7 世紀中ごろの日本の外交官、伊吉博満(イキノヒロトコ)の人生は、波瀾万丈だった。
659 年、第 4 次遣唐使の一員として唐に赴くが、百済と敵対していた唐によって、長安に幽閉されてしまう。
661 年許されて帰国でき、その間の彼の記録が、後に編纂される“日本書紀”に引用され、個人の日記が正史に記録された最初の例となった。
(平成28年度の共通一次試験日本史 B の問題はここから始まっていた)
伊吉博満(イキノヒロトコ)は、その後の政変で、有馬王子の謀反に加担した嫌疑で上毛野国(群馬県)に流されるが許され、唐との外交で活躍し、 695 年には遣新羅使として新羅に赴く。
大宝律令撰定にも功績があり、功田、封戸を給され、従五位の官位を得たとのことだ。