とりがら時事放談『コラム新喜劇』

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ミャンマー大冒険(58)

2006年04月29日 18時00分19秒 | 旅(海外・国内)
このように、他国の富を搾取して自国を肥やすというのが「植民地経営」というものなのだ。

欧米には想像を絶するお金持ちが存在するが、この人たちの多くは植民地からカツ上げした、よそ様の富みよって栄えている、といっても過言ではない。

「お帰りなさいませ、ご主人様」

というセリフを聞いてメイドカフェしか思い出せないあなた。あなたはオタクだ。
このセリフは基本的にバトラーなる職業に従事している人たちのセリフである。
映画「バットマン・リターンズ」でマイケル・ケインが演じていたのがこのバトラーなのだが、このような特別な使用人を抱えることができる財力の多くもまた、植民地からの恩恵なのだ。
だいたい考えても見よ。
例えば石油メジャーのBPにしろロイヤル・ダッチ・シェルにせよ、ちっとも石油が産出しない国の会社ではないか。
石油王ロックフェラーの系統を踏襲するモービルやエクソンは別にして、こういう会社が今日もなお中東の石油を牛耳っておるのだから、植民地時代いや帝国主義時代は恐ろしい。

つまり「植民地」とは宗主国がその富を享受するための搾取の対象でしかないのだ。だから植民地は宗主国に対して奉仕しなければならない。
もちろん植民地人民の教育などとんでもない。
愚民政策が最良の政策で、万一「原住民」から優秀なヤツが現れようものなら、各種因縁をつけて生涯刑務所にぶち込むか処刑するか本国へ連れ帰るのを旨とする。
鉄道や道路などのインフラは富を持ち出すためだけに整備するのだ。

そういう定義で考えると、日本人は植民地経営をしたことがないといえるだろう。
併合した二つの地域には電気、水道、下水道、鉄道を敷設して道路や港などを調えただけでなく、教育制度も整備して文盲をなくそうと努力した。
小学校、中学校。
さらにそれぞれの地域に帝国大学まで設立した。
普通、教育制度は整備しないのが植民地政策の鉄則だ。
なんせ宗主国にとって「賢い人」が出てくることほど恐ろしいことはないからだ。
しかもこの近代的な教育制度を整えただけではなく一方の地域には「漢字ばかり使わないで。まず自己の民族に誇りを持つためには文字から」と「原住民」たち自らが使用禁止にしていたハングルとか言う民族文字を彼らのために掘り起こしてやったりまでしたのだ。

これらのために日本の使った金は今の金額に換算すると何十兆円にもなる。
十年前の湾岸戦争と違いこの時は金も人も出したのである。
こんな「宗主国」はどこにもない。
それらを戦争に負けた時「余計なことしやがって」とばかりに帝国主義の総本家の皆さんに根こそぎ没収されてしまったのであった。
この二つの地域に加えて大陸の一部も、この時に日本から没収した資産を礎にして現在の繁栄を築き上げてきたのだ。
だからして文句を言われる筋合いは一切ないのである。

以上、ミャンマー旅行とはまったく関係のない、かなり長い余談。

で、本題へ戻る。
軽いショックを受けた王宮跡から少し走り、鉄道の踏み切りを越えると木立に囲まれたマハーガンダーヨン僧院に到着した。

「まだ、ちょっと早いですね。ウー・ペイン橋へ行きましょう。すぐ近くですから」

自動車は僧院を通り抜けて狭い道を走った。
すると前方に開けたところが見えてきた。それがタウンタマン湖という大きな湖であった。
雨期の終わりというのになんだか水が少ない。
少ないがその湖面には木製の橋が向こう岸まで架かっていた。
橋の手前で車を停めて橋を歩いて渡ってみることにした。
でも、この橋。どこかで見たことあるような...........。
橋の入り口に近づいて行った時、ふと私の脳裏に一つの風景が思い浮かんで来たのであった。

つづく