雨曇子日記

エイティライフの数々です

満月から満月へ

2018-01-31 19:44:11 | エッセー

                         ( 平成 30 年 1 月 1 日の満月 )

 

 

平成 30 年 1 月 1 日は満月だった。旧暦(太陰暦)の 11 月 15 日にあたり、今日 1 月 31 日は 12 月 15 日だ。

従って、平成 30 年 1 月は、満月に始まって満月で終わる。

 

この一か月、とに角速かった。年をとればとるほど月日の経つのが早い(ように感じる)。

そして、寒い一か月だった。

 

私の住む下総台地北部、柏では、一日の最低気温がマイナスを記録する日が 23 日あって、22 日の積雪は約 10 cm でした。

昨年のようすを日記帳で調べてみると、最低気温のマイナスは 22 日あり、雪こそなかったけれど結構寒かったのです。

でも、今年ばかりがやけに寒いように思われます。

 

                   ( 30 日、わが家の前、午前 7 時ごろ )

 

さて、31 日の満月は皆既月食になるというので、張り切って待機していました。

 

              ( pm 8 : 48 ごろから欠け始めました )

 

NHK のニュースウオッチ 9 では、くわしく報じていました。

 

 

私のデジカメ撮影はあきらめて、テレビ鑑賞に切り替えました。

 

 

 

 

 

 


佐伯泰英氏の時代小説と東慶寺

2018-01-27 22:04:24 | エッセー

 

私の blog “新春散策 東慶寺”に謙三さんがコメントをくれた。

「最近読んだ佐伯泰英さんの小説の中で東慶寺はよく出てきました」

私は佐伯氏を知らなかったので、さっそく図書館へ行き、小説の作家別の棚を探しましたが、ここにはありません。

受付のカウンターに行って訪ねると、佐伯泰英の文庫本だけを集めた棚を教えてくれました。これは、いかにこの作家の本が読まれているかの証拠だと思いました。ここから適当に 5 冊、あとハードカバーのエッセイ集「惜櫟荘だより」の計 6 冊を借りてきました。

「惜櫟荘」(せきれきそう)は、岩波書店の創始者岩波茂雄が熱海伊豆山に 1941 年に建てた別荘で、成田山新勝寺を設計した建築家吉田五十八による名建築らしい。

老朽化していたが縁あって佐伯泰英氏が譲り受け後世に残すために完全復元し、現代に蘇らせた。

エッセイ集「惜櫟荘だより」は、この再建過程を詳細に記録しているが、同時に佐伯氏の作家としての経歴が語られる。氏が一か月一冊のペースで書き上げる時代小説と併せて読んだ。

老年となって活字離れが進んでいる私だが、これは、面白く読めた。

 

ところで、私が読んだ 5 冊には、東慶寺は出てこなかったが、場面として登場することは想像でき、健三さんはそれを楽しまれたのだろう。

東慶寺には、岩波茂雄の墓があり、これも一つの因縁ではないかというのが、私の読後感である。

 


北千住東口

2018-01-26 21:41:46 | 東京散歩

 

存在は知っていましたが降りたことのない北千住東口です。

東武電鉄“マンスリーとうぶ”の「新・駅前そぞろ歩記」を頼りに歩いてみました。

 

 

東京電機大学がここに進出したのは、平成 24 年( 2012 )で、以前は“日本たばこ”の社宅だったそうです。

駅からの“学園通り”は活気があります。

 

 

この通りを抜けると、「新・駅前そぞろ歩記」の言葉を借りれば、“古きよき顔”“わくわく路地裏ラビリンス”が開けます。

 

 

記事に、「徳川家康がこの地を訪れた際、青々と茂る柳の様子から神聖な土地と感じ江戸城の鬼門除けとして創建させた」と紹介されている柳原稲荷神社です。

 

 

今日もまた筑波よく見え芦枯るる  

明治以降の句碑と思いますが、江戸時代と変わらぬ風景だったことが想像されます。

近くに稲荷ずし屋さんんがありました。

 

 

立川談志のひいきの店だったようで、私は、談春の“赤めだか”やTV ドラマを通しての談志しか知りませが、なんだかなつかしく思い、店主と話し込んでしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018 亀戸天神鷽替え

2018-01-25 20:45:21 | つれづれ

 

2018. 1. 25  亀戸天神鷽替えの列に並ぶ。 11 ; 07 だ。依頼人に携帯で知らせると、「どの辺?」と聞くから「牛のあたり」と言うと、「去年に比べればずいぶん少ない」と言う。

 

                     (晴れ渡っているが空気は冷たい)

                  (鷽は、サイズが大きくなるにつれ初穂料とやらが高くなる)

                      (持参した昨年の鷽を、この棚に戻す)

 

約一時間の待ちで目的の鷽を get した。嘘ではない。

 

 

「里神楽」なるものをちらっと見て帰路を急いだ。

 

 

牡蠣フライのためだ。

 

            


雪の日

2018-01-23 21:10:55 | つれづれ

1 月 22 日、関東地方は大雪に見舞われました。

雪は、23 日未明まで降り続き、東京に 4 年ぶりの「大雪警報」が出されました。

 

               ( 22 日夕方、我が家の窓からの風景 )

 

私の住む千葉県柏市は、22 日午後より降り始め 23 日未明まで降り続きました。

23 日、25 cm ほどの積雪でしたが住民の手でまもなく除雪されました。

 

 

車も走っています。

 

                           (近所の国道 16 号 )

 

大津ケ丘公園に行ってみました。

 

                      ( ソメイヨシノの芽は固く小さい)

                          ( こちらはハクモクレン )

                             (サザンンカ)

                         (柏市市街地遠望です)

                       (眼下の大津川に架かる権現橋です)

 

新聞によると、東京は大変だったようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


寺カフェ  “安寧”

2018-01-22 16:13:14 | 

 

北鎌倉円覚寺の参道を進み、妙香池を左手に見て少し先を右手に階段を上った如意庵の門をくぐると、そこが寺カフェ“安寧”。

靴を脱いで上がり、縁の長椅子に腰かけて案内を待ちます。

限定オープンですが、知名度が高くなり待つこと必至ですが、1 月 18 日(木)は、すぐ案内いただけました。

一行 6 人で、仏間に隣接のカーペットの敷いてある畳の間です。(写真を撮り忘れました)

 

                       (縁側の庭に臨んだ席)

                            (一月の庭)

 

茶室もありました。

 

 

席に着いただけで心が和みます。

メニューは抹茶と珈琲のみですが、どちらにも季節の薯蕷饅頭と薫り高いほうじ茶が付きます。

 

 

どちらも丁寧に淹れてあり、レベルの高いものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本一奪回へ!  2018 日本ハムファイターズ

2018-01-20 20:46:18 | 野球談義

1 月 20 日(土)千葉県幕張メッセで行われた“日本ハムグループ製品展示会”でファイターズのメンバーが勢ぞろいし、監督は力強く日本一奪回の決意を表明した。

 

                       (会場をびっしり埋めた聴衆)

           (舞台には球団マスコットも登場し、選手たちの登場を待つ)

          (一人一人名前が呼ばれ、まず吉井コーチが登場した)

           (コーチ陣は荒木大輔二軍監督、飯山裕志コーチなど新顔も多い)

             (投手陣は目立った補強がないので一層の奮起が望まれます)

         (昨年は故障で欠場が目立った近藤健介選手、今年はシーズンを通して頑張って!)

           (西川遥輝選手もチームの中核としての活躍が期待されます)

                (栗山監督は力強く日本一奪回を誓いました)

 

セレモニーが終わって、日本ハムグループ製品展示会場で選手たちを撮らせてもらいました。

 

        (昨年の新人石井一成選手、自主トレの成果が顔に出ていますね。期待しています)

     (捕手石川亮選手(右)13年ドラ①内野手渡辺諒選手(左)、今年は君たちがブレークだ!)

      (昨シーズンの大ブレーク、おにぎり君の異名wそとった横尾俊建選手、今年も頼みます!)

         (金子コーチの役割はますます大きくなります。よろしくお願いします!)

 

2017 年ドラフトで入団した選手たちの紹介もありました。

 

 

左から 清宮幸太郎(内)早稲田実業高  西村天裕(投)NTT東日本  田中瑛斗(投)柳ヶ浦高  

難波侑平(内)創志学園高  北浦竜次(投)白鴎大足利高  鈴木遼太郎(投)東北学院大  宮台康平(投)東京大

 

     (ファイターズの印象として皆が「家族のよう、フレンドリー、仲のよさ」などと言っていた)

      (最後にみなそれぞれの目標を色紙に書いて披露した。みな大きな抱負だ)

   

                (大勢のファンが君たちの活躍を祈っていますよ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新春散策 第 2 弾 円覚寺

2018-01-19 16:48:43 | 大歩危トラベル

東慶寺のあと、円覚寺の門前に来ると、ちょうど横須賀線の踏切が下りて下り列車が通って行きました。

 

 

門前に出ました。東慶寺二世住職釈法演師百年遠忌の大きな立て看板が出ています。師は円覚寺の管長も務め禅を ZEN として世界に広めた功労者の一人で、禅宗のみならず日本仏教の中興の祖とでもいうべき高僧です。

 

 

総門と言われる第一の門をくぐります。

 

総門を入ってすぐ、入山料 300 円を支払う入口があります。今しも雲水さんが深々とお辞儀をしてして入って行かれました。

 

 

山門の先、仏殿までの広場で、園児が凧をあげていました。(今は、参詣者が最も少ない時期のようです)

 

 

門より一直線にのびる参道を進み、坐禅道場の、選仏堂、居士林などの風情ある建物の前に出ました。居士林の「居士」とは、在家の禅の修行者という意味で、こちらは、学生とか一般人が「座禅体験」をする道場のようでした。もとは、東京にあった柳生流の剣道の道場ということです。

円覚寺の HP に「居士林だより」という欄があります。禅を学びたいという在家の人へのメッセージが書かれているのでしょう。

 

 

方丈と書院に囲まれた庭園と、参道を挟んだ「妙香池」をながめていると、韓国の女性に声をかけられました。

池は、「韓国語のガイドブック上のどこにあたるか」というような問いかけでした。

 

 

そこは、方丈と書院に囲まれた池泉庭園だったので教えることができました。

 

 

少し進んで、谷を切り開いた時の露出した岩をそのまま残した「虎頭岩」を中心としたとした池「妙香池」(みょうこうち)と、国宝になっている舎利殿を見ました。

 

 

このあたりで英国のマンチェスターから来たというシャルロットジョンソンさんに会いました。

こちらから話しかけて、彼女が韓国と日本の一人旅ということを知りましたが、語学力がないのでそれ以上は会話は進みませんでした。

 

     

 


新春散策 第 2 弾  東慶寺

2018-01-18 21:56:49 | 大歩危トラベル

2018 年大歩危トラベル散策第 2 弾として、1 月 18 日北鎌倉東慶寺、円覚寺を歩きました。

 

                        ( JR 横須賀線北鎌倉駅下りの長いホームに着きました )

                        (昭和 2 年築の駅舎を出ます)

            (東慶寺は駅から徒歩 5 分。お集まり下さってありがとうございます)

 

1285 年 北條時宗夫人の覚山尼開山の東慶寺。明治からは尼寺ではなくなりますが、女人救済の治外法権をもち“駆け込み寺”として歩んできた寺の歴史は今も残り、やさしい風情が感じられます。

 

                                  (書院の庭)

                        ( マンサクの花 )

                               ( 歌碑 )

                          (本堂の釈迦如来坐像)

        (金仏。右手後方の建物は松岡宝蔵で、江戸時代の縁切り状等寺宝が展示されている)

                             (境内の石仏)

 

境内奥の墓地には、鈴木大拙、西田幾多郎、安倍能成、などの哲学者を始め多くの有名人の墓がありますが、歴代の尼僧、特に五世の用堂尼、二十世の天秀尼の墓に惹かれました。

 

               

 

後醍醐天皇の皇子護良親王は、足利尊氏に鎌倉に幽閉され弟の足利直義の家来に殺されますが、姉である用堂尼がこの寺に入って親王を供養されたことが想われます。この墓は宮内庁の管理下にあるそうです。

また、二十世の天秀尼は、豊臣秀頼の側室の子で、兄国松と大阪城から脱出しますが、国松(8 歳 )は殺され妹奈阿姫( 7 歳 )は千姫の養女となってこの寺にはいります。37 歳で亡くなりますが、その間世話をしたのは豊臣秀吉の側室“甲斐姫”といわれます。その宝篋印塔も、歴代尼僧のなかでひときわ大きな天秀尼の墓碑に 並んで建っています。

 

                    (歴代の尼僧の墓石が並ぶ一画にて歴史を偲ぶ)

 

今年平成 30 年 11 月、円覚寺の大事業として、近代的な禅の確立に努めた釈宗演老師の 100 年遠忌が行われるが、老師は円覚寺・建長寺の管長を辞された後東慶寺住職となられた。

 

                        (釈宗演老師の墓)

 

白梅、紅梅で名高い東慶寺の梅もまだ時期が早いようです。

 

 

 

 

 

 

 

      (


新春散策

2018-01-12 13:53:21 | 大歩危トラベル

わが大歩危トラベル新春企画“東京近郊散策”にお集まり下さいましてありがとうございます。

 

 

ご存じ、千葉県中山法華経寺です。

 

 

今日、最もご案内したいのは、日蓮上人“立正安国論”です。

 

 

平成 25 年に建った日蓮像が左手に持つ巻物一巻、これが、立正安国論。

巾 29 cm 長さ 16 m に及び楷書できっちり書かれているそうです。

提出された北條時頼は邪見に扱い、あろうことか、迫害すら加えましたが、今やこの巻物は国宝です。

この法華経寺にはその写しがあって(これが国宝)境内の高見に建つ“聖教殿”に保管されているのです。

 

 

この建物昭和 6 年築ですが、どこか築地本願寺のそれと似ています。

それもその筈、建築家の伊東忠太によるものだからです。ご存知のように伊東忠太は、平安神宮、築地本願寺などを設計し文化勲章も受賞した方です。東京駅を設計した辰野金吾の弟子です。

 

法華経寺散策の後、JR 下総中山駅前の“海商寿司”という店に行きました。

 

                  ( こちらは、おそろいの赤でまとめたおしゃれな K 夫妻 )