春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

マラソンの発祥地、安中市の熊野神社。

2018-10-10 19:53:51 | 関口文治郎/神社仏閣

 

群馬県安中市、50歳以下の家臣は、
明け六つ(午前6時頃)の太鼓を合図に安中城を出発し、
中山道を碓氷峠の熊野権現まで、
7里余り(約29キロメートル)を走った。
1855年のこと。

到着には凡そ3~4時間程かかったようで、
熊野権現には班毎に初穂料が奉納され、
代わりに餅や切り干し大根、キュウリ、御茶などの昼食が与えられ、
小休止した後に安中城に帰還したそうです。
(往復約58キロメートル)。
出発は「安中城」
マラソンの始まりは安中市と知りました。

実施したのは、
安中藩主板倉勝明。
古文書「安中御城内御諸士御遠足着帳」に書いているそうです。

その安中城祉から歩いて10分ほど、
碓氷川と九十九川の間を走る、国道18号、
「城下」の信号を曲がって、細い道に、小さな鳥居、
1000年の、けやきの木と熊野神社があります。
昔は大権現様。
熊野神社になったのは、明治の初め。

👇絵馬は「狩野法源永秀知信の筆」1861年のもので、
熊野神社の起源は永禄2年(1559年)
安中城の鬼門の守護神として建てられた社殿。
いずれの彫刻師の文献は無いものの、
本殿の胴羽目は花鳥のデザイン、
上州花輪彫刻の系統ではない、そう思えます。

 



1000年のけやき。
白い建物の方から撮れば、目を見張るのですが、
撮ってないと、おでこをゴツンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拝殿の向拝は極彩色で、
本殿は白木の彫刻・・・・?
ここで北群馬郡吉岡町の家族と、
感動の話を聞くことになりました。

 

 

 
👇このファイルは、午前榛名神社の、鳥居の側で見た、トリカブトです。

 

 写真2018.10.9 


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2 コメント

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安中 (茉那)
2018-10-10 23:18:07
この町を2度通り抜けました。
昔、夫と高崎からバスに乗って草津へ行ったときのような気がします。
(この町を通りませんか?)

もう1度は2年ほど前、吹割の滝を見に行った帰り、高崎駅からタクシーに乗って白衣観音、達磨寺などに立ち寄り富岡製糸所へ行った折。
タクシードライバーに「安中は新島襄の故郷でしたね?」と言って大変驚かれた記憶があります。
1度も訪れたことのない街ですがマラソン発祥の地だったのですね。
いわれを面白く読ませていただきました。
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茉那さん、こんばんは! (とよ)
2018-10-10 23:38:56
そうなんですって、当時の城主、
板倉勝清が、みんなの健康を案じて、
計画実行したものだそうです。
安政遠足之碑などもあり、時間があれば、
碑の写真も撮りたかったのですが、
何しろ、熊野神社で陽が暮れそうになって、
今度、訪ねてみようかと思っています。
2度とも、通っているようですね。
明日は熊野神社の10月9日の出来事を載せますので、ぜひご覧くださいますよう!
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