先週のTBSサンデーモーニングで、ダルビッシュ有が最後の一人で完全試合を逃した話題の際、張本勲が高橋善正投手の完全試合達成の時、最後の打者のレフトフライ捕球の際震えたと話し、守備に自信がないから自分の所に来るなと思っていたと珍しく謙虚に話していました。その時即疑問に思ったのが、完全試合達成かという試合に何故張本勲の代わりに、守備の上手い選手を起用しなかったのかという事でした。当日の試合状況はどんなものかと思いネットで調べて見るとスポニチの記事がありました。昭和46年8月21日、後楽園球場、東映フライヤーズ4対0で打者は代打和田博実でした。記事によると張本勲は飛んで来た平凡な打球をいつものシングルハンドキャッチではなく、拝むようにして大事そうにつかんだとあります。4点差、完全試合をも達成しそうな投手の出来からして9回裏の攻撃の可能性は非常に低かったと思います。当時の監督は前年途中からの田宮謙次郎、それ以前の監督松木謙治郎や水原茂と違い、前年当時の打率の日本記録を更新し、その年数字こそかなり落としたものの、相変わらずの打棒を誇る張本勲に対して変な遠慮があったかも知れないと思ってしまいます。次回続けます。
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