totoroの小道

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はなのみち 次の言葉を

2009-06-05 06:02:35 | 1年 国語

1年生のこの時期、まだ国語は難しい。
子ども達が静かにじっとしていないからだ。
しかし、だからといって適当に授業をしていると、どんどん子ども達は国語がつまらなくなっていく。

私は、この時期の国語は、内容より、何回も何回も大きな声で読み合って、声に出して読む楽しさを教えてあげればよいと思っている。以前のわたしのクラスでは、リズムよく読む楽しさを感じると、1時間でもずっと読んでいた。(毎日、教科書の一番最初から、ずっと最後の方まで読んでいく..)

1年生の国語の授業を見に行く。
なんだか、お行儀が悪い。
だらだら、くねくねしている。
私語が絶えない。
空気がざわつき、
そのざわつきが
次の行儀の悪い子
次の私語・落書きをする子を作っていく。

これは、子ども達が悪いのだろうか?

1年生なりの授業をすることはよいと思う。

しかし、その中でも、おっと思わせたり、
真剣に考えざるを得なくなったり
友達や先生の言葉を聞かざるを得なくなったりするように
授業として組み立てる先生が欲しいのではないかと感じた。

そこで、先日は担任に代わって、ちょっと指導をさせてもらった。


子ども達は
くまさんが、花の種落としたことが原因で、花の道ができたと思いこんでいる。
(当然それが正しいのだけれど)

先生もそれを前提に授業を進めている。

この日は、まだ内容に入っていないが
私が担任と代わるまでは、
そうしたあらすじと登場人物を、絵と文を比べながら黒板に書き出していた。


そこで、こう言ってみた。

私:「花の種を落としたんじゃないと思うな。」
そう言ったとたん、全員の目が私に集まる。
なにをばかげたことを言っているんだ。
花の種を落としたに決まっているじゃないかと、どの目も訴えている。

子:「花の種をおとしたんだよ!!」
子:「花の道ができてるじゃない!!」

一斉に私を非難し始める。

私:「本当かな?」

子:「だって、袋に穴があいてるじゃん!!」
子:「穴から、種が落ちたんじゃん!!」

私:「穴から落ちたのは、花ではないの?」
私:「だって、ここに咲いているのは、種でなく花だよ。」
とさし絵を指さす。
子:「ちがう。」
子:「種をおとしたんだよ!!」

私:「じゃあ、その証拠はあるの?」
私:「今はお勉強の時間なのだから、この文や、絵の中からその証拠を見付けてごらんなさい。」

一瞬静かになる。
探しているのだ。

そして、探してみると文の中にはその根拠がみつからない。
そこで、今度は黒板の絵を見る。
そして、
子:「ほら、その絵の穴から種がでてるじゃん。」
子:「そうだよ、くまさんが、持っている袋から種がでてるじゃん。」

私:「それはどこですか?黒板の絵を、せいのっで指さしなさい。」
子全員:「ここぉっ!!」

私:「どれどれ.....。」調べるふりをする。
私:「あっ、本当だ、袋から種が出てるね。よく見付けたね。」
私:「証拠が見つかった。教えてくれてありがとう。」
(ここからが、国語の勉強になる)
私:「では、このたねは、どこから、どこまで続いているのですか?」
子:「くまさん!!」
私:「えっ、くまさん??????」
子:「熊さんのい・え・か・ら.....」
私:「熊さんの家から」
子:「熊さんの家から、リスさんの家まで!!」
(~から ~までという言葉を押さえる)


私:「先生は、お花を落としたと思ったけれど、種を落としたことが分かりました。」
私:「先生に、そのことを教えてくれてありがとう。」
私:「みんなは、先生にお勉強を教えるぐらい立派なんだね。」
私:「その立派な子ども達だったら、きっといい姿勢で先生のお話を聞けるよね!!」

そういって、授業を担任にバトンタッチする。

皆よい姿勢で、担任の次の言葉を待っている。
ただ一つの考えでなく、ちょっと違う意見(「対立する意見」)があるから、子ども達は考えるのだ。

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1 コメント

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見えること、何とかしたいこと、指導できること (Mrヒデ)
2009-06-05 20:27:28
「1年生の国語の授業を見に行く。
なんだか、お行儀が悪い。
だらだら、くねくねしている。
私語が絶えない。
空気がざわつき、
そのざわつきが
次の行儀の悪い子
次の私語・落書きをする子を作っていく。」
 私は、まずは教師がこのような子どもの状態が①見えるか見えないかが大切、次に、このような状態を教師が②生理的に許せるか許せないかが大切、そしてこのような状態を③授業(教材を展開する中で)により子どもを学びに引き込むことができるかできないかにかかっていると思います。これも教師の力量ですね。


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