人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

野村芳太郎監督「砂の器」、「八つ墓村」を観る~全編に流れる ピアノとオーケストラのための楽曲『宿命』:新文芸坐「追悼・橋本忍特集」第2日目

2018年09月03日 07時32分39秒 | 日記

3日(月)。わが家に来てから今日で1432日目を迎え、米ホワイトハウスは8月31日、11月にシンガポールで行われる東南アジア諸国連合(ASEAN)や、パプアニューギニアであるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議をトランプ大統領が欠席し ペンス副大統領を派遣すると発表したことから、米メディアは「アジア軽視」とのメッセージになると指摘した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     アメリカ・ファーストのトランプにとって「アジア軽視」なんて当たり前のこと

 

         

 

昨日、新文芸坐で「日本映画の黄金期を書いた男 追悼・橋本忍」特集の第2日目、「砂の器」と「八つ墓村」の2本立てを観ました

「砂の器」は野村芳太郎監督、松本清張原作、橋本忍・山田洋二脚本による1974年松竹映画(カラー・143分)です。

東京・蒲田にある国鉄の操車場で殺人事件が発生する 被害者の身元が分からず捜査は難航するが、被害者が殺害される直前に蒲田駅前のバーである男と会っていたことが分かり、2人の会話から「カメダ」という謎の単語が浮かび上がる 人名か地名か不明のこの単語をキーワードに刑事の今西(丹波哲郎)と吉村(森田健作)は全国を奔走する。まず秋田県・亀田に当たりを付けるが空振りに終わる その後、被害者の息子が警察に現れるが、被害者・三木謙一の住所は岡山県であり、付近には「カメダ」という土地は存在しないことが分かる ところが調査によると、島根県の出雲地方に東北弁との類似がみられ、その地方に「亀嵩(カメダケ)」という地名を発見し、三木謙一(緒形拳)はその地で20年間巡査をしていたことが判明する その間、三木は哀れな乞食の父子を世話し、ハンセン氏病に罹患した父親・本浦千代吉を病院に入れた後、残された子・秀夫を我が子のように養育していたが、秀夫は家出をして行方不明になっていた 彼はその後、戦後の混乱期に乗じて戸籍を作り直し、和賀英良(加藤剛)と名乗り 今や天才ピアニスト・作曲家になっていた  将来が約束されている今の彼にとって、ハンセン氏病の親を持つ自分の過去を知る三木謙一は忌まわしい人物だった   和賀が自らピアノを弾き、自作のピアノとオーケストラのための楽曲『宿命』が初演される会場の舞台袖に、逮捕状を手にした今西、吉村両刑事の姿があった

 

     

 

「砂の器」は松本清張が1960年5月17日から1961年4月20日までの間、読売新聞夕刊に337回連載した長編小説です この映画の音楽を統括しているのは芥川也寸志ですが、主人公の和賀英良が作曲し初演するピアノとオーケストラのための楽曲『宿命』は、芥川の協力により 菅野光亮が作曲した作品で、映画では東京交響楽団が演奏しています 和賀が過去の辛い時代を回想しながら演奏するシーンでドラマティックに鳴り響きます とても印象深い曲に仕上がっています 「宿命って何を意味するの?」と訊く婚約者に対し、和賀は「宿命とは生まれてきたこと。今生きていることだ」と言います それは自分がハンセン氏病の父親を持って生まれ、育てられたことから出た言葉です

映画の最後に次のようなテロップが流れます

「ハンセン氏病は医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」

ハンセン氏病はともかくとして、今アメリカではトランプ政権の誕生により移民に対する差別と偏見が公然と行われるようになっています それでは、日本では差別と偏見は一切ないと言えるのだろうか

 

     

 

         

「八つ墓村」は野村芳太郎監督、横溝正史原作、橋本治脚本による1977年松竹映画(カラー・151分)です

寺田辰弥(萩原健一)は空港機誘導員をしていたが、母方の祖父であるという井川丑松という老人が訪ねてくる 法律事務所で会った祖父は、その場で突然もがき苦しんで死んでしまう 辰弥は自分の出生の謎を解くため、父方の親戚筋の未亡人である森美也子(小川真由美)の案内で生まれ故郷の岡山の八つ墓村に向かう。彼はそこで自分が故郷の豪家の多治見家の後継者であると聞かされる 美也子から多治見家と八つ墓村の由来を聞くが、それは戦国時代まで遡る話だった。1566年、毛利に敗れた8人の落ち武者が村にやって来た時、毛利の褒賞金に目がくらんだ村人たちは8人を惨殺したが、落ち武者たちは「この恨みは末代まで祟ってやる」と呪詛を吐きながら死んでいった その時の首謀者が多大な褒賞を得た村総代の多治見庄左衛門だった しかし、彼はある時 突然発狂し村人7人を惨殺した後、自分の首を切り落として死んだ。村人は落ち武者の祟りを恐れ、8人の屍を丁重に葬ったことから 村は八つ墓村と呼ばれるようになった、というものだった

さらに、辰弥の父親だという多治見要臧(山崎努)も、28年前に恐ろしい事件を起こしていた   要臧は多治見家の当主で妻もありながら、若い鶴子(中野良子)を強引に妾にし、多治見家の離れに軟禁していた。しかし、鶴子が生まれたばかりの辰弥を連れて出奔してしまい、その数日後に要臧は発狂して妻を惨殺、村人32人を日本刀と猟銃で虐殺し、失踪した 辰弥の帰郷と時期を合わせるようにして、またしても毒殺による連続殺人事件が起こり始め、私立探偵の金田一耕助(渥美清)が村に現れる

 

     

 

一度は観たことのある映画ですが、あまり内容を覚えていなくて、「ああ、こういうストーリーだったのか」と思い出しました 鍾乳洞における場面が観る人の恐怖心を呼び起こしますが、「祟りじゃー、八つ墓村の祟りじゃー」というフレーズが日本列島を駆け巡ったことを思い出します

以外だったのは、「金田一耕助シリーズ」としては 肝心の金田一耕助探偵(渥美清)の推理・謎解きのシーンが極端に少ないことです 「おいちゃん、それを言っちゃあ おしめえよ」という声が聞こえてきそうですが

 

     

     

 

先週はコンサートが無かった代わりに、映画を12本観たので いささか疲れました ということで、今日も明日も映画です

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