雨曇子日記

エイティライフの数々です

名残の紅葉

2020-11-29 12:16:54 | 花散歩

 

 

11月も末となれば、流石に紅葉も終わりです。

柏市逆井の観音寺の紅葉も盛りは過ぎていました。(11月28日)

 

 

本堂の横に新しい建物が建って五葉松が植えてありました。

 

 

これらは、前からある木々です。

 

               (ミツマタ)

              (マンリョウ)

               (八つ手の花)

 

寺の名木「高野槙」は、緑の葉を輝かせ、ひときわ高く悠然と聳えていました。

 

 

東武アーバンラインの一つ先の駅「高柳」コンコースからは、北の方向に筑波山が望めました。

 

 

 

 

 

 

 


紅葉の成田山

2020-11-25 10:10:39 | 神社仏閣

 

紅葉の成田山をじっくりと見たことがない。コロナ禍の令和二年11月24日に訪れた成田山は“モミジ祭り”の期間でもありその美しさに幾分かは触れることができた。

 

 

 

成田山とは、千葉県成田市にある成田山新勝寺である。

 

 

紅葉はお堂の裏手の公園で見られる。明治以降に造られた公園だから、江戸時代の成田詣での人たちは、当然目にすることはなかった。

 

 

書道美術館、筆塚、水金窟などは、現在でも気づかずにいる人が多いのではないだろうか。

 

       (私は、今回初めてこの滝(雄飛滝)に気づいた)

 

まるで自然の一部であるような風景に、ここが造園であることを忘れ堪能できた。

 

                 

 

 

 


ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦 第三弾

2020-11-21 12:52:49 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅

 

最近は対決旅が多い。

この陣取り合戦はルールがやや面倒だが、分かってみると、なかなか優れものだ。

蛯子さんとのバス旅を25回もこなした太川さんをリーダーとしたチームに、相手はとうてい敵わないと思われるが、前回の房総半島巡りでは、河合郁人をリーダーとしたチームにあっさりと負けてしまった。これは、観ていてリーダーの力というより、メンバーの一人、パックンに依るところが大であった。

今回も、相手チームのリーダーは河合郁人(A.B.C・Z)、パックンの代わりに川村エミコ(たんぽぽ)を入れてきた。

 

         (河合チームの川村エミコと別府ともひこ)

         (太川チームは加藤諒・安藤美姫が入った)

 

パックンが抜けて河合チームは惨敗かと思われたが、善戦で接戦に持ち込んだ。それはひとえに川村エミコさんの頑張りによるものだった。

今回は、JR山形駅前出発でゴールは宮城県松島五大堂。

山形・宮城各35市町村、その地域に入って初めて知ることのできる計70の名所を、ローカルバス+タクシー1万円分+徒歩で、どれだけ征服できるかを競うのだ。

 

太川さんは、前回の敗北がよほど悔しかったらしい。まなじりを決してこの旅に臨み、天童市ー東根市ー河北町ー尾花沢市ー村山市ー舟形町ー新庄市と、北上しながら7つの名所を制覇した。それは、次のようなものだった。

天童市・・・・・盛寿庵(せいじゅあん)御将棋諸越(おんしょうぎもろこし)

東根市・・・・・ポケットパーク足湯

河北町・・・・・和田酒造(ロゼ色の日本酒・さくらんぼの恋物語)

尾花沢市・・・・焼肉ハウス金鶴(尾花沢特選カルビ)

村山市・・・・・最上川の絶景「竜神の吊り橋」

舟形町・・・・・西の前遺跡公園女神の里

新庄市・・・・・旬菜句魚「清清亭(きよきよてい)」地元市民のソウルフード鶏モツの煮込み

 

新庄市に着いたのは21時過ぎで、この日は、駅前のニューグランドホテル新庄に宿泊。

一方の河合チームはまず中山町に入り「鍋掛松」をゲット。次に寒河江市の道の駅「寒河江チェリーランド」へ行き、さくらんぼトップブランド佐藤錦が丸ごと一粒入る「プレミアムさくらんぼうきらら」を味わった。

 

ところで、この「陣取り合戦」は、一つ陣を取るたびに、蛭子さんの声で「陣がとられましたよ。陣がとられましたよ」と連絡が入り、相手がどの市町村に入ったかが分かるようになっている。そこで、河合チームは、山形を捨て宮城に入る作戦に切り替えた。そして山形空港でタクシーを拾い東根へ出て仙台行のバスで宮城入りをした。

宮城では、仙台市・・・・・牛タン料理”雅”溶ける牛たん 「絶品牛タン煮込み」を堪能した。さらに、

     大衡村・・・・・村の絶景スポット「大衡城跡」をゲット。

すでに21時を回っていたが、3キロ歩いて「ホテルルートイン仙台大和インター」に投宿。

 

そして翌日、次のような自治体を回り陣取りをした。

     大和町・・・・・梅香亭(ばいかてい)七ツ森盛クッキー

     富谷町・・・・・富谷宿(ブルーベリージュース)

     多賀城市・・・・千年前の東北の中心地「多賀城跡」

     塩釜市・・・・・武田の笹かまぼこお食事処

この「お食事処」は、塩釜港直送新鮮生マグロ食べ放題で、リーダー河合郁人さんは、「おかわり!」と言って、川村エミコさんに睨まれた。「そんなにのんびり構えていていいのか」という警告だ。

 

太川チームは前日7つの市町村を制覇したので余裕かと思ったが、新庄発5時15分の仙台行で宮城入り。(この勝利に向ける執念がすごい)

午前中に利府町「森郷児童公園」をゲットした。ここには、新幹線の元祖といわれる「電気機関車ED91」が展示してあるのだ。

 

太川さんはこれで勝てると判断し、締め切りまで6時間もあるのに、早々とゴールに到着し、松島町「瑞巌寺五大堂」をゲットし9つの陣を取った。(チームの加藤諒・安藤美姫さんが、太川リーダーのワンマンぶりを非難する陰口をたたくシーンをわざわざ入れたのは不必要と思われた。どんな形であれ太川さんを貶めてはいけない)

 

結局、結構時間があったにもかかわらず、塩釜の「生マグロ食べ放題」以後城取りができず、9-8で太川チームの勝利となった。両チームの死力を尽くしての戦いぶりがよく伝わってきた。

 

 

 

 

 

 


晩秋の柏の葉公園にて

2020-11-15 19:55:05 | 花散歩

11月13日(金)快晴で暖かな一日だったので、柏市柏の葉公園に出かけました。

 

 

紅葉の公園を散策して、公園センター・緑のギャラリーで行われていた、野草の写真展を見ました。

 

 

50近くの写真があり、花の名前、撮影月・場所などがしっかり記入されていて、とても参考になりました。

気持ちよく過ごせた一日でした。

 

     (バラ園には「伊豆の踊子」という名の薔薇が咲いていました)

 


結城紀行 ④

2020-11-10 16:01:35 | 関東の小都市歩き

結城の埋蔵金

結城には埋蔵金が今も眠っているらしい。

大正6年(1918)結城藩主の子孫で水野直(なおし)という人が一年間も城跡の周りを掘りまくり、見物人目当ての屋台まで出たという。

八代将軍吉宗は、大岡越前守に命じて埋蔵金を探させたが、見つからなかった。

幕末には阿部正弘が結城市小塙で発掘を試みたが失敗。

この埋蔵金とはどのようなものか?

結城家の初代結城朝光という武将が、源頼朝の奥州征伐に従軍した際、褒美として入手した平泉の黄金ということだ。

  重さ8kgの金の延べ棒 5000本余り

  30㎏の砂金の樽 100個以上

時価1兆円という代物らしい。

埋蔵したのは、慶長19年(1614)81歳で亡くなった結城晴朝。

結城家に養子に入った家康の次男秀康は、すぐさま家老に命じて探させたが出てこない。(そのせいでもないだろうが)旧姓に戻って福井の殿様になってしまった。

結城市の金光寺は、金を埋蔵した結城晴朝の創建とされる寺であるが、その山門の柱に埋蔵場所のヒントとなる短歌が彫られている。

きの 荢 かふゆうもんに さくはなも みどりのこす 万代のたね

こふように ふれてからまる かきつばた つゆのなごりは すへの世までも

あやめさく 水にうつろうかきつばた いろはかわらぬ 花のさくまで

 

 

 

 

 


結城紀行 ③

2020-11-09 22:22:51 | 関東の小都市歩き

 

結城の町を歩きました。ほとんど人通りはありません。

 

        (市役所に一台の車が入っていったところです)

 

主な通りには、明治・大正期の商店が軒を連ね、その多くは、文化財の指定を受けていました。

 

 

結城と言えば紬。「結城蔵美観」に入りました。

 

 

絹糸から布地を織り着物を作ります。結城紬は歴史が古く、鹿児島県奄美大島の大島紬と並び称されました。それ以上の知識はないので、興味深く拝見しました。

私は昭和10年生まれという年寄りですが、子供時代からもう洋服の生活でした。着物の記憶はありません。もう、結城とか大島とかを着る時代ではなくなっていました。

でも、結城の町がこういう形で残っているのは、懐かしいような、うれしいような気がします。

 

 

こちらの商店でも展示がありました。

 

 

江戸時代中期のことですが、与謝蕪村がこの地に10年滞在したのは、町の持つ風格というか、それなりの魅力があったのだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


結城紀行 ②

2020-11-08 21:03:20 | 関東の小都市歩き

昼食をとったフランチレストランから市街地の方に歩き出し、大輪寺の境内に入った。

 

 

真言宗豊山派の、由緒の深そうな寺だ。

 

                     (これが山門で仁王さんもいた)

                    (いくつもの堂宇があり、新しい仏像も作ってあった)

 

この寺を出て町の中心地に向かうと、つぎつぎに寺が現れた。その一つ、浄土宗の弘経寺に入る。

 

     (10年も結城に滞在した与謝蕪村の句碑・襖絵もあるとか)

       (墓地に入ったら苔むした墓石がずらりと並んでいた)

                (堂宇の一つ)

 

後で調べたところ、この寺は一度も火災にあったことがないとのこと。この古色蒼然としたたたずまいもうなづける。

結城市には59もの寺があり、そのどれもが風格があり、乱れがない。街の景観に収まっている。

「追記」

寒月や門無き寺の天高し

宿かせと刀投げ出す吹雪かな

斧入れて香におどろくや冬木立

などの句で知られる与謝蕪村は、寛保2年(1742)俳句の兄弟子、砂岡雁宕(がんとう)を慕って結城に来た。この弘経寺に寄寓し、その間宇都宮に行ったりしたが、この地に10年も滞在した。

句碑の「肌寒し己が毛を噛む木葉経」は、この寺に伝わる狸が木の葉に書いたといわれれる「木葉経」に題をとったものと思われる。(蕪村仮寓の寺と思うと一層この寺が床しく感じられる)

 

     

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 


結城紀行 ①

2020-11-07 14:03:02 | 関東の小都市歩き

結城に行ってみたいと思った。結城は下総の国の北の端。

私の住む柏市の享保10年の庚申塔には「下総国相馬郡塚崎村」とあり、紬で有名なあの結城が、同じ国であることに親近感を持ったからだ。

柏から常磐線で友部、水戸線で結城(千葉~茨城)というのが分かりやすいルートだが、東武線で埼玉県栗橋に出て、宇都宮線小山、水戸線結城、という(千葉~埼玉~栃木~茨城)ルートをとった。所要時間は同じくらい(2時間強)だ。

 

            (宇都宮線栗橋駅の長いホーム)

      (栃木県小山市 小山駅東口前 白鳳大学の雄姿)

    (水戸線結城駅は小山から二つめ。10分もかからない その北口)

 

駅前の案内図を頼りに見当をつけていた食事処の「カフェ・ラ・ファミーユ」(だったかな)というフランス料理の店を探した。

人に聞こうとしても誰も歩いていない。

けれども何とかたどり着いた。

 

 

見た目より美味しかった。値段も手ごろ。

 

 

粗末な建物だが、雰囲気はあった。なかなかの繁盛店らしい。

でもこれは、結城の歴史にはない。

非結城的なところで昼食をとって、結城の本質に迫ろうと思うのだ。

 


2020 .10.30の鎌ケ谷球場

2020-11-01 16:47:02 | 野球談義

コロナ禍で、初めて足を運んだ鎌ケ谷球場。

 

 

10月30日は、イースタンリーグ鎌ケ谷球場での最終戦、ヤクルト3連戦の初日だった。

 

 

入場券を求めた時、電話番号を申告し、普段は自由席だが、今回は指定された。「席を移動せず、マスクで観戦」が求められた。

 

 

球場のコンコースは、かなり閑散。

 

 

ソーシャルディスタンスとやらは、十分と思われた。

 

 

この試合は中継放送され、解説者席には、森本稀哲(ひちょり)氏がいた。

 

     (サービス精神満点の元日本ハム外野手森本稀哲さん)

 

12時30分試合は始まった。

 

 

日本ハムの4番は、背番号66の万波中正選手。選手名鑑に鎌ケ谷の”初代大食い王”と紹介されている。

 

 

この日は4ー4で、10回裏3番谷口雄也選手が申告敬遠され、一死1・2塁のチャンスが巡ってきたが、万波選手は内野フライに終わった。陽気で練習熱心だそうだから、来期の活躍を期待しよう。

 

 

試合は引き分けに終わり、ピンチをしのいだヤクルトはまるで勝利したかのように引き上げた。

 

 

この日の入場者数は535人とのこと。

 

 

海上自衛隊下総航空基地の練習機が2分間隔で飛んできたので、そちらにも気を取られた。

よい野球観戦だった。