30日(金)。昨夜8時過ぎに室内で洗濯物を干している時、BGM代わりに聴いていたNHKーFMからモーツアルト「ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466」の第3楽章が流れてきました 誰が弾いているのか分かりませんでしたが、「おやっ?」と思ったのはカデンツァです
モーツアルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」の序曲の一部が採用されていたのです
なかなか面白い趣向だなーと思いましたが、なぜ「ドン・ジョバンニ」なのか疑問に思いました
やがて演奏が終わって 解説があり、アンドラーシュ・シフ(1953年~。ハンガリー出身)の指揮&ピアノによる来日公演での演奏であること、その曲の前に「ドン・ジョバンニ」序曲が演奏されたことが分かりました
これで私の疑問は解消されました
モーツアルト(1756-1791)はウィーンに進出してからフリーランスの音楽家として、予約演奏会を開いて生計を立てていたわけですが、「ピアノ協奏曲」では指揮をしながらピアノを弾いていました(弾き振り)。自作曲なので、カデンツァは即興で思いつくまま演奏したのではないかと想像しますが、「第20番 K.466」のカデンツァに「ドン・ジョバン二」の音楽を採用することはなかったでしょう
なぜなら、「K.466」が作曲されたのは1785年であるのに対し、「ドン・ジョバン二」はその2年後の1787年の作曲だからです
いずれにしても、カデンツァは演奏者の個性が現われるので興味深いものがあります
ということで、わが家に来てから今日で3790日目を迎え、アメリカのトランプ政権がハーバード大学への政府支援を削減するなど圧力を続けている中、末息子バロン氏(19)のハーバード大学を含む名門私立大学群「アイビーリーグ」不合格への報復だという疑惑がSNSを通じて急速に拡散している というニュースを見て感想を述べるモコタロです
単なる噂に過ぎないと思うけど ”報復のトランプ”ならやりかねないと思うのはおいらだけ?
昨日、夕食に「茄子と豚肉の中華風煮込み」「生野菜と生ハムとビーンズのサラダ」「エノキダケの味噌汁」を作りました 「茄子と~」は新聞の「料理メモ」を見て作りましたが、何とか美味しくできました
昨日、新文芸坐でエレネ・ナベリア二監督による2023年製作ジョージア・スイス合作映画「ブラックバード、ブラックベリー、私は私」(110分)を観ました
東ヨーロッパのジョージアの小さな村に住む48歳の寡黙な女性エテロ(エカ・チャブレイシュビリ)は、今まで一度も結婚したいと思ったことがない 両親と兄を亡くし、日用品店を営みながら一人で生きてきた彼女は、自分でブラックベリーを摘んで作るジャムと同じくらい現在の暮らしが気に入っている
しかし、彼女が独身でいることは村の女性たちの噂の的になっていた
そんなある日、ブラックベリー摘みの最中に崖から足を踏み外し、九死に一生を得る
その時に死を意識したエテロは、突発的に人生で初めて出入りの業者ムルマン(テミコ・チチナゼ)と肉体関係を持つ。それ以来、彼女は不安と希望を抱いて日々を送るようになるが、最後に まったく予想外のサプライズが待っていた
この映画はジョージアの新進女性作家タムタ・メラシュビリの小説を原作に、新しい人生を踏み出そうとする中年女性の葛藤を描いたドラマです
エテロが48歳まで結婚せずに一人で生活しているのは、母親が早死にし 父親と兄が厳格で、エテロに男を近づけなかったからであることが分かります 近所の既婚女性たちは、「独身でいるのは良くない
」とか「私は子どもを産んで国家に貢献している
」とか言ってエテロを非難しますが、彼女は負け惜しみではなく「ひとりでいるのが気楽でいい
」と気にも止めません
ムルマン(妻帯者)から一緒にトルコに行って暮らそうと誘われても断ります。彼女はあくまでも自立した女性であり、どこまでも自分の意思で行動すると決めているのです
映画のラストは、自分が子宮がんではないかと疑い、トビリシの病院で腹部のエコー検査を受けて、医師から「48歳にしては異例です」と言われ、カフェでエコーの写真を見ながら嗚咽するシーンです その時、彼女だけに聴こえたのは村でブラックベリーを摘んでいた時に聴こえていた鳥の鳴き声でした
その時のエテロを演じたエカ・チャブレイシュビリの泣いて嗚咽してのか笑っているのか、微妙な顔の表情が「まさかこんな皮肉な結果になるなんて
」といった戸惑いと幸福感が交錯していて、思わずニヤリとしてしまいました
さて、エテロはこれからどうするのか・・・一人だけの人生を満喫するのか、それとも まったく想定外の人生を送るのか・・・どちらにせよ、エテロを応援したくなりました
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