春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

高尾山御本社、 石原雅詖・唯一の彫り。八王子市。

2023-03-24 11:48:02 | 鑿に賭けた男たち

高尾山のすみれ👆も一週間を過ぎると、
なんで早く公表しなかったかと、
膝をつねられ、遅まきながら・・。
3月16日、薬王院飯綱大権現、石段脇の恋人です。

👇飯縄大権現  
いいづなだいごんげん
誰が彫ったか興味のない方には、
ぐるり一回り、♬ 綺麗ね~ ♪ と、

脇をすり抜けて通る処は、
彫刻探索人には、貴重な場所・・・・。

明治の廃仏運動で、
運動員が高尾山に登るのに疲れ、
中腹で回れ右、下山して廃仏毀釈を逃れたエピソード。



投稿した、 わたし、
破壊されず彫刻歴史の記録を燦燦と残し、
回れ右した明治の廃仏毀釈の運動員には、

感謝状を贈りたい。

飯縄大権現、白狐に乗った剣と索を持つ烏天狗形、
歴史は古いのですが、ここは彫刻を・・

初代石原雅詖が、1780年65歳で彫った、
記録に残っている、唯一の作品。
飯縄大権現の御本社👇






この時期の社寺は、
火災や災害で沢山破壊されているようで、
火災や災害がなければ、彼の作品は、もっと、
群馬各地で見られたかもしれませんね。



この時の宮大工は、
高尾町の栗原佐兵衛門能政・政右衛門能常親子で、
中島七兵衛清重が加わり、
彫物師・雅詖の弟子には、16歳の桑原新蔵がいる。
雅詖の厳しい教えに、
耐えた彫り物師でもありましょう。
総勢7人での作品、その中には、
前原藤次郎と門人松島金蔵の名もある。



1804年の拝殿の改修では、
関口文治郎の弟子、
俳句をたしなむ星野政八昌輿が拝殿👇を彫ってる。


















江戸中期、全国でも類を見ない数多くの
彫刻を産んだ集団、わたらせ川添いの花輪

汗をかきかき、涙を流、
荒れた手で技術の研鑽に励んだ少年たち
一端になった少年が
大谷選手のような花形スターに育った
石原常八主信、常八主利、甲斐之介、
デザインの斬新さ、鑿さばきの切れ味さは
宮大工棟梁からは引っ張りだこ
茨城、栃木、群馬と渡り歩き
私生活でも、なかなかの物
不幸もあった
その石原軍団を育てたのが
石原雅詖
その唯一、彼の彫刻は
高尾山飯縄大権現・御本社で

コメント (4)
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