春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

須影八幡神社 ②-② 3代目石原常八の技。埼玉県羽生市。

2023-09-07 13:11:55 | 関口文治郎/神社仏閣

8月で終わる筈の仕事が、昨日まで伸びて、
今度こそは、ゆとりができると信じた昨日。
事務所に戻ったら、だぁ~っと、あれもこれも、
お願いしますの箇条書き。
病みの身体、誰かにやらせろと、と思ったけど、
まっ、好きなペースで出来る、思いが喉元で盆踊り。
何かやっていれば、気もまぎれるしね・・‼


江戸時代、群馬県で生まれた彫刻集団も、
末期になると、彫り物師の仕事も多方面になって、
彼らへの仕事依頼はどこから出たのかと、知りたくなります。

須影八幡神社の彫り物師は、
群馬県みどり市花輪に住む、3代目石原常八なのですが、
歩けば、12時間ばかり。
彫刻の注文も少なくなってきた江戸末期、
本人が単独営業するには、ちと疑問。


彫り物師は、宮大工の棟梁が居なければ、
成り立たない職業で、
宮大工棟梁は、施主から満足のいく請負金を得るため、
出来栄えの為に、売れっ子の彫り物師を雇い、
造営の出来栄えを誇る。



地元の宮大工棟梁、
宮大工、清水仙松、三村若狭正利は、若いころ、
群馬県邑楽郡板倉町の、
雷電神社の造営(1835年)に参加していた記録、
胴羽目板に彫刻は、3代目常八主利の親父。

2代目石原常八主計。
当時3代目は、腕の立つ25歳。
共に若かった宮大工と彫り物師。

5年前、榛東村の宿稲荷(1860)を彫り終えての仕事。
農耕の神を祀る須影八幡神社造営の、

地元宮大工棟梁の誘いに、
3代目が駆け付けたのが、理解できます。










👇 木鼻の獅子。
図案は誰が描いたかは不明ですが、
前足の置き場所を変えた、躍動感を見入ってしまった











地元、入江文治郎茂弘を相棒にして、
3代目常八55歳の彫り。

その後、3代目の彫りの資料は無く。
長男は高沢家の養子に、次男は高松家を名乗り、
三男は、岸家の養子になり明治3年、28歳、
職人の妬みで神田の宿屋で、闇討ちに遭い生涯を閉じ、
私生活、親子共々、豪放磊落な、石原家が断絶してしまう。

わたらせ渓谷みどり市花輪の、彼らが住んでた、
家の前を通るたび、なぜか胸が痛む。 終わり・・‼


コメント (4)
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