totoroの小道

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追求力と表現力を高める~ 授業作りの方法論

2015-02-19 06:31:12 | 浜松授業研究の会

 50回浜松授業研究の会 2月14日  

石井先生が、授業のあるべき姿について、今までの実践の手の内をさらけ出して語ってくださった。
あまりにも私たちの実践とレベルの違ったものだった。
ああ、授業次第で、子供とは、ここまで純粋な姿になり、ここまで追求する子供になるのかと恥ずかしくなる。
子供のレベルがどうの、最近の親はどうのと、ごたくを並べる前に、
もう一度初心に返って、教師のいろはから、純粋にその道を進まねばと思い知らされた。 


授業絵では、追求力、表現力を育成する。
子供たちは、それぞれ生活の概念をもっている。
生活の概念は、生まれて育つ中でもっていくものだからだ。
しかしそれは、分かったようでいて、きわめて曖昧な感覚的な概念である。
学校は、生活の概念を科学的概念に変換していく場である。

長い間生活の中で身につけてきた概念は、一気に変えることはできない。
まずは、国語を中心に追求力をもとめていく。
その追求力を活用して、音楽や体育、図工や表現で表現力を高めていく。
2つの両輪で学校教育はあるべきなのだ。

今、それぞれの学校で行われているのは、指導要領がいかに変わろうと
依然として教え込みの授業だ。
その証拠に、例えば「朝礼」が行われれば、一年生から六年生まで全員前へ並へをしないと並べない。
前へならえ、は因習。
本当は、今から行われる学びを楽しみに、自分たちで目で見て美しい隊形を作って、静かにたたずむことができるはずだ。
それを、いつまでも号令をかけ続けるから、号令がなければ動かない子を育てている。
自主的に、能動的に学ぶこそ、育てなければならない子供の姿だ。

子どもが構えをもって自主的に集中していくようにしていく。
国語で作った自覚を、あらゆる場に変えるようにしていく。
そのためには、全てのことで細部にこだわることが大事だ。
重要な細部を獲得することによって、今までの自分ががらっと変わる。
教材の中のどこが一番の細部なのか?
国語は、細部に本質がある。

のびのびと表現することが大事だ。
やらせや強制でなくのびのびしている子をめざしたい。
斉藤喜博先生は、そうした子供を「輪郭のはっきりした子」と呼んでいる。
そうした賢い子をめざしている。

子ども同士が学び合う関係になる。
教師がどうそれを組織できるか。

指示待ち、教え込みの指導がはびこっている。
世間一般の教え込みで育ってきた子、構えをもって、聞くんだという自覚のない子が殆どだ。
それを強制でなく、授業の中身で、自発的・能動的に変えていくのだ。

国語 ヒバリの巣 の実践

ひばりのす

ひばりのす
みつけた
まだだれも知らない

あそこだ
水車小屋のわき
しんりょうしょの赤い屋根のみえる
あのむぎばたけだ

小さいたまごが
五つならんでいる
まだだれにもいわない

1連は独り言なの?会話なの?
2連は独り言なの?
見つけるという言葉は、科学的な中心になる言葉。
見つけたというのは、みんなで探しているときにみつけた。

追求方式の授業を核にして、この中で話すこと、聞くこと、表現することなどの学級作りの全てを行う。
細部に集中する、学び合うことはこういうことの出来る子と出来ない子ではものすごい差がでる。

 

 

 

51回

4月11日  土  9:00  15:00  天竜壬生ホール  第1会議室
52回 5月9日  土  9:00  12:00  天竜壬生ホール  第1会議室

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