人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

遠藤周作原作・松浦禎三作曲のオペラ「沈黙」を観る~重いテーマに立ち上がれず

2015年06月28日 08時09分56秒 | 日記

28日(日)。昨日午前、当マンション管理組合の定時総会があり,理事長として議長を務めしました 理事・監事は10人中5人の出席に止まり,一般の組合員は本人出席が何と3世帯(5人)のみでした.86世帯のうちでこれだけの出席状況ですから,理事長としてはやる気が失せます 半数以上を占めるワン・ルームからの出席がほとんどありません.これはどこのマンションでも同じなのでしょうか?予算・決算ほかの議題をすべて承認しましたが,その中に「管理費等を1年以上滞納している2名に対する訴訟の件」が含まれており,また私の名前で裁判を起こすことになりました 「また」というのは8年位前に私が理事長だった時,駐車場料金を長期間滞納している者に対して訴訟を起こしたからです.その時は,裁判では勝ったものの,当人が夜逃げをして滞納分と弁護士費用を回収できませんでした それにしても,どうして私が理事長になると裁判沙汰が表面化して私の名前が前面に出ることになるのか,星回りが悪いとしか言いようがありません 管理費の滞納というのは,まあ簡単に言えば「エレベーターは使用するな,ゴミも自分で処理しろ」という話です.集まった管理費でエレベーターの保守をやり,分別ごみを含めて清掃作業を専門業者に依頼しているわけですから それにしても,同じマンションに住んでいて相手の顔が分かる状況の中で訴訟を起こすわけですから,ボランティアに過ぎない理事長としては,やるだけ損で,やりきれない思いです というわけで,わが家に来てから262日目を迎え,ご主人が観に行ったオペラの予告をするモコタロです 

 

          

          

               この人だ~れ?  ・・・・・・・・  沈黙 

 

  閑話休題  

 

昨日、新国立劇場で松浦禎三のオペラ「沈黙」を観ました。これは松浦禎三(1929-2007)が遠藤周作の原作による小説をオペラ化したものです キャストは、ロドリゴに小餅谷哲男、フェレイラに黒田博、ヴィリニャーノに成田博之、キチジローに星野淳、モキチに吉田浩之、オハルに高橋薫子、おまつに与田朝子ほかで、下野竜也指揮東京フィルの演奏、演出は宮田慶子です

若き宣教師ロドリゴは、キリシタンへの弾圧が過酷を極めていた17世紀初頭の長崎に密かに渡ってきた 目の前で村の貧しい信者たちが次々と捕えられ、厳しい拷問を受けて死んでゆくが、彼らを助けることが出来ず、神からも救いの手が差し伸べられることもない やがて自らも捕えられ、信者を救うためにはまず自らが棄教すべきだと恩師フェレイラに説得される。ロドリゴは神に祈るが、神の沈黙は破られず、絶望の中で踏絵と向かい合うことになる

 

          

 

新国立劇場での「沈黙」は前回,2012年2月に「中劇場」で今回とほぼ同じキャストで上演されていますが,その時,私は夕方から中東某国のVIPの記者会見のため第1幕だけ観て出勤したので,第1幕・第2幕を通して観るのは今回が初めてです しかも今回は大劇場(オペラ・パレス)での上演です

日本人が作曲したオペラは空席が目立つのですが,会場に入って驚きました.ほぼ満席です 中劇場でなく大劇場での満席は相当の数です 照明が落とされ,指揮者・下野竜也がオーケストラ・ピットに入ります.舞台上の大きな特徴は中央やや左に大きな十字架がそそり立っていることです しかもそれはやや右に傾いています.この傾斜は演出上大きな意味があるように感じます

オール日本人キャストによる日本語オペラなので,外国オペラに比べればすんなりとストーリーが入ってきます 歌を聴けば,やっぱり日本人の作品は日本人が歌うのが一番自然で安心して聴いていられるな,というのが本音です 歌手陣が良かったのはもちろんですが,下野竜也指揮東京フィルの演奏も冴えていました

モキチ,じさま達はキリストの踏絵を踏むことを拒否して水磔(海の中でのはりつけ)に処せられるわけですが,キチジロは踏絵を踏みロドリゴを役人に”売って”生き延びる道を選びます さて,われわれはキチジロを責めることができるのか 

役人によるキリスト教徒排斥行動を目の当たりにして,宣教師ロドリゴは,救いを求める民衆に対し祈ること以外何も出来ない.神も”沈黙”を破って何かを言うこともない キリスト教の力とは? 宗教とは何か? 遠藤周作の原作によるこのオペラのテーマは,非常に重い

最後の場面,ロドリゴが踏み絵を踏んで,キリストの顔の描かれたその踏絵を両手で抱き,幕が静かに降りるや否や,拍手とブラボーが叫ばれましたが,私は拍手をする気になれませんでした しばし呆然とこのオペラの重いテーマを考えていました.オペラを観てこういう気持ちになったのはこれが初めてです

舞台上の大きな十字架の傾きは,困難に直面した時も神は助けてくれないという,キリスト教に対する民衆の不信感の表れなのかも知れません

 

          

コメント
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