昭和37年に東映フライヤーズに入団、その後43年に西鉄ライオンズに移籍し、翌44年に永久追放されるまで、6年間の実働年数の投手です。腰の捻りの少なく、重心の高いアンダースローからの投法は、残念ながら二線級投手そのものの球威でした。何故この投手が40年に10勝3敗、1.93という成績を挙げられたか不思議でなりません。結果的にこの予想外の好成績が、この投手を八百長に誘い込んだ様に思えてなりません。何故なら所謂二流投手に、わざわさ八百長を依頼する必要はありません。如何に点数のハンディがあるとは言え、依頼しなくても敗北の可能性が高い訳ですから?従ってフロック的にある時期のみ活躍し、その後本来の力通りの成績に甘んじている選手こそ、格好のターゲットではないでしょうか?八百長が発覚した当初、西鉄ライオンズは彼だけが実行していた様なコメントを発表していますが、全く有りえない話です。当然多くの選手に波及していったものです。多分八百長をしていながら、その後野球界に存在し続ける元選手も非常に多いと思える為、黒い霧、八百長問題に就いては、又触れたく思います。
通算成績 133試合 17勝17敗 2.81 187奪三振
通算成績 133試合 17勝17敗 2.81 187奪三振