20日(木)。わが家に来てから今日で1449日目を迎え、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は19日、平壌で前日に続いて首脳会談を行い、米国の対応次第で 北朝鮮が寧辺核施設の廃棄などの追加措置を取ることなどを盛り込んだ「9月平壌共同宣言文書」に署名し、金正恩氏が年内にソウルを訪れることでも合意した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
北朝鮮は核施設を放棄するより 金正恩体制を放棄する方が すべてがうまくいくよ
昨日、夕食に「鶏肉とじゃがいものトマトしょうゆ煮」「ニラ玉」「冷奴」「野菜スープ」を作りました 「鶏肉~」は近藤幸子先生のレシピです。超簡単スピード料理ですが、美味しいです
昨日、早稲田松竹で「ザ・スクエア 思いやりの聖域」と「ハッピー・エンド」の2本立てを観ました
「ザ・スクエア 思いやりの聖域」はリューベン・オストルンド監督・脚本・編集による2017年スウェーデン・ドイツ・フランス・デンマーク映画(151分)です
権威ある現代美術館のキュレーターであるクリスティアン(クレス・バング)は洗練されたファッションで身を包み、バツイチだが2人の愛すべき娘を持ち、その人生は順風満帆のように見えた 彼は新たな企画として「ザ・スクエア」という地面に正方形を描いたアート作品を展示すると発表する 四角の中は人々に「思いやりの心」を思い出してもらうための聖域であり、社会をより良くする狙いがあった しかし、ある日、ケータイと財布を盗まれたことに対して取った彼の行動は、同僚や友人、子どもたちを裏切るものだった
リューベン・オストルンド監督で思い出すのは前作「フレンチアルプスで起きたこと」です 目の前に迫りくる危機に人間はどういう態度を取るかで人間性が現われるというテーマが描かれていました。雪崩のシーンでヴィヴァルディ「四季」の「夏」の第3楽章「プレスト」(夏の嵐)が使われていたので強く印象に残りました
この映画も自分に降りかかったアクシデントにどう対処するかで人間性が現われるということがテーマになっています 盗まれたケータイにはGPS機能がついており、それを追跡することで”犯人”の住むマンションが特定されます。部下のアイディアによって、「ケータイと財布を返さないとひどい目に合わせるぞ。24時間以内に〇〇のコンビニに届けろ」という脅迫文を作り、そのマンションの全てのドア・ポストに投函したのです それが引き金となって、そこに住む少年が親から泥棒呼ばわれされてしまいます さらに、「ザ・スクエア」を広く世の中に認めさせるために広告会社が作りYouTubeにアップした動画が、物乞いする少女を最後に爆破してしまう過激なものだったことから非難が起こり、責任者であるクリスティアンは辞任せざるを得なくなります。それはそうでしょう。少女を爆破するなんてあり得ないです 「表現の自由」を大きく逸脱しています
危機管理を誤ると取り返しがつかなくなるという教訓です
この映画では、バッハ/グノー「アヴェ・マリア」がテーマ音楽のように使われていました この曲は1859年にシャルル・グノーがヨハン・セバスチャン・バッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の「前奏曲第1番ハ長調」を伴奏に、ラテン語の聖句「アヴェ・マリア」を歌詞に用いて完成させたものです 映画では、男声のスキャットにのせてヴァイオリンがメロディーを弾いたり、チェンバロで平均律部分のみが演奏されたりします また、別のシーンでは同じバッハの「管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068」の第2曲「アリア」(いわゆるG線上のアリア)が流れていました この監督、次作ではどんな音楽を使うのでしょうか、興味があります
「ハッピーエンド」はミヒャエル・ハネケ監督による2017年フランス・ドイツ・オーストリア映画(107分)です
ロラン一家は建設会社を経営し、フランス北部の街カレーで豪華な邸宅に3世代で暮らしている 家長のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は高齢のためすでに引退し、娘のアンヌ(イザベル・ユペール)が家業を継いでいる アンヌの弟で医者のトマ(マチュー・カソビッツ)には、別れた前妻との子で13歳になる娘エヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)がいた。両親の離婚のため離れて暮らしていたエヴは、ある事件をきっかけにトマと一緒に暮らすためカレーの屋敷に呼び寄せられる ジョルジュは自殺未遂を起こし、トマは新しい恋人と異常性愛のメールのやり取りをし、アンヌは息子のピエール(フランツ・ロゴフスキ)に仕事を継がせたいがピエールはやる気も能力もない、といった具合に各々が秘密や悩みを抱えながら 互いに無関心を装っている そんな中、85歳のジョルジュは13歳のエヴに過去の秘密を打ち明ける。それを聞いたエヴは彼に心を開き、自分が前に居た学校で他の生徒にした罪を告白する
ミヒャエル・ハネケ監督は2012年に「愛、アムール」という映画を撮っており、その時と同様、ジャン=ルイ・トランティニャンとイザベル・ユペールが父・娘を演じています
どんなに豪華な邸宅に住んで豊かな生活をしていようが、お互いのコミュニケーションが取れていない家族は実質的に崩壊している、ということを訴えている映画だと思います お互いが家族の中で孤独を感じる中、一番最高齢のジョルジュと最年少のエヴだけが、お互いの過去の罪を告白したことによって、心が通じ合うようになったと言えます
映画の冒頭は スマホで動画を撮っているように被写体が映し出されますが(上のチラシの写真のように)、ラストでもエヴがスマホで 車椅子で海に向かうジョルジュの後姿を撮影する映像で終わります この映画の原題は「HAPPY END」ですが、あのままジョルジュが沖に向かって行ったら、この映画のタイトルは「UNHAPPY END」になっていたのだろうか? それとも、あのラストはあくまでもアンヌやトマにとっての「HAPPY END」で、ジョルジュにとっては「UNHAPPY END」だったのではないのか と疑問を抱いてしまいました
この映画のエンドロールは独特です。いっさいBGMが流れません と、ここまで書いて 思い出したのですが、記憶に間違いがなければ、この映画は全編を通して音楽は一切流れません 会話と映像だけで成り立っています。その点 終始 音と音楽に溢れていた「ザ・スクエア」とまったく異なるところです 大音響で驚かす作品がはびこる現代の映画界の中で、ひとつの映画の在り方を示している作品だと思います
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