13日(日)。わが家のお風呂の浴槽は「ワンプッシュ排水栓」になっていて、浴槽の上部にある排水ボタンを押すと底にある排水栓が上下して水を流したり貯めたりします 今夏あたりから、ボタンを押しても排水栓が閉まらず 水が流れっ放しになっていて焦ったことが何回かあったのですが、一昨日、排水栓の掃除をしている時、中の部品が飛び出して壊れてしまいました 何とか修復しようと試みたのですがどうにもならないので、6年前にユニットバスを購入したTOTOに修理依頼の電話をして、修理に来てもらったのが昨日午後でした したがって一昨日の夜は今年初めて入浴しませんでした 部品(下の写真)を交換して無事に工事が完了しましたが、部品代、出張費等を含めて合計17,435円もかかってしまいました 予想外の出費ですが、この寒い中、安心してお風呂に入れることを考えれば高くはないか、と自分に言い聞かせています いずれにしても、今まで当たり前に出来たことが急に出来なくなってしまうと不安になりますが、目の前の不安材料は自分で何とかしなければ何も解決しないということを改めて感じた”事件”でした
ということで、わが家に来てから今日で2264日目を迎え、米紙ワシントン・ポスト(電子版)によると、メドウズ大統領補佐官は11日、米食品医薬品局(FDA)のハーン長官に対し、同日中に米製薬大手ファイザーの新型コロナウイルスワクチンの緊急使用を許可できないならば辞任すべきだと圧力をかけ、一方 トランプ大統領はFDAについて「大きくて年老いた、のろまなカメ」とツイッターに投稿し、その後緊急使用が許可された というニュースを見て感想を述べるモコタロです
4年後の大統領選に向けた実績作りのためには 科学を無視して国民を不安に貶める
3月27日(土)15時から文京シビックホールで開かれる「響きの森クラシック・シリーズVol.75」のセット券購入者先行発売日だったので電話して取りました なぜかこの公演はネットでの受付がありません 午前10時から電話受付開始だったのですが、何度かけてもまったく繋がらず、やっと繋がったのは午後4時半過ぎでした 何とか1階中央のS席を確保できましたが、通路側席は夢のまた夢でした プログラムは①ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」、②同「交響曲第7番」です 演奏は②のヴァイオリン独奏=川久保賜紀、指揮=小林研一郎です この公演は当初、ベートーヴェンの「第九」が演奏される予定でしたが、コロナ禍のため曲目・出演者が変更になりました
井上ひさし著「四捨五入殺人事件」(中公文庫)を読み終わりました 井上ひさしは1934年生まれ。上智大学仏語科卒。NHKテレビで放映の「ひょっこりひょうたん島」など放送作家として活躍後、戯曲、小説などの執筆活動に入る。小説では「手鎖心中」で直木賞、「吉里吉里人」で日本SF大賞および読売文学賞を受賞したほか受賞多数 戯曲では「道元の冒険」で岸田戯曲賞ほか受賞多数 2010年4月死去
小説界の大御所・石上克二と中堅作家・藤川武臣は奥羽山脈と仙北平野の中間にある成郷市に講演のため赴いた ところが、宿泊先はテレビもない山間の成郷温泉にある「高屋旅館」で、しかも折からの大雨で村に一つしかない橋「鬼哭橋」が流されてしまい、成郷市に行けなくなってしまった 孤立した2人の作家を待ち受けていたのは連続殺人だった 最初に高屋旅館の女主人の妹・織田小夜が、次に姉の織田加代が何者かによって殺された しかし、石上も藤川も織田姉妹が言い争いをしている声は聴いても、一緒にいるところを見たことがない 織田家は代々この地域を支配してきた家柄で、村人から搾取してきた過去から恨まれていたことが分かる 藤川は村人たちの動きから推理を働かせる
巻末の「解説」を編集者の松田哲夫氏が書いています それによると・・・「四捨五入殺人事件」は「吉里吉里人」と似通っているところがある。簡単に言えば、どちらも作家の先生が東北旅行に出かけ、その先で事件に巻き込まれるという話で、農業問題に直面しているなど類似点はいろいろある・・・と書かれています
これを読んで思ったのは、井上ひさしは農業問題を訴えたいがために本書を書いたのではないか、ということです 成郷市の観光課長補佐・岡田に次のように言わせています
「昭和35年から40年にかけて、経済同友会だの、経団連だの、日本商工会議所だのというところが、いわば日本の独占資本の代表どもが、日本農業に対して、さまざまな提言をしております。(中略)連中の提案というのをまとめるとこうなりますかな 『高度の経済成長を遂げるためには安い農産物が必要である。安い農産物を得るためには労賃を安くしなければならない。そこで農業を機械化するのが急務である。一方、農業を機械化すれば農業労働力が余る。これを他産業が雇い入れればよい』。これが日本独占資本の代表どもの提案だった この提案の背景には米国による強力な自由化の圧力がかかっていた・・・こうして、農家は耕運機だのコンバインだのを買わされることになった」
「四捨五入殺人事件」の初出は実業之日本社の「週刊小説」昭和50年(1975年)7月18日号~9月19日号ですが、その当時の日本の農業が置かれていた立場は上記のようなものだったのだと思います
岡田課長補佐は次のように続けます
「とにかく、いろんな理由が重なって、いまのような状態になっておるわけですが、ひとことで言って、農民以外の人間は農民をいまだに虫けらと同じように考えている 国の方策如何で、必要になったり必要でなくなったり、農民は一や二や三や四にしか過ぎない。決して五、六、七、八、九ではない・・・四捨五入というやつですよ 四以下は国の都合で切り捨てられる。農民は、その四以下の数字と同じことなのです」
ここで本書のタイトル「四捨五入殺人事件」の根拠が出てくるわけですが、これが2人の作家が直面した殺人事件解決のヒントになっています
最後のどんでん返しでは、井上氏の”してやったり”の どや顔 が思い浮かぶようです