とりがら時事放談『コラム新喜劇』

政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト

映画リピート観賞マニア

2005年08月23日 19時32分32秒 | 音楽・演劇・演芸
同じ映画を映画館で何度も繰り返して見るということが最近はすっかり少なくなった。
この原因にはまず、映画のチケットが高くなったことが挙げられる。
とりわけ社会人になってからの約20年というものは学生料金で見ることができないのが痛い。
「私、中学生ですけど」
と言っても誰も信じてくれないのだ。
次の原因となっているのはビデオ、DVDの普及だ。
とりわけDVDの普及は映画の繰り返し観賞に対する情熱を失わせるのに十分な力を持っている。
画像は美しく、音声もドルビーデジタルだとかTHXだとか、まるで映画館並だ。映画館と違うのは画面が小さいのと、音量を映画館並に上げると近所のオバハンが「じゃっかしワイ!(大阪人の中で社会的地位の低い人の使う言葉で「うるさいですよ」の意)」と怒鳴り込みに来る危険性が潜んでいるということだ。
畢竟、「あの映画は面白いが、もう一度見ると1800円かかってしまう。でも、3ヶ月も待てばDVDが発売されるのでTSUTAYAでレンタルするとせいぜい470円で見ることができるじゃないか」
となってしまうので、再び同じ映画のために劇場に足を運ばなくなってしまうのだ。

ところが先日久しぶりに同じ映画を再び見に行ってしまった。
笑う事なかれ「スターウォーズ・エピソード3」を無性に見たくなってまた劇場に行ってきたのだ。
どういうわけか冒頭の長回し(カットをせずカメラを回し続けること)の戦闘シーンが忘れられず、「もう一度、映画館の大画面で....見たい!」となってしまったのだった。
結果的に初めて見たとき以上に楽しんでいる自分に気がついて愕然としたのであるが、このように麻薬のような常習性のある映画は、金がかかってホント恐ろしいものなのだ。

ここ最近の数年で繰り返し映画館で見た映画といえば「ギャラクシークエスト」がある。これは3回見た。
大阪梅田のテアトル梅田で2回。どや街の新今宮にある動物園前シネフェスタで1回。
なぜそんなに足を運んだのか、と訊かれると返答に窮するが、これはエイリアンとの戦闘の最中に主人公のファンの少年がゴミを捨てに行くというマヌケなシーンが見たいだけで映画館に通ったような気がする。

ところでビデオもDVDもなかった時代(1980年前後)、高校生だった私は名画座に足しげく通ったものだ。
一番通ったのは梅田にあった大毎地下劇場、大毎名画座、そして道頓堀にあった戎橋劇場だ。
ここで繰り返し見た映画は「スティング」「明日に向かって撃て!」「天国から来たチャンピオン」「ファールプレイ」「俺たちに明日はない」などだ。
いずれもその時点でちょっと古い映画だったが、ビデオで見ることができない時代なので劇場に繰り返し出かけることになったのだ。
スティングではニューマン&レッドフォード等名優の演技と物語のアイデアと音楽(ラグタイム)に魅了され、明日に向かって撃てでは自転車のシーンだけを見るために出かけ、天国から来たチャンピオンでは神秘的なドラマに魅了され、ファールプレイではアホなギャグとゴールディーホーンのチャーミングさに魅了されたものだ。
いずれも5回以上観賞し、ついにはカットや音楽のタイミング、セリフも覚え英語が分らないにも関わらず字幕を読むことが不要になったのは言うまでもない。

しかし、映画リピートマニアの私の真骨頂は高校一年の夏休みに発揮された。
その映画とはやはり「スターウォーズ」だった。
アメリカに遅れること一年目に公開されたスターウォーズを見た私は、終盤の戦闘シーンの2秒にも満たない1カットを見るために、1週間に約2回、梅田にあったシネラマOS劇場へ通ったのであった。
見た回数は、初めての海外旅行であったロサンゼルスで見た1回を含め合計14回。
家族が呆れていたのは言うまでもない。

最近、このような中毒に陥るような映画は無くなってしまっていたが、久しぶりに中毒症状を示したら、やっぱり「スターウォーズ」であった。(但しエピソード3)
幾つになっても成長しない自分に気がついてドキッとしたのであるが、なんとなくライトセーバーを構えたヨーダの渋い表情が忘れられないので、またまた劇場に足を運んでしまいそうだ。

ちなみに、私の大好きだった「スターウォーズ」のXウィング戦闘機が上昇するだけの1カットは、数年前に公開されたCGシーンを加えた特別編ではカットされていた。
なんとなく寂しい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿