2020年9月は後半涼しくなった。ただ晴天が少なく青空が望めたのは僅かだった。
コロナ禍で遊歩道をジョギングする人もまばら。
一つ不思議なのは、蓮の消滅だ。対岸まで繁茂するかと思われるほどの蓮が、一挙になくなった。
(不思議だなあ)
木槿やムラサキシキブの叢は例年と同じ。
ススキも穂を出し、秋は深まっていく。
2020年9月は後半涼しくなった。ただ晴天が少なく青空が望めたのは僅かだった。
コロナ禍で遊歩道をジョギングする人もまばら。
一つ不思議なのは、蓮の消滅だ。対岸まで繁茂するかと思われるほどの蓮が、一挙になくなった。
(不思議だなあ)
木槿やムラサキシキブの叢は例年と同じ。
ススキも穂を出し、秋は深まっていく。
NHK日曜23時からのドラマ「アンという名の少女」③を観た。
カナダCBS&Netflixの共同製作で、NHKでは、全7回での放送。
①②は原作に沿った演出だったが、9月27日放送の第三回は、原作から離れた。
アンは、マリラから紫水晶のブローチを盗んだと責められ、孤児院へ送り返されてしまう。マリラはまちがいに気づき、マシューが急いで追いかけるが、列車はすでに駅を出た後だった。
カナダ・プリンスエドワード島シャーロットタウンから連絡船でグラスゴーなど人口の多い本島に渡るのだ。アンは、本島の孤児院の前まで来るがそこでのつらい思い出に苛まれ、中には入れず草むらの中で一夜を過ごし、翌朝やってきた牛乳配達の馬車で駅に送ってもらう。
一方、追いかけてきたマシューも本島の駅前で馬車にはねられるなど大変苦労して孤児院にたどり着き、門前で一夜を過ごし、やっと会えた園長には冷たく対応され、やはり牛乳配達の車で駅にたどり着く。
そこで、物乞いのように詩の朗読でお金を稼いでいるアンを見かけるのだが、アンの自尊心は傷ついたままだ。
(孤児院へ送り返されたことにこだわっているアン)
思い違いでアンを返してしまったことの後悔で正気を失ったようなマリラは、マシューの努力でアンが帰ってきても、硬い表情を崩せない。
(その夜の食事もそれぞれが硬い表情だ)
次の日、一家は正装で教会に行くが、村人のアンに対する視線は冷たい。あからさまに侮蔑の言葉が投げつけられる。
(耐えられないアンは林の中の逃げ込み悲しむ)
(そこへマリラが来てブローチの件を心から詫びる)
こうして、アンの心にマリラの真情が届き、二人に親子の情が通う。
その夜、アンは正式にカスバード家の養女となるサインを行い、親子は、キイチゴのジュースで乾杯する。
モンゴメリーの「Anne of Green Cable」は、大正3年(1914)村岡花子翻訳・創刊以来、多くの翻訳・出版がされた。
(初版発行 昭和32年 これは、昭和50年33版発行)
(第一刷発行1990年(平成2年)これは、2015年(平成27年)第25刷)
最近では、松本侑子訳文春文庫2019年発行がある。
9月23日(水)テレ東の「水バラ」18:25 ~ 22:00 を録画して観た。
函館五稜郭から小樽天狗山展望台まで1泊2日の旅。ただし、途中4つのチェックポイントとミッションがあり、路線バス、鉄道のチームが、それぞれクリアしてのゴール到着を競わせる旅行番組。
見所が多々あり、感想が書ききれないが、メモ的に以下羅列しておきたい。
1.リーダー
路線バスの太川さんは、路線バスの旅25回をこなし、バス旅のベテラン。体力、粘り強さ、的確な判断力は抜群で、歩きたがらない蛭子さんマドンナを伴い難関を切り抜けてきた実績から、統率力も優れている。
一方、鉄道チームを率いる村井美樹さんは、平成29年路線バスの旅Z第4弾マドンナでテレ東旅番組にデビューした。鉄道マニアとして知られ、負けず嫌い、明晰な頭脳、強い意志、今回で5回目となる対決旅鉄道チームのリーダーを務め鬼軍曹と呼ばれている。
2.チェックポイント&ミッション
1.函館朝市での食事 ”馬子とやすべ” ”一茶亭 たびじ”のリッチな丼物、見ていて、絶品ぞろい。
2.大沼公園 プリンスホテル”そらの家”でジップライン、モモンガ飛びで滑り降りる様子を写真に収める。
3.洞爺湖レークヒルアームで牛乳500CCを牝牛の乳から実際に絞る。
4.余市のウニ専門店”世壱屋”で、五大ウニ食べ比べ丼(6600円)を完食する。
1万円分タクシーが使えるルールだが、その使い方が難しい。歩かざるを得ない箇所もあり、バスチーム7回16.2㎞、鉄道チーム5回27.0㎞を歩いた。
景色は抜群に良いのだが、雨が降ってきたり、暗くなったりで、フェイスシールドをつけての歩きは楽ではなかっただろう。
3.感じたこと思いつくまま
・とにかく3時間半飽きずに観た。
・虫愛ずる姫君は平安の昔からいるのだから、井上咲栄さんを気味悪く思ってはいけない。
・路線バスの太川リーダーは、鉄道の村井リーダーを好敵手とし、全力で立ち向かっていた。一歩先がけたことを心から喜び、逆に、村井リーダーは一歩遅れたことを悔やみ、涙ぐんだ。(両リーダーがこれだけ真剣に全力を傾けて取り組んでいるのだから、この番組がつまらない筈はない)
・全長300㎞で、これは、今までの対決旅最長記録だそうだ。北海道のごく一部を回ってこれだけの距離になるのだから、北海道は広い。
NHK朝ドラ「エール」に登場する古賀政男は颯爽としてかっこいいので、もう一人の国民栄誉賞作曲家服部良一はどんな人かと気になった。
さっそく図書館に行き「服部良一ぼくの音楽人生・日本文芸社1983年刊」を探してもらった。
昭和57年(1982)に発行されたものに、ご長男克久氏が「父の想い出」を加えた増補版である。
エピソードでつづる和製ジャズソング史 目次
道頓堀ジャズ
明治・大正の洋楽
シンガー・ソングライター
少年音楽隊
メッテル先生
大阪のジャズ界
ジャズソング事始め
ラプソディー・イン・ブルー
東京のジャズ界
響友会と音楽結婚式
・
・
・
と続き、「青い山脈・銀座カンカン娘」などの章は特に興味深かった。結婚式のくだり(件)も面白く、それは、次のように書かれていた。
「・・・ニットー時代の一時期金にあかして遊蕩した。ニットーには嘱託で文芸部長格の服部龍太郎氏がいた。年は十歳近く違うが気さくなノンベで、おみきどっくりで紅燈の巷をさまよった。いわば”悪友”である。」
(この”夜話”には、服部良一氏との遊蕩の話は書かれていない)
悪友と遊び惚けていたある日、良一は、浅草の待合で”女将の娘”と紹介された万里子という素人の娘に一目ぼれする。
「結婚するなら、家庭をきちんと守ってくれそうな真面目な素人娘がいい。そこで、早速、この気持ちを服部龍太郎氏に打ち明けた」
「悪友は善友に変わった。万事のみこみ、話をまとめてくれ仲人を引き受けてくれた」
昭和10年12月8日帝国ホテル始まって以来の大オーケストラの持ち込みで盛大な音楽結婚式・披露宴が催される。
新婚旅行の熱海での翌朝、良一氏は「スグコラレタシ」の電報を打ち、「いったいどうしたんだ」とびっくりして東京から飛んできた夫妻に「いや、どうもね。二人だけでは話がなくて困るんだ。仲人の責任上、付き合っておくれよ」と、十国峠、箱根を一緒にドライブした。
「それから半世紀以上、夫婦の間は取り立てて波風もたたず、二男三女もそれぞれ成人し、今では孫が十人になっている」と、この章を結んでいる。
服部家の 良一 ー 克久 - 隆之 ー 百音 と引き継がれた音楽の才能は際立っている。
9月15日(老人の日)地域の社会福祉の団体から、お祝いをいただきました。
ありがとうございます。
9月21日(月)敬老の日までの7日間は「老人週間」で、”すべての高齢者が安心して暮らせるまちづくり、高齢者の社会参加、ボランティア活動の促進、高齢者の人権尊重などについて考える期間だそうです。
今までずっと9月15日が敬老の日(国民の祝日)と思っていましたが、平成15年より、敬老の日は9月の第三月曜日(ハッピーマンデイ)となり。9月15日は「老人の日」となっていました。
一般的なボーダーラインとして65歳からが老人で、現在わが国は、65歳以上は3617万人、総人口の28.7%を占める超高齢化社会となっています。「国内の100歳以上の高齢者の数は15日時点で8万4千人、都道府県の人口10万人あたりの人数で比べると島根(127人)、高知(119)、鳥取(109)が最も多く、最も少ないのが、埼玉(40)、愛知(41)、千葉(45)」(9.16朝日新聞)
老いていけば肉体・精神も劣化していくのは必定。暴走老人、認知症老人が社会問題となる昨今、私たち老人はどう生きればよいのか?
一口には言えないが、まず”ストップフレイル”。体力、精神力の劣化を少しでも遅らせることだろう。いたずらに現状を嘆かず、とにかく前向きに、楽しく生きる。
令和2年85歳の今の時点で思うことは、こんな程度。生きていられれば、来年の老人週間に、また考えてみたい。
隣家のムラサキシキブの実が色づいている。
夏の花、ノウゼンカズラもまだ咲いている。
この赤い花はアメリカ芙蓉かな。
柿がなっている。
これはヘチマ。
大津ヶ丘一小の栗の木には実がなっていた。
我が家の庭に戻る。
ゴーヤとアサガオが同居している。
ゴーヤの実はもう大きくならない。葉も、大きいのは枯れて小さくなっている。
ベランダのアサガオはもう少し咲くみたいだ。
コロナ禍で当分ダメと思っていた3泊4日のバス旅が復活した。
9月5日(土)テレ東 18 : 30 ~ 20 : 54 (ロケは8月8日~11日だったらしい)
レギュラーの旅人、俳優田中要次・芥川賞作家羽田圭介さん、今回のマドンナ元AKB女優北原里英さんが、フェイスシールド付きで現れた。
まず、羊蹄山(1893m )が写る。「どっしりと重く一種の圧迫を感じるその整正な山容はどこから眺めても形を崩さない」と深田久弥の百名山にある後方羊蹄山(しりべしざん)である。一行は、そこから湧き出るコクのある水を噴水から飲んで、うまいと言った。
第一日
旅は、ひらふ(阿部比羅夫で歴史ある名)ウエルカムセンターから始まる。
俱知安~小樽~札幌~江別~栗山と進み、夕焼けの町をさらに岩見沢まで足を伸ばしホテルサンプラザに宿泊。
(小樽三角市場の海鮮丼がうまそうだった)
第二日
岩見沢ターミナルを美唄に、7 : 41 出発。
いきなり、直線 29 km 道路となる。日本一の直線道路とのこと。さらに、白樺通り、多数の牛が見られる牧場などが車窓に展開する。
美唄は、かっての炭鉱都市。いまや、過疎地帯である。
滝川~赤平~富良野~西達布と進み行き詰った。この時すでに 17 ; 07 。
一行は徒歩で幾寅に向かう。高倉健主演の「鉄道員」ロケ地「幾寅駅」のある町。約13キロ先だ。(田中要次さんはこの映画に出演している)
3時間強の歩きの途中一軒の農家でトイレを借りた。一家の人は「この番組を楽しみにしている」と一行を歓迎し、採りたてのジャガイモをくれた。(一行はこれをその夜宿泊した新得の民宿で茹でてもらいバターで食べた)
第三日
新得役場前 7 : 42 出発、帯広を目指す。
帯広~陸別~北見バスターミナル~女満別空港~網走バスターミナルと旅は続いた。
この間、バス乗車時間は約7時間強。(バス旅シリーズ新記録とか)網走セントラルホテル宿泊。
第四日
朝早く網走バスターミナルへ行ったが、目指す「斜里バスターミナル」へのバスは、12; 07 だった。5時間以上の待ち時間だった。しかし、当日中に知床五湖に着くにはこれに乗っても十分達成出来ることは分かった。
でも、一行はそうしなかった。7 : 15 発の「18線」行に乗り、そこからの徒歩16キロ斜里バスターミナルの行程を選択したのだった。そして、無事歩き通し、斜里バスターミナル発 14 : 10 知床五湖行に乗車し、15 : 35 目的地到着となったわけだが、
炎天下の16キロの歩きは必要だったのかという疑問が残る。
現にタビリスの鎌倉淳さんは、そのブログの中で無駄骨だったとおっしゃっている。
私も同感である。気温30℃を超える炎天下に、フェイスシールド付きで16キロも歩くのは暴挙と言ってもよく、例えてみれば、八甲田山死の行軍のようなもので、あそこは、さっさと歩き出す羽田さんを、田中さんが制せねばならない所と私には感じられた。
NHK朝ドラ「エール」の影響で、世間の注目は、古賀メロディーにも向けられているようだ。
ドラマでは、満州事変の昭和6年のヒット作「酒は涙か溜息か」が巷にもてはやされている様子、続いて発表された、藤山一郎の歌う「丘を越えて」の吹込みシーンなどがみられた。
”古賀メロディー”にはどんな曲があるか、少し調べてみた。
「影を慕いて」(まぼろしの影を慕いて雨の日に・・・)
「サーカスの歌」(旅のつばくろ さびしかないか・・・)
「二人は若い」(あなたと呼べば あなたと答える・・・)
「ああそれなのに」(空にゃ今日もアドバルーン・・・)
「男の純情」(男いのちの純情は・・・)
「人生劇場」(やると思えばどこまでやるさ・・・)
「東京ラプソディー」(花咲き花散る宵も・・・)
「誰か故郷を思わざる」(花摘む野辺に日は落ちて・・・)
昭和20年、戦争が終わると、次のような曲が続々生まれた。
「湯の町エレジー」(伊豆の山々月あわく・・・)
「芸者ワルツ」(あなたのリードで島田も揺れる・・・)
「柔」(勝つと思うな思えば負けよ・・・)
3000曲以上を作曲したそうで、名曲をいちいちあげればきりがない。私は、現在巷に流れている歌はほとんど歌えないが、上記の歌なら歌える。
古賀政男は、さすが、国民栄誉賞の作曲家だと思う。(昭和53年・1978)受賞。