28日(月)。昨日は天気が良かったので、大掃除第2弾としてキッチンとレンジフードの清掃をしました レンジフードは油汚れ用洗剤と、セスキ炭酸ソーダ配合のクリーナーと、メラニンスポンジを駆使して油を落としました 何とか短時間にできたのは、”優秀な”洗剤が活躍したのと 毎年のことで慣れてきたからだと思います これで一番面倒な箇所の掃除が終わったので、後はトイレ、風呂場、リビング、玄関、廊下や床などを少しずつ掃除しようと思います
さて、一昨日の朝日朝刊「オピニオン&フォーラム」欄に京都大学名誉教授の佐伯啓思氏が「不要不急と必要の間」について文章を寄せていました 超訳すると、
「人は最低限の『必要』だけで生きているわけではない しかしまた、『不要不急』の無限の拡大は、人の生から本当に必要なものを奪い取りかねない そしてわれわれは『必要なもの』と『不要なもの』の間に、実は、『大事なもの』があることを知った 信頼できる人間関係、安心できる場所、地域の生活空間、なじみの店、医療や介護の体制、公共交通、大切な書物や音楽、安心できる街路、四季の風景、澄んだ大気、大切な思い出 これらは市場で取引され、利潤原理で評価できるものではない 『必要』も『不要不急』も、この『大事なもの』によって支えられ、またそれを支えるべきものである」
われわれは、物事を判断する時に、「イエスか、ノーか」「必要か、不要か」「良いか、悪いか」というように”二者択一”で考えがちです しかし、佐伯氏のようにその中間を考える視点が重要だと思います
ということで、わが家に来てから今日で2279日目を迎え、菅義偉首相は27日、ジャーナリストの田原総一朗氏と国会内で会い、新型コロナウイルス感染症が急拡大する中、計8人でステーキ会食に参加して批判を浴びたことを受け、年末年始の過ごし方について「もう会食しない」と伝えた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
支持率がこれ以上急落したら内閣総辞職になってしまうから 会食くらいは我慢か
新文芸坐でピエトロ・マルチェッロ監督による2019年製作イタリア・フランス・ドイツ合作映画「マーティン・エデン」(129分)を観ました
イタリア・ナポリの労働者地区に生まれた貧しい船乗りの青年マーティン・エデン(ルカ・マリネッリ)は、上流階級のエレナ(ジェシカ・クレッシー)と出会って恋に落ちる 彼はそれをきっかけに文学の世界に目覚める 独学で作家を志すようになったマーティンは、夢に向かい一心不乱に文学にのめり込んでいくが、生活は困窮し、エレナの理解も得られなかった それでも、様々な本を読みながら、さまざまな障壁や挫折を乗り越え、マーティンは名声と富を手にするまでになる そうした彼の前に再び現れたエレナを、彼は許すことが出来なかった
この映画は、アメリカの作家ジャック・ロンドンの自伝的小説をイタリアを舞台に映画化した作品です 貧しく無学なマーティンは、エレナや他の人たちから「小学校からやり直し」と言われますが、エレナに認められたい一心で努力を続けます しかし、作品を書いては出版社に送りますが、「発送者に返送」の烙印を押されて戻される日々が続きます そして、「エロイカ」という出版物に初めて作品が採用されてから彼の快進撃が続きます これは「何事も根気よく続けていれば、いつかは誰かが認めてくれる」という教訓を示しているかのようです
ところで、映画の序盤で、マーティンはエレナの弟を窮地から救ったことでエレナの家に招かれ歓待されますが、エレナの弾くドビュッシー(多分)のピアノ曲に感動して拍手をしますが、まだ演奏は終わっていませんでした これはエレナ一家とマーティンの教養の差、ひいては身分差を表すエピソードとして描かれていますが、このシーンを観て、曲の途中で拍手をすることについて頭に浮かんだことがありました
私は普段から、クラシック・コンサートでは演奏される作品について事前にプログラムノート等で、何楽章から構成されているのかを確かめてから聴くべきで、演奏が終わっていないのに途中で拍手をするのは緊張感を失わせ 演奏者に対し失礼になる、と思っていました しかし、しばらく前、音楽関連の本(あるいは雑誌だったか)を読んで、考え方が変わりました それは、ある指揮者が楽団員に対し「1楽章が終わったところで拍手をするお客さんを笑ってはいけない。そのお客さんは初めてクラシック・コンサートを聴きに来た人かもしれない そうだとすれば、新たな聴衆が一人増えたわけだから、オーケストラにとっては喜ぶべきことだ」と語ったという内容でした これは私にとって「目から鱗が落ちる」経験でした 私は演奏する立場の側の人間ではありませんが、クラシック・ファンが増えるのは大歓迎です その文章に出会って以来、楽章間に拍手をする人に舌打ちするのを止めるようになりました
さて、私の記憶違いでなければ、劇中とエンドロールで静かにゆったりと流れていたのは J.S.バッハのカンタータ第156番「わが片足すでに墓穴に入りぬ」から第1曲「アリオーソ」です この曲は後に「チェンバロ協奏曲第5番BWV1056」の第2楽章「ラルゴ」に転用されています バッハの音楽は普遍的です