トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

天国と地獄の差

2021-11-25 | 小父のお隣さん
 「間一髪」なんて言葉がある。「運の良し悪し」なのかもしれない。初冬のこの時期の「小春日和」は生きとし生ける諸々にとっては天国に近いだろう。陽だまりでヌクヌク、たとえボッチであっても「邯鄲の夢」は見られるので初冬の孤老にとって小春日和は何よりの長命薬である。惚けていてもうたた寝出来る程心地よいのだった。

 セスジツユムシは邯鄲と同じなのかどうか調べてもいないものの、この時のセスジツユムシはボッチでボッコしていたにもかかわらず「天国のおもてなし」を受けていた。一方「三寸離れて死の影を踏んだ」ツチイナゴはボッチボッコの夢破れ、黄泉の路を地獄に落とされて行く。オオカマキリは産卵が済んで消えゆくだけの先行きで、セスジツユムシはまだ腹部に卵があり、これから産卵して露となる個体。

 一方の捕食されてしまったツチイナゴは越冬して来春には活動出来るはずだった。小春日和の一時、小生も含め皆々ボッチでボッコなのであったものの、ツチイナゴだけ「だるまさん転んだ」で失敗した。まあ、人生こういう事は珍しくないがコロナ禍の無業ではボッチでボッコしていても無常に耐える意思だけでなく宿と食料は必須であろう。しばし小春日和でボッチボッコゴッコをしても、すぐに陽は傾き冷たい西風が身を苛む。西方浄土から吹く風は冷たく「奢れるものだけ久しい」浮世…。

         

※ ボッコ中の緑色の虫、ツユキリとばかり記憶していたのだがセスジツユムシとの指摘を頂いた。記憶をたどれば撮影中にこの虫の名前は会話の中で多々出ていたはずで「ツユ」の部分だけが残ったようだ。短期記憶は薄くなる一方である。ちなみに小生、図表が無ければツユムシとツユキリの違いを言えない。

土嚢拾いをするはずが・・・

2021-11-25 | 水辺環境の保全
 上の池のオーバーフロー部、増水の度のドンドンで丸太ダムに使っていた丸太が浮き上がってしまった。採土量が少なく土嚢を数多く作るのも面倒で丸太を積み上げ、両端に土嚢を積んで堤代わりにしていたのだ。当初、漏水が止まらず池の中に土嚢を敷き並べ漏水対策を熱心に行ったのだが、今は堤の幅も広げたので池の中の土嚢を外しても大丈夫だろうと判断し、拾い上げた土嚢を丸太が浮き上がり抜いた箇所へ投入する事にしたのだ。
 腐食し始めた丸太を外し土嚢を詰める事で透水する隙間が減るし一石二鳥なのである。しかし水位の高さまで土嚢を積むと3~40袋は必要な量になりそうで、作業を想うと眩暈がする。この眩暈は山女に逢った訳でも血圧が上がった訳でもない純真な慄きなのであった。

 寒い時期ではあるが覚悟を決め胴長を装着して現場へ行った。池に立ち入って両腕を水中に伸ばさねばならないから、水温が下がりきる前に片付けたかった。ところがである、浮き上がった3本の丸太を排除して土嚢を拾い上げようと池に入ったまでは良かったのだが水底を探っても土嚢は固く落ち着き泥も堆積して袋の端さえ判然としない。こんな状態で2~3袋拾ったところで「焼け石に水」、「深穴に小石」でしかない。結局は「土嚢拾い」は諦め、排除した丸太3本を絞り水の誘導路に使用した。このしきりと法面の間を絞り水を通すことで流れ入ってくる土砂を池中央部に流さずに済むし、丸太の仕切り内で堆積させれば「自然堤防風」になりつつ泥上げする場所と立ち位置が生まれるはずだ。てなもんや三度笠で完成には何年かかるか分からないし未完の堤防になる可能性も高いのだが、まあ、成り行き任せも大事なのである。

 丸太3本を引き抜いた溜まりは土嚢を新たに投入し土砂で隙間を埋めるつもりだけれど、丸太橋が腐食してきたからついでに半割丸太材で更新した。外した古い丸太橋は下手の林接池へ入る林道からの窪みに渡して活かす。腐食してきたとは言え後5年程度は役に立ってくれるはずだ。利用頻度は少ないけれど時折は一輪車を通したい時がある。こんな時に雨水流路の窪みはストレスであって、こういう設えをすると林接池へ他人を誘導するきっかけにもなるので好ましくは無いのだが、作業勝手を考慮すると設置されていると助かるのだ。
 人間、いいえ小生、易きに流れやすいのは水と同じで「小人は下学す」と喝破されたように高みには流れず低きを目指さなくても溜まり淀む。まあ、姥捨て山では日常茶飯事であって、だからこそ姥捨て界なので気兼ねも小金も要らないボッチの世界。時折はコガネムシが寄り添うけれど、もう次の初夏までは居ない。

            更新した丸太橋          廃棄材を再利用した渡し