14日(日).わが家に来てから248日目を迎え,コバエ・ホイホイが自分に仕掛けられたと勘違いして怒り心頭のモコタロです
おいらコバエじゃないよ 見りゃ分かるだろう ゴジラの子だよ
閑話休題
昨日午後3時から文京シビックホールで「響きの森クラシック・シリーズ」公演を、午後7時からサントリーホール”ブルーローズ”で「ミロ・クアルテット・ベートーヴェン・サイクルⅤ」を聴きました 今日は先に聴いた「響きの森クラシック・シリーズ第52回公演」について書きます
今年度の「響きの森」シリーズは全4公演で小林研一郎指揮東京フィルの演奏によりチャイコフスキーの楽曲が取り上げられます 今回の公演はその第1弾です.プログラムはチャイコフスキーの①バレエ組曲「くるみ割り人形」から「花のワルツ」,「金平糖の踊り」「葦笛」,②イタリア奇想曲,③歌劇「エフゲニー・オネーギン」から「ポロネーズ」,④ロココの主題による変奏曲(チェロ独奏=上野通明),⑤大序曲「1812年」です
オケがスタンバイしますが,コンマスが荒井英治でも三浦章宏でもなく,若いヴァイオリニストです あらためてプログラムのメンバー表で確かめると依田真宣とありました.この若者は昨年のサントリーホール・チェンバーミュージックガーデンでピアノ三重奏の「アルク・トリオ」のメンバーとして演奏した人です 確か,昨年の今頃のブログで「近い将来,頭角を現す実力の持ち主だと思う」旨を書いた記憶があります まさか,1年足らずで日本一の団員数を誇る東京フィルのコンマスに就任するとは思っても見ませんでした それは良いとして,メンバー表のどこを探しても「コンマス=荒井英治」の名前が見当たりません.いったいどうしてしまったのでしょう モンゴーア・クァルテットの活動に専念するのでしょうか?東京フィルの会員とはいえ「文京シビック・響きの森シリーズ」は年4回しかないので,楽員人事の情報がなかなか入ってきません 東フィルファンさん,教えてください
拍手の中,小林研一郎が登場しますが,指揮台に上がる前に「1曲目に『エフゲニー・オネーギン』の”ポロネーズ”を演奏します.勝手に順番を変えてゴメンナサイ」と言って,本来は後半の1曲目に演奏するはずだった”ポロネーズ”の演奏に入りました 事前のアナウンスも何もなかったので,彼が言わなければ,最初の音楽を聴いて誰もが首をかしげていたことでしょう
プログラミングとしては”ポロネーズ”を最初に持ってくる方が正解です この曲は歌劇「エフゲニー・オネーギン」の第3幕冒頭の公爵家の舞踏会シーンで演奏される華麗で壮大な音楽ですが,コンサートの幕開けに相応しい音楽です
コバケンは今度はマイクを持って「皆さんにチェレスタの音を聴いていただきましょう.お願いします」と言って,ステージ左サイドに控えていた女性奏者に演奏を促すと,オルガンのような楽器から鉄琴のような音が流れてきます 「チャイコフスキーは,ある街角でこの楽器の音色を聴いた時,『リムスキー・コルサコフにだけは教えないように.彼はオーケストレーションが上手だから,先を越されてしまう.自分が最初にこの楽器を使って作曲するから,それまでは黙っていてほしい』と語ったと言われています」と解説,オケ全体でチェレスタが活躍する『金平糖の踊り』を演奏しました
またマイクを持って「次にフルートに葦笛の音楽を吹いてもらいます」と言って,フルート奏者3人を立たせて演奏を促しました.そしてオケ全体で『葦笛の踊り』を演奏,最後に締めくくりとしてお馴染みの『花のワルツ』を優雅に演奏しました
次の『イタリア奇想曲』については「この曲は解説するより実際に聴いていただいた方がいいと思います」と言って指揮に入りました この曲は1879年末に弟のモデストと共にパリやローマを訪れた際の印象を音で表したものです.一言で言えば”どんよりと曇ったロシア”から来た作曲家が”太陽が燦々と輝くイタリアの世界”を描いた音楽です 管楽器も弦楽器も輝くような音で明るいイタリアを表現していました
休憩後,なぜか指揮台が外され,チェロの演奏台が設置されます.指揮者とともにソリストの上野通明が登場します 2014年オーストリアで開催された第21回ブラームス国際コンクールで第1位を獲得しています
「ロココの主題による変奏曲」は1876年12月から77年1月にかけて作曲された,一種のチェロ協奏曲です.上野は懸命に弾くというのでなく余裕を持って弾いています 曲想が激しい音楽でないこともありますが,決して強奏することなく自然体で弾いている姿が好感が持てます
演奏が終わると,何度かカーテンコールがあり,コバケンが上野にアンコールを促して,自分は女性ヴィオラ奏者の椅子に半分腰かけて見学を決め込んでいます いきなりアンコールを指名されたルーキー上野通明は,阪神ー広島戦・9回裏ツーアウト満塁スリーボール・ツーストライクに追い込まれた阪神の鳥谷敬のように茫然自失の体で,空を仰ぎます 果たして上野はマエケンをリリーフしたコバケンの変化球を打ち返すことが出来るのか??? しかし,この若者はしばし考えたあげくバッハの「無伴奏チェロソナタ第6番」の”プレリュード”を何の苦も無く弾き始めました 弾き終わった時の会場は,満塁ホームランを放った鳥谷敬をホームベースに迎え入れる時に賞賛の拍手を送る甲子園球場の阪神ファンさながらの風景でした
さてここで,コバケンがなぜ指揮台を外したのか,を考えてみたいと思います.それは演奏家,とくに若い演奏家への配慮だと思います 私が思うに,コバケンは「指揮者というのは,いくら全体を統括している存在だとしても,自分では一切音を出すことはない その意味では,演奏している者こそ賞賛され敬われるべき存在である」という姿勢を貫いているのではないかと思います とくに自分の孫のような将来性のある若者に対しては,しっかりサポートをして暖かく見守ってあげようという姿勢が見えます.コバケンの良い面はそういうところでしょう
あらためて指揮台が設置され,オケが拡大しフル・オーケストラで「大序曲1812年」の演奏に備えます 左サイドには大太鼓がスタンバイしますが,すぐ前の第1ヴァイオリン最後列2人の椅子の背中には,透明のアクリル板が機動隊の楯のように固定され,曲の終盤で大砲の代わりに強打される大太鼓の大音響に伴う風圧から守ります あの楯がなければ彼女たちは現代のベートーヴェンになっていることでしょう
この曲は1812年にモスクワに攻め入ったナポレオンが,寒さと飢えとロシア軍の反撃によって敗北した様子を表現にしたもので,1881年の産業・芸術博覧会のために作曲されたイベント音楽です とにかくド派手な曲で一般大衆受けする曲の筆頭とも言える作品です
曲の終盤になると,ステージ左右の張り出し部分に,それぞれトランペットとトロンボーンが2本ずつスタンバイし,ステレオ効果を狙います コバケンはオケの方を向いて指揮したり,後ろを振り返ってブラス・ユニットを指揮したり,大忙しです
この曲をLPレコード時代に聴いた時,大砲が鳴るところで(本物の大砲の音が入っている)レコード針が跳んで演奏が一気に終わってしまった経験があります その悩みはCDの登場で解決しましたが,こういう曲は家の中でチマチマ聴く音楽ではありません.生で聴いてこその音楽でしょう