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春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

秩父札所道、中心地の霊場、西光寺。ちょっと報告も。

2024-02-10 19:50:29 | 秩父34札所

秩父の中心街、秩父神社前の町並みを見たのは、
2021年5月2日。
寺域を囲む白い土壁が、綺麗だった、
札所16番・西光寺。
2本の柱に、切妻の屋根を乗せただけの、
棟門をくくれば、



参道の樹木が、お堂が霊場の落ち着きを漂わせる。



1710年に本堂が落成するまでは、
👇札所に千手観世音菩薩を安置されてたという。
柱には、千社札が打ち付けられた無数の釘穴がそのままに・・。



西光寺が落成したのは1736年ごろ、
堂の正面の欄間には、釈迦の涅槃像の彫刻が見え、
動物や弟子たちも彫られてる。





回廊堂は、四国八十八霊場の砂場があり、
特別に作ったのは、
1783年、浅間山噴火で亡くなった人達の精霊を慰めるため
住職が浄財を集めて10年後に造った回廊。












回廊の出口に地蔵さん。






30石樽の中に大黒さん。
ここでは商売繁盛の後利益と、参拝者の名刺がぎっしり。
大正時代に置いて、茶室になったり・・・。





今日は、経過観察の通院日で
良好になっている血液検査から、CT撮影
投薬は50日分になって、予約日がだんだんと遠くなった
それまで どんぐり眼 先生に会えないの ?と言った
それは嬉しいけど・・言うや、間髪入れず
命を預けたくらいの気持ちがあったんでしょッ ‼

口をつぐんだ続きは、きっと
『そのくらい何 ‼、言う通りにしなさい ‼』
河童、診察室の天井の隅ににらんで
口はへの字


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堀文子画伯、82歳でヒマラヤの芥子の花を描く。

2024-02-07 20:17:51 | Extra

昨日午前、4メートルほど幅の道の雪かきをしました。
若手4人と、私ちょっと年配とで。
息を切らして、手を休める若手、
身体を動かすことを苦としない私。
おッ ‼ まだいける・・。
晴れ晴れした気分に、
堀文子さん描いたねヒマラヤの芥子の花が浮かんだ。
82歳でヒマラヤ4500メートル付近で、
見つけた、20センチばかりの芥子の花。



堀さん、
旅先はひとり、事前の調べもしない、

行ってから驚く。体験主義者だという。
「息の絶えるまで、感動していたい、
それが"現在いま"という時間なのです」

群れない、慣れない、頼らない 





















世の中は目立つものだけで成り立つのではない
名もなきものが世界を支えている
そのことに堀さんは刺激を受け、筆をとった 

82歳でヒマラヤへ行き描いた芥子の花
100歳で亡くなってから6年

5年まえ箱根成川美術館で見た、芥子の花の絵
82歳になったら私もヒマラヤに行く
掻き立てられた思いは
雪かきでふつふつと・・‼

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秩父札所15番、ひよこ色の花に少林寺。

2024-02-06 19:09:51 | 秩父34札所


昨日の雪、仲間が日本橋に出かけて午後4時に離れた。
高速は早々と閉鎖、挙句に甲州街道も閉鎖して、
帰宅したのは11時、7時間かかったと。
主要幹線2つとも閉鎖、どうして? とぼやくことしきり。


👇参拝するのに、正面から入らず、
駐車場からショートカットで、
境内に入る河童の無神経さ  ‼


👇ちゃんとした門があるのに・・。


1878年の火災からの教訓からの、
明治の館のような漆喰のお寺。
秩父札所15番・母巣山₍藏福寺の山号₎ ・少林寺。
かつて、秩父神社に有った、札所15番だった蔵福寺、
廃仏毀釈で廃寺になるとき、
藏福寺の住職は、近在のお寺たちに、仏具を振り分けてた。
十一面観世音菩薩様は、今もそのお寺さんにある。
住民は、消える15番札所を維持するために直訴、
ここで少林寺を15番札所にした。


👇「五葉山 少林禅寺」という名前のお寺というでした。 



藏福寺の観音様がここには無くても、思う訳で、
大きい像が、歴史ある像が、有名な彫師が彫った像だけが、
参拝者の心を和らげ、
明日も生きる勇気付けられる・・・とは、ウン ‼ 思えない。

祈りって、きっと胸の叫びが、させるものだから、
どこでも祈れる、形の無い像を心に刻んでも・・と思う ‼

参拝した3年まえ、こんな思いを、私は持っていなかった。





👇事件ではなく、≪ 秩父山あい、俺たちの叫び »・・・。








ひよこ色の、花が綺麗だった

今頃、住職が植えた、5000株の福寿草も
咲いてるのでしょう







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秩父札所道、時代に翻弄されて今宮坊。

2024-02-04 18:56:49 | 秩父34札所

今日の雨、明日の雨、春はそこまでの知らせの雨・・・
けど・・・さむい ‼

平安時代、貴族が遠くの寺や神社への、参拝が広まり、
参拝の前に身を清めるために、宿坊が・・・
観光の始まりは、この時代からでしょうか・・

一般庶民も観光気分で寺社参拝に、
出かけるようになった江戸時代、宿坊は顕著に整備され・・
 1750年、御開帳の午年の記録では、
正月から3月21日までに、4万余の参拝者で、
秩父領16ヶ村の人口1万7千人余の時代、
受け入れも容易ではなかったという。



ここ今宮坊辺り、
秩父にある修験道場の中でも中心だった道場でした。
1872年、修験禁止令が出て、
いま、こじんまり無住になって観音堂が・・





👇1569年、武田信玄の秩父侵入で戦場になった、
秩父の社寺は、焼き払われてしまう
秩父神社も、吉田椋神社も、廣見寺などことごとく、
1038年からの今宮坊も、また
・・・のに ‼



本堂は、1709年に再建されて・・






👇勢至菩薩堂


気分の薬として胸のつかえをとってくれるなら、
爽快感を与えてくれるなら・・
根こそぎ、持ち帰えりたい・・・
よこしまな気持ち、反省して
もう一度、手を合わせ

観音堂を背に
栄華だった今宮坊を、脳裏に一枚の絵にして







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小泉稲荷神社 群馬県伊勢崎市。

2024-02-01 12:15:48 | 散歩


👆誰が名付けたか、私を野に咲く襤褸 ぼろ という。
野襤褸菊 のぼろぎく
ちぎれた冠毛が 布のぼろ切れに似てるからだという。

畑地では、強害雑草と嫌われているというけど、
筒を割いてみればも、どんな花より目を引く、
光沢のある、細い冠毛がびっしり。

👇1月28日、仕事の合間に訪れた、群馬県伊勢崎市の、
ちょっと長い記事になりますが・・小泉稲荷神社。
売店で買った 油揚げと、車に戻って宿での晩酌用の酒を、
供えて柏手、パンパン ‼












鉄製の鳥居が300本ばかり、







この日は日曜日で大安、上着もいらない陽気に、
七五三の少女もいて、












第10代 崇神天皇の時代(古墳時代)に、
毛の国開拓の祖神とされる
豊城入彦命が東夷征討の折、
山城国 伏見稲荷の分霊を祀り、
創建したと言われる小泉稲荷神社とありますが、


はっきりした跡があるのは1864年、この神社に奉納された、
手洗盤👇。
奉納者は領主、近郊の香具師、
地元農耕者100人の名が刻まれている。


4時間近く、耐えることのない参拝者。



















👇余分な写真
自称・昭和の光源氏、あだ名は与太郎河童
神社周りの、廃屋と畑を散策中の一枚




コメント (14)
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