昭和47年から53年まで、読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズに在籍した右腕投手です。彼には大変申し訳ないが、アマチュアでは活躍出来ても、プロのレベルでは、当低通用しそうにもない典型的な投手の一人と言ってもいいでしょう。先ず彼の最大の欠点は、体の固さでしょう。その為か、オーバースローからの投球フォームがもの凄くぎこちなく、投手にとって必要な、肘の撓りが殆どなく、投じる球が本当に伸びのない棒球でした。現在先発投手NO.1の実力のダルビッシュ有とは、対極の位置にあったと言っていいでしょう。当時スピードガンは未だ登場していませんでしたが、多分球速、更に球の重さははそこそこあったかと思いますが、投手にとって最も必要な球の伸びに著しく欠けていました。昭和50年、読売ジャイアンツの最下位の年に、彼にとっては唯一の規定投球回数に達し、やや活躍したのが唯一の輝きだったと思います。
通算成績 70試合 12勝15敗 防御率4.64 奪三振 129
通算成績 70試合 12勝15敗 防御率4.64 奪三振 129