5日(月)。わが家に来てから記念すべき100日目を迎えたお目出度いモコタロです 100日目の記念にモコタロをチョコレートでコーティングしてみました
アハハ、ジョーダン、ジョーダン、マイケル・ジョーダン
本物のモコタロは元日にお目見えしたこちらです ↓
閑話休題
今日は仕事始め。今年のお正月は年末にひいた風邪が長引いて絶不調でした お年始は例年2日が狭山、3日が品川と決まっていたのですが、今年は品川の都合で、2日が狭山、4日が品川となりました その間隙を縫って3日に初詣でを済ませましたが、いったい今年はどんな年になるのか、さっぱり予想が付きません ただ、人生の一大転機の年であることは間違いありません。幸運は待っていたのではやってきません。自分で”ツモッテ”来なくてはなりません 取りあえず、クラシック・コンサート、映画、読書で合計300の目標達成に向けて頑張ることにします
も一つ、閑話休題
NHKアナウンス室・偏「NHK気になる言葉『サバを読む』の『サバ』の正体」(新潮文庫)を読み終わりました この本はNHK総合テレビで平成15年から始まった「お元気ですか日本列島」の「ことばおじさんの気になることば」コーナーから生まれたそうです 「最近の若者の言葉は乱れているのではないか」という、いつの時代にも普遍的なテーマをはじめ、身近なことばを解説しながら、「ことば」は不変ではなく時代によって変化していくことを分かり易く説いています
音楽に関わりのある言葉で言えば、ヴァイオリンの数え方が取り上げられています。テーマは「なぜ?豆腐も銃も『1丁、2丁』」です
豆腐の「1丁」と言う場合、「丁」には偶数という意味がある。さいころの目で「丁」「半」というときの「丁」だ。一説には、元々豆腐2個分で「1丁」と数えていたと言われている。今では大きさに関係なく豆腐ひとかたまりで1丁である 一方、銃を数える時の「丁」は、本来「挺」と書いていた。「挺」は常用漢字ではないので、代わりに「丁」で書き表したのだ。この「挺」は「まっすぐなさま」「まっすぐな棒」を表した文字で、手に持って使う棒状の道具類を数える言葉として使われるようになった 銃の他にも、「鋤(すき)」「鍬(くわ)」「槍(やり)」にも使う。意外なところでは長い柄の部分を持って使う三味線、弓を使って演奏するヴァイオリンにも使う。・・・・・・という訳で、ヴァイオリンは1挺2挺と数えるのです
次に「遺憾で謝ってるの?」というテーマです
よく不祥事を起こした企業の社長が記者会見で「誠に遺憾に存じます」と語るシーンがありますが、あれは謝罪しているのか?という疑問です 結論から言えば、「遺憾」というのは「思い通りにならず、心残りだ、残念だ」という意味で、字を見ても「遺=残す・憾=うらみ」と、謝罪を意味する文字は全くない。「遺憾という言葉は、責任や責任追及を受けるリスクを回避できる便利な表現」のようです
ここで、読んでいてハッとした事例を挙げましょう。「~でいい、は失礼?」というテーマです
「何か飲みますか」と聞かれ、「コーヒーでいい」と言わないだろうか。これだと「ほかのがいいけど、コーヒーでもいい」と受け取られ、良い印象が得られないのではないか、むしろ「コーヒーがいい」と言った方が、コーヒーを淹れる方が良い気分になれる、ということです。しかし、NHKはここで止まりません。例えば暑い日に訪問先で「何か飲みますか」と聞かれ、「水がいい」と言った場合、言った本人は相手に手間を取らせないようにと思って言ったはずが、相手はせっかく麦茶を準備していたのに「水がいい」と言われて「わがままな人だ」と思ってしまうかも知れないというのです。「バカと挟みは使いよう」と同じように「『で』と『が』は使いよう」ですね
ここで若者言葉の登場です。「圧倒的に少ない」って変?というテーマです
本来「圧倒的」とは、「他のかけ離れて優れていること。他をまったくしのいでいること」という意味を言う。したがって「圧倒的に強い」「圧倒的な人気」というようにプラスの意味で使われることが多い言葉だ ところが、「圧倒的に少ない」という言葉をよく聞くようになった。「他とかけ離れている」というところから、単に「段違いの力の差がある」という意味に使われるようになり、それが広まったと思われるとのこと
誰でも何気なく使っている言葉に「きょうだい」があります。テーマは「女でも兄弟(きょうだい)?」です
「ご兄弟は?」と尋ねるとき、男女を考えて「兄弟姉妹は?」とは言わないだろう。「しまい」は姉と妹しか指さないのに対し、「きょうだい」は古くから男女の別に関係なく使われてきた。兄、姉、弟、妹のどの組み合わせでもすべて「きょうだい」と言えるそうです
さて、本のタイトルになっている「サバを読む」のサバとは何のことか、というテーマです
年齢をごまかす時など、自分の都合のいいように数をごまかす時によく「サバを読む」と言います。語源には諸説があるようです
1.サバは魚のサバのこと。サバを傷まないうちに急いで数えたことから数が大ざっぱになったので、そこから数をごまかすことを「サバを読む」と言うようになった
2.江戸時代、漁場や魚市場のことを「五十集(いさば)」と言い、市場では悠長に数を数えていたのでは間に合わないため早口になり、そのことを「いさば読み」と言っていた。その「い」が抜け落ちて「さば読み」となった
3.昔、寿司職人が寿司を握るときに、お客に出した個数を覚えておくため、飯台の下にご飯粒を付けていた。そのご飯粒のことを「生飯(さば)」と呼んでいた。そこから「サバを読む」と言うようになった
上に挙げたのはほんの一例にすぎません。このほかにも、「なぜ風邪は”ひく”のか?」(風を吸いこむ)とか、「フリーマーケットのフリーとは?」(蚤のこと)とか、「シルバーシートの由縁は?」(偶然の産物)とか、「エチケットとマナーの違い」とか、知っていて為になる知識が満載です。決してサバを読んでません。お薦めします