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400勝投手金田正一に次ぐ350勝を挙げている米田哲也ですが、彼の最大の欠点は、華やかさに欠けると言う事でしょう。彼が所属していた阪急ブレーブスは昭和30年代は非常に弱く、同じく弱かった近鉄と共に、その電鉄が親会社ということもあり、お荷物球団と呼ばれていました。その内で米田哲也は同球団の先輩、快速球左腕梶本隆夫と共に米梶コンビとして他球団に恐れられる存在になっていきました。二人合計で604勝(梶本隆夫254勝)というのは、正しく史上最高の左右の投手コンビと言えるでしょう。一方の梶本隆夫には、対南海戦での9連続奪三振、新人開幕投手等、結構地味な球団の割には、記事になり易い登板をしているのですが、残念ながら米田哲也には、これと言った試合はありません。後に登場する尾崎行雄のデビューの時の大毎戦での豪速球や、阪急の後輩山口高志の日本シリーズ、薄暮ゲームでの豪速球の様な全国区での豪速球の披露はありません。逆に言えば、決して目立つ試合での登板がないながらも、その豪速球が語り継がれる事に、彼の実力、素晴らしさが感じられるものです。