活動の中で「アリャッ!」と思わざるを得ないのは経験的に三つある。一番は「掛かり木」だけれども、間伐や伐倒を慎重に進めてもゼロにはでき難い。後処理の困難さと危険の増大が半端でない厄介な事象だ。木だけでなく竹などでも、先端が少し掛かっただけなのに落ちてくれないことが多い。ボランティアの場合、牽引器など無い場合が多いから、おそらく発生率は多いだろう。心して取り組んでいても…だ。
二つ目は水辺を増やす作業における漏水である。特に放置され荒れるにまかした棚田や畑地に水を貯めようとすると酷い目に遭う(あった)。葦やクズの根茎、鼠やモグラのトンネル、水による浸食孔や浸食溝、小さい生物では、ケラや沢蟹、アリなども原因になる。これら小動物は、地盤を砂糖菓子のように脆くボロボロにしてくれる。水が溜まったと喜んでいても「忘れた頃に」やってくるのだ。「水が無い!、干上がっているぅーっ。」
スリー目は、小生特有の事象「肋骨骨折」だ。作業中のスリップだが、乖離骨折をして22ヶ月後に2回目の骨折をしてしまった。「怪我と弁当、自分持ち」を実践したのだが、三種の人危は「全てが我が身から」というのも共通している。なんたってフリーのボランティアですから…。
チェリーが見事に熟した。黒く艶やかな肌は宝石のようにも思える。
桜の樹になるサクランボは、小さくて渋い物が多いのだけれど、この桜の樹は食べれる程の食味を出してくれる。元は畑に生えた実生の桜なのだが、ヤマザクラではなかった。
着花は普通より少な目、白い花色でゆったりとした咲き方である。その実はやや大きく、完熟すれば「うん、美味しい」と思えるのだから「天は二物を与えず」だ。
今の所、小生だけの楽しみ、独占物だけれど、本来、桜の実を口に入れよう、なんて輩は「無い」に等しいのだから、あえて口に入れたがる我輩は、地獄に落ちて「餓鬼道」まっしぐらかなあ。
黒い色の美しさは、母の実家の漆塗りの板戸に、子供心にも惹かれたのが最初の記憶だけれど、煤けた家屋で拭き上げられた美しさも模倣が出来ないものがある。艶やかな黒髪もお目にかかれなくなったが、これは山の中の生活のせいか?!。