのがやっとというレベルではなく、ついていけていませんでした。(特に英語と国語)なんとか赤点を回避するレベルでした。野球面では半年近く怪我に悩まされたことや色々あって2カ月近い奉仕活動期間など思うようにいかないことだらけでした。この3年間で野球をできることの喜びや周りの人への感謝等、多くのことを感じ、学び、精神的にも大きく成長できました。

 

一年の浪人を経て入学した筑波大学。

 

スタートはコロナで授業も部活もオンラインでのスタート。実際につくばでの生活をスタートしたのは7月からでした。練習もグラウンドが使えるのは数時間。オープン戦もなく、まったくもって野球をしている実感は湧いていませんでした。

 

一年の冬に怪我をしてしまったこともあり、思うようにプレーすることなく私の大学での選手生活は幕を閉じました。オープン戦での出場機会は1イニングの守備(捕手で7球程度)、紅白戦・天王台含めて立った打席は10にも満たないと思います。

 

それでも、2年の最後の天王台で優勝をかけた大事な試合でスタメンマスクをかぶり優勝できたこと、怪我でほとんど出場することができなかった私にもベストナインの投票で数票入って2位だったことなど楽しく終えることはできました。

 

この天王台を最後だと私の中で決めて臨んでいたこと、チームのため仲間のため、そして自分のために何ができるのかを考えた結果、スタッフミーティングでスタッフになることに対して悩む時間はほとんど必要としませんでした。

 

 野手コーチになってからはこれまでの野球の向き合い方とは異なり、マネジメントやサポートといった仕事でうまくいかずに苦労することもありましたが、チームが勝つことや仲間が活躍することが何よりも嬉しく、何にもかえがたいやりがいとなっています。

 

 余談ですが、選手を引退して思い立ったダイエット。86キロからスタートし、1カ月半で10キロ落として76キロに。そこから少し停滞しましたが、半年後には68キロまで落とすことができました。まさかそこまで落とせるとは思ってもいなかったのでびっくりでした。さすがにみんなに心配されました。

 

また、高校2年生の頃に身長が179cmになってから遠かった180cmの壁を大学4年生になってやっと突破できました。ずっと身長を聞かれた時に「179cm」と答え、「1cmくらい鯖を読めばいいじゃん」と言われても頑なに言わなかった謎の拘りも次からは自信を持って「180cm」と答えられます。←個人的にかなりうれしい出来事です。

 

それでは本題に戻します。

 

 

そんなこんなで迎えたラストシーズン

 

始めたのは小学2年生の時ですから、その時からもう15年も経つと考えるとよく続けてきたなと感じています。

 

 

人生で一番練習がしんどく、野球を辞めたいと感じた小学時代。

 

 

勝つことの嬉しさ、高いレベルを感じた中学時代。

 

 

思うようにいかず、色んな壁にぶつかった高校時代。

 

 

コロナで始まり、入学前に思い描いていた道とは異なる道を進んでいる大学時代。

 

 

学生時代のほとんどの時間を野球に費やし、多くの仲間とともに色々な経験をしてきました。そして多くの方の支えでここまで続けてくることができました。(感謝の気持ちは直接伝えていこうと思うのでここには書きません。)

 

そんな学生野球も、もう終わりだと思うとかなしいものですね...

 

 

 

「リーグ優勝・日本一」

そう想い続けて、この仲間と叶えた時の景色を想像してこの一年やってきました。

しんどいときもあったけど、本気で獲るんだと思いあえるみんなとだから乗り越えられたし、頑張れたのだと思います。

 

あと少し頑張ろう。自分のために。みんなのために。支えてくれる多くの方々のためにやりきる。

 

 

最高の仲間と最高の舞台で最高の結果を

~みんなと共に創り上げてきたこのチームで頂点へ~

 

 

大した内容ではなかったかもしれませんがここまで読んでくださりありがとうございました。

 

体育専門学群4年 古市悠之亮

愛知県立刈谷高等学校

 

 

 

 

 

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