9日(日).昨日,銀座テアトルシネマでルキーノ・ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」を観てきました.レーザーディスクを持っていたのですが,プレーヤーが壊れてしまいディスクをタダ同然で手放してしまいました 舞台は今から100年前のベニスのリド島.映画の公開は今から40年前の1971年です
9月27日のブログで書いたように,最近トーマス・マンの原作を集英社文庫で読みました.実に難解な文章で読みにくかったので,映画を観て”口直し”をしようと思ったわけです 原作では,主人公のグスタフ・フォン・アシェンバッハは小説家ですが,ヴィスコンティは,主人公のモデルがグスタフ・マーラーであることから,作曲家に変更しています.
この映画はマーラーの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」と切り離して考えることが出来ません.これに関してはサウンド&ヴィジュアル・ライターの前島秀国さんが映画プログラムの中で「壮麗なる”死”の交響楽」と題して鋭い分析をしています.
「本編の中で”アダージェット”が流れてくるのは,次の5つの箇所である.①タイトルバックと,アシェンバッハを乗せた蒸気船がベニスに向かうオープニング,②心臓発作で倒れたアシェンバッハの傍らで,友人アルフリートが「アダージェット」をピアノで弾く回想シーン,③いったんリドを離れることを決心し,ベニス駅に向かったアシェンバッハが手荷物のトラブルから再度リドに引き返すシーンと,アシェンバッハが妻と娘の幸福な日々を回想するシーン,④アシェンバッハと妻が幼い娘の死に打ちひしがれる回想シーンと,理髪店で髪を染めたアシェンバッハが,タジオを求めてベニスを徘徊するシーン,⑤リドの海岸でタジオの姿を目にしながらアシェンバッハが絶命するエンディングとエンドロール.これら5つの箇所は”死の床”を象徴する視覚的モチーフ(デッキチェア,ソファー,理容椅子,ビーチチェア)や生の”可逆と不可逆”のメタファー(父親の砂時計の回想,美容術による若返り)などを対称的に配置しながら,全体としてアーチ型の配列をとるような周到な場面構成がなされている」
これは見事な分析だと感心しました どのシーンも「アダージェット」のメロディーがピッタリと当てはまっているのです.この曲の登場シーンが少ないと印象に残りにくいだろうし,多すぎるとしつこいと感じるだろうし,その点この映画での起用は多すぎもなく少なすぎもなく,中庸をいっているのではないでしょうか
実は,この映画を観るまで記憶違いをしている箇所があることに気が付きました それはアシェンバッハが死を迎えるシーンです.理髪店で髪を染めたアシェンバッハがタジオを求めてベニスを徘徊する中で,白い消毒液が撒かれた広場の中央にある水飲み場のようなところで,崩れ落ちて意識を失うシーンがありますが,ここで映画が終わるのだと記憶していました.しかし,実際には海岸の砂浜でビーチチェアに身を任せてタジオの姿を見ながら息を引き取っていきます 原作を読んだはずなのに,難解な文章に惑わされて・・・言い訳です
この映画での「アダージェット」の演奏はフランコ・マンニーノ指揮ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団です.この映画では,ほかにマーラーの交響曲第3番の第4楽章が同じ演奏家をバックにアルトのルクレツィア・ウェストによって歌われています.マーラー以外では,ベートーヴェンの「エリーゼのために」が美少年タジオ役のビョルン・アンドレセンのピアノで演奏されています.ホテルのロビーのシーンではフランツ・レハールの喜歌劇「メリーウィドウ」から”ヴィリアの歌”,”メリー・ウィドウ・ワルツ”が演奏されています マーラー以外にこれらの音楽が使われていたことを,あらためて”発見”しました
ヴィスコンティの作品の中でもこれは、群を抜いているように思います。
(次点で、「地獄に堕ちた勇者ども」と
「ルートヴィヒ 」)
「山猫」はなんとなく苦手です。
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ルートヴィヒはワグナーに心酔して、あのノイシュヴァインシュタイン城を建てたのですね。当時は税金の無駄遣いと非難されていたのが、今ではバイエルン州のドル箱になっているといいます。歴史の皮肉を感じます
これからもよろしくお願いいたします