つい・・この日が待ち遠しくて!
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太田節三の足跡を辿って数か月。
灯りが見えてきました。
太田節三が、50数年前台東区湯島天神の「花水館」で
寂しく最後を遂げたのは、1963年7月15日。
カレンダーは命日まで1週間を切ってしまった。
この年、ケネディーが暗殺され、坂本九氏の「上を向いて歩こう」が
全米チャートでNO1になるなど、
私にも記憶が新しいけれど、この年、私の脳裏には節三の「せ」の字もなかった。
節三の最後は「帝国ホテル」から逗留を移した「花水館」
広くなった額の白髪にきれいに櫛目を入れ、
聖橋から実盛坂の石段を歩き、
喧嘩好き、寡黙で、ぶっきらぼう、訪ねてくる、
秘書の寺沢氏と女将だけが話し相手。
「好好爺」になった大叔父が悲惨な手段を選んだ・・日でした。
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気楽に日々を暮したいと、想う「今日の日曜日」
今年は出来ないけど、
来年の夏には、かき集めた資料と共に、秋田で眠る節三の墓地を訪れ、
墓前で全てを「燃やし、灰」とし、節三の呪縛から解かれる計画です。
大叔父も、まさか私がこのような事態になっているとは
空の上から覗いていても、まさか「気が付くまい」
一足早いが、手を合わせ唱えましょう。
「桜貝のうた」
昭和24年の唄ですか?