昭和30年代の投手のローテーションとしては、先発投手としては中3日の間隔が多く日程によっては中4日もあるのですが、エース級の投手は抑えも務めたりしており、先発3本柱がしっかり揃っていれば投手陣の戦力としては十分であると言う感じでありました。現在の様に先発要員として5人ないしは6人必要という感覚は全くない時代でした。従ってこの試合の様に、国鉄のエース金田正一投手と広島カープのこの年エースに躍進した大石清投手が投げ合うという例は決して少なくはありませんでした。例えばこの時代の大エースだった稲尾和久投手と杉浦忠投手の通算対戦成績は24勝24敗の五分の数字が残っている様です。昭和33年入団の杉浦忠投手と44年引退の稲尾和久投手、30年代後半にはかなり衰えを見せていた両投手の対決は短い期間内に凝縮され濃厚に行われていたことが予想出来るかと思います。おおまかにいうとこの時代の4番手以降の投手達は中継ぎや敗戦処理に回る事も多く、現在の5人から6人の投手で回される投手に比べ気の毒とも思え、逆にレベルの低い投手を現代では先発投手として見せられている気さえしてしまいます。但し、ここでいうレベルはその時代毎の投手のレベルを指し、昔と現代との比較をしている訳ではありません。
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