雨曇子日記

エイティライフの数々です

柏市泉蔵寺の庚申塔

2023-06-18 16:47:58 | 神社仏閣

柏市大島田の真言宗豊山派の寺「泉蔵寺」の門前にある庚申塔。

お堂が新しくなった。

 

 

宝永5年富士山噴火の翌年の造立の庚申塔。

よく見ると頭が3つ。

 

 

正面のお顔には、歯が刻まれている。

 

 

宝永五戊子(1708)十月吉日と刻んである。

そんなに古くはないが、かなり貴重だと私は思う。

 

 

足許は何かを踏みつけている。天邪鬼(あまのじゃく)か。

 

 

私には読めないが、講のメンバーらしき名前が書いてある。

一番下に三猿。

 

 

そのほかいろいろ彫りつけてある。

 

 

これは、やっぱり文化財として保護すべきものではないか。

そう考えると、お堂が改築されとてもよかった。

 

 

 


六地蔵

2022-08-01 12:08:12 | 神社仏閣

柏市大島田の泉蔵寺の六地蔵が新しくなった。

 

 

尤も、新しくなったのは屋舎で、地蔵様ではない。地蔵様の家がリニューアルされた。

私がのこれに気づいたのは7月31日のことで、正確には7月の某日である。

 

 

向かって一番左の地蔵様は、10年以上首が取れたままだったから、全員無事な姿で勢ぞろいしている姿は久しぶりだ。

そもそも何故改築工事がなされたかといえば、4月ごろ、あるそそっかしい車が突っ込んで、建物を壊したからだ。

いったいいつ頃のお地蔵様か、どこかに書いていないか調べてみた。

 

 

写真には撮れなかったが、確か”享保”と書いてあったと思う。

しかし、地震でもあれば倒れそうな気がする。

 

 

順序不同で、それぞれのお名前を確認して撮っいないので、お許しを。

 

 

いつまでも6体そろって私たちを見守っていてください!

 


柏市名戸ヶ谷香取神社の百庚申

2021-10-27 14:36:38 | 神社仏閣

柏市名戸ヶ谷の香取神社、社殿鳥居は平成のものだが創建は江戸時代中期以前にさかのぼる。

 

 

この境内に百庚申がある。西と東の隅に50基以上石碑が並んでいるが、これが百庚申である。

 

 

庚申塔が百を超えたのは、元治元年(1854)甲子歳であったようだ。

 

 

庚申塔の高さは、50㎝ほど。「庚申」「青面金剛」など、文字だけのものが大部分だ。天保年間(1830~1843)のものが多く、100の像立を目指したのであろう。

 

 

昭和40年代に地元の浅野工務店により現在のようにきちんと並べられたのだろう。

 

 

この神社で見られる一番古い石像は、正徳二年(1712)の如意輪観音像であった。

 

 

 

 

 


柏市大島田 泉蔵寺の庚申塔

2021-10-24 12:45:35 | 神社仏閣

柏市大島田にある真言宗豊山派の寺泉蔵寺の門前に一基の庚申塔がある。

 

 

「この庚申塔は昔からここにあったのですか」と、ある時私が寺の人に聞いたら、(その方は住職ではなく庭を掃除していた人だったが)「昭和になって持ち込まれたものらしいですよ」とのことだった。

とにかく、今はここにある。

 

 

高さは、50㎝程で小ぶりの像だが、私が珍しいと思うのは青面金剛の顔が三面に彫られていることだ。

 

 

宝永5年(1708)というのも、この辺りで見かける庚申塔としては古い方だ。富士山が噴火し宝永山ができたのは宝永4年。

庚申塔のパターン通り足の下には天邪鬼、その下に、講の人の名前、さらに、三猿が彫られている。

 

 

 

三猿の隣りに鶏らしきものが彫ってあるのは、庚申講の集まりが鳥の鳴く朝まで続いたことを示しているらしい。人間の悪行を天帝に告げる虫(さんし)は朝になれば退散するとの信仰だ。

 

 

文化財に指定されていなくとも、このような歴史遺産は大事にしたいものだ。

 

 

 

 

 


雨引観音

2021-03-08 17:46:44 | 神社仏閣

 雨引観音に関心を持ったのは、柏市塚崎の真言宗豊山派の寺寿量院で戴いた「豊山宝暦」に「3月1日茨城雨引観音河津桜祭り~31」と書かれていたからだ。深山幽谷の地というべき立地に堂宇を連ね、河津桜も所々に彩を添えて見事だった。写真を100以上撮ったが不注意で消してしまった。どれだけ情景が伝えられるか心もとないが、写真なしで印象を記してみたい。

 自宅から筑波経由で車で連れて行ってもらったのだが、国道6号から408号に、つくば北条の交差点から県道に入り、筑波山を右手に見て眞壁の町をどんどん北に進み、しばらく進んだところで右手の山道に入った。後で地図で調べてみると、そこは加波山(709m)の北、日光いろは坂といっては大げさだが、曲がりくねった山道をかなり登ってきた。雨引山の中腹に建ち天引観音を祀る雨引山阿弥陀院楽法寺(真言宗豊山派)がここにあった。創立が用明天皇2年(587)というからすごい。

 車で仁王門近くの駐車場まで来てしまったので、山裾から仁王門への145段の大石段には気づかず、横手から境内に入った。それでも寺をめぐる立派な石垣は目についた。文政年間(1818~1830)幕府の下賜金で築いたそうだ。樹齢千年を超える椎の大木もあり霊気を醸し出している。

 境内には一羽の孔雀がいた。参詣客のカメラに囲まれ悠々と羽を広げている。一度開くと次までは相当の間隔がある。羽を広げていたらすぐカメラに収めることだ。この孔雀の存在は満開の神津桜に匹敵するものがある。境内からの景観の第一は、筑波山の裾野から広がる関東平野の大パノラマだ。かって筑波山山頂から眺めたことがあるが、その感動を思い出した。堂宇は、入母屋造本瓦葺の観音堂(宝永7年・1710)三重塔、など歴史が感じられる趣のある建物が並ぶ。お土産屋には江戸時代の絵馬がいくつも掛けてあった。山を登っていくと夥しい数の水子地蔵があった。これは、近年のものだ。

 ”百聞は一見に如かず”というが、折角撮った写真を不注意で全部消してしまったのは返す返すも悔しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


平成にできた 柏七福神 

2020-12-23 13:19:16 | 神社仏閣

12月21日(月)柏市塚崎の神明社に行ったら、社務所に「柏七福神」のパンフが置いてあった。

 

 

柏市花野井の寺院「花井山大洞院」の毘沙門天を①として⑦の柏市大井福満寺の布袋尊までのコースが書かれている。

”七つの神に詣でれば七つの禍を避け七つの幸福を授かる”

などと、パンフには書かれている。

神明社のそれは、⑥番目の大黒天で、すぐ見つかった。

 

 

⑦番目の布袋尊が鎮座する福満寺にも行ってみた。

 

 

地元柏市の石材店制作だから、どこか似ている。

JR柏駅に最も近い柏市柏4-10-22の幸町幸弁財天にある弁財天にも行った。

 

 

柏市に七福神ができたのは2018年と、ごく最近のことだ。(朝日新聞2019.1.11の記事より)

理髪店主濱田秀雄氏を代表とする「街づくり柏七福神の会」から始まり、9年かかって完成。市内在住の画家長縄えい子さんの描く御朱印もできた。

①花井山大洞院 毘沙門天(柏市花野井1757)

②香取神社 恵比寿天(柏市旭町2-7-23)

③幸町弁財天 弁財天(柏市柏4-10-22)

④豊受稲荷本宮 福禄寿(柏市豊四季972-14)

⑤香取神社(戸張) 寿老人(柏市戸張1309)

⑥神明社 大黒天(柏市塚崎1460)

⑦福満寺 布袋尊(柏市大井1708)

 

 

 

 


紅葉の成田山

2020-11-25 10:10:39 | 神社仏閣

 

紅葉の成田山をじっくりと見たことがない。コロナ禍の令和二年11月24日に訪れた成田山は“モミジ祭り”の期間でもありその美しさに幾分かは触れることができた。

 

 

 

成田山とは、千葉県成田市にある成田山新勝寺である。

 

 

紅葉はお堂の裏手の公園で見られる。明治以降に造られた公園だから、江戸時代の成田詣での人たちは、当然目にすることはなかった。

 

 

書道美術館、筆塚、水金窟などは、現在でも気づかずにいる人が多いのではないだろうか。

 

       (私は、今回初めてこの滝(雄飛滝)に気づいた)

 

まるで自然の一部であるような風景に、ここが造園であることを忘れ堪能できた。

 

                 

 

 

 


写経の寺

2020-04-12 17:09:52 | 神社仏閣

 

こんな案内がポストに入っていた。今まで、毎月一回の写経会を行っていた寺だ。

コロナウイルス感染を警戒し、日常の申込み制とし、換気のいい安全な場所を提供しようということだろうと思い、出かけた。

 

 

写経は本堂の横、昨年竣工した客殿が用意されていた。

 

 

受付に、副住職さんがいて、入り口の扉は開け放し換気をよくしてあった。

静かな空間で写経に集中できた。

 

        (ここに立って千手観音のパワーを受ける)

 

ここは、柏市塚崎の真言宗豊山派の寺で、高台にあるので見晴らしがよく落ち着いた気分になれる。駐車場も門柱の右側の坂を 20m ほど上ったところにあり、 10 台ぐらいは入れる。

 

 

 

 

 


我孫子市中里の薬師三尊像と十二神将像

2020-02-11 16:51:35 | 神社仏閣

「5 年がかりで修復され 2 月 11 日開帳」のニュースを朝日新聞千葉版で知って、成田線湖北駅北口に来た。

 

 

線路沿いの道を成田方面に進み石井踏切を左折するとすぐ。

 

           (お役目ご苦労様です)

 

お堂に安置された仏様を拝見した。

 

       (中央が薬師如来 脇侍は日光・月光菩薩)

             (薬師如来のお顔)

         (ガラスケースに収められ、このように展示してある)

            (十二神将に近寄ってみる)

           (思いっきり近寄った)

 

朝日新聞の記事はこう伝えている。

「・・・作られてから 200 年以上がたち、仏像の光背や手足の先端部分が壊れ、武器など仏像が手にする持物や台座がなくなるほど劣化が激しくなった。このため、住民らが 15 体の修復を計画、寄付金の受け皿となる「中里薬師堂奉賛会」をつくり、2015 年に修復事業を始めた。・・・」

 

          (奉賛会事務局長の松下俊之さん)

 

松下さんは、中里地区の住民となって 9 年目とか。だから、在住 4 年目からこの運動に取り組まれた。様々な苦労を乗り越えての一つの事業の達成、そこに注がれた熱意とご労苦に敬意を表したい。

 

薬師堂には、時代物の様々な石碑が並び聖地であることを感じさせた。

 

 

ところで、この仏像は、年に一度 2 月 11 日に開帳され、普段は秘仏となって拝観できないのだそうだ。ただ、2 月 15 日 ~ 18 日までは、市民プラザ行われる「我孫子市文化財展」のなかで公開されるとのこと。

 

 


柏神社の豆まき

2020-02-03 17:04:35 | 神社仏閣

2020 年 2 月 3 日 今日は節分。午後 3 時からの柏神社の豆まきに行った。

 

 

柏駅東口を出て 3 分、旧水戸街道にある柏神社は、見かけは新しいが、昔からの由緒のある神社だ。

 

 

       (明治の頃の石碑・合祀の羽黒山の石碑だったと思う)

 

 

豆まきは午後 3 時から始まった。

 

 

        (柏のマスコット・カシワニ君も登場)

 

私が思うに、この豆まきは、ハードが立派なわりにソフトが貧弱。

つまり、舞台は立派で、豆をまく人の衣装も立派だが、挨拶もなくいきなり本殿に登場し、バラバラと撒く。

そして、あっという間に終わった。

 

           (私が拾った豆とお金・家で撮影)

 

私は遠くから写真を撮っていたが、足元に飛んできたのでゆっくり拾った。誰かと奪い合ったのでは決してない。