トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

まだ食べていたわい!

2021-11-18 | 小父のお隣さん
 アカボシゴマダラの幼虫、「そろそろ越冬位置に移動したか⁉」と帰宅前にエノキを見て回ったのだが、案ずるのは早すぎてまだ葉の上にいる。考えてみればエノキの葉は青々として枯れてはいないから食べごろには違いない。長い越冬を食事を摂らずに乗り切るためには越冬前のエネルギー摂取が肝要なはずであって、まだ食べれる葉があるのに休眠状態に入るなどと思ったのは愚かしい限りであった。

 葉の上では緑色、移動して枝の分岐点に落ち着いた頃は枝の色合いとまあ、良く出来た習性である。とは言え新芽が萌えだし食料調達が可能になる前には多くの幼虫が姿を消す。ほとんど小鳥たちに消費消費されるらしいのだが、それも食物連鎖の「お互い様」となるのだろう。

   

**今日の都々逸

2021-11-18 | 性向有毒の翁なれば
                自腹じゃないから
                大判投げて
                後でニギニギ
                入れる袖 ハアコリャコリャ

Saw音ジュクジュク独り大樹の集積

2021-11-18 | 今日は真面目に
 落枝が始まり通行に危険がありうるから伐採したヤマザクラの大樹、玉切りして林道の脇や雨水路に寄せていたけれど何時まで放っておくわけにもいかない。さらにサイズを短くしたとしても重量物には違いが無く腰の痛みが薄れない老骨老体には及び腰になる作業でもある。
 「月例会で行ったら…」と言う意見もあったけれど、慣れない作業を頭数ばかりでは危険が増すだけで、結局は独りで粛々と行う事でしか片付けないのであった。切断する際は長さを揃えておいた方が集積後の美観も向上するのだけれど針葉樹のまっすぐな幹だけとは異なる曲がりくねって好きなように伸びたコナラやヤマザクラなどの落葉広葉樹の大木は枝と言っても大人の胴回りほどもあるし、処理し易い場所から入り込む関係上「長さを揃えて」なんて綺麗ごとになってしまう。材を生かせるわけでも無い集積し腐朽を待つだけだからだが、誠にもったいない限りのヤマザクラではある。

  ➡   散乱面積と嵩張る枝の処理から始めないと作業スペースすら無い。枝の部分は長めに切断して集積し、その上からさらに太い枝を載せ重し替わりで沈下させる。これだけでも嵩高は減るし腐朽していくのも早まる。太枝も幹の部分も1m前後で玉切りした。径が小さければ鳶口で曳いたり転がしたりせて林道横の平坦地まで移動させる。

 林道と平坦地の間には雨水を流す窪みがあるから、ここを通過させるのが難儀で、小径丸太を並べ窪みを小さくして渡らせたり、重い物は牽引器で曳いて集積場所まで移動させた。この牽引器の操作はレバー式なのでレバー1往復で曳ける距離は10cm以下、肩や肘が痛い身には堪えるのだったが利き腕でない左手での操作は非力で、どうしても利き腕の出番となってしまう。磁石粒や湿布を張り付けてのご老体、嫌でもご老体を実感できるのである。記憶にとどめ失念しないためには繰り返し繰り返し教え込むのが肝要なのだ。特に短期記憶の劣化激しい木久扇症候群ではなおの事であろう。

 昔より言われる「重い役者ほど後から出て来る」の諺通り、最後はヤマザクラの幹が残った。面倒なく1本で曳き出したいのだが恐らく1屯はありそうな重量物ではコロを入れて曳かねば動かないし嵌り込む溝もあり不可能だ。結局は切断して牽引した。
 これで林道上の材と雨水流路に落ちていた材のすべてを一カ所にまとめることが出来た。本来なら二段か三段重ねで始末すれば見た目も美しいのは承知なものの、抱えたり起こしたりは避けたい「お腰様」の事情で却下。禅の言葉にもある「証拠で却下」…すみません間違えました「照顧脚下」で関係なかった・・・。とにもかくにも大事が無くて何よりだ。写真を見ると「こんな程度!」に見えてしまうが、転がっている半分は50cm以上の直径なのだ。