昭和36年に高校を中退し、近鉄バッファローズに入団し、その後太平洋、クラウン、西武ライオンズに移籍し、大活躍した右投げ右打ちのスラッガーです。バットを投手寄りに傾けた豪快なフォームからの、プルヒッティングは素晴らしく、打球は殆どレフト線への強烈なものでした。兎に角、目の覚める様な打球を常に飛ばしていた選手でした。入団2年目に、打者を見る目には驚異的な別当監督に見出され、常時出場するが、流石に荷が重く、その年には0.231,5本塁打、43打点に終わっています。しかし翌年からは主力打者として申し分のない成績を残しています。3割7回、20本塁打以上16回は素晴らしい成績と言えるでしょう。但しギャンブルには目がない様で、現役時代、及び引退後も様様な事件に巻き込まれています。色々な噂がありますが、願わくば、野球での賭博の無かった事を祈っています。
通算成績 2449試合 2452安打 0.282 465本塁打 1400打点
通算成績 2449試合 2452安打 0.282 465本塁打 1400打点