人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

第4回音楽大学オーケストラ・フェスティバル演奏会を聴く~武蔵野音大、昭和音大

2013年11月24日 07時01分03秒 | 日記

24日(日)。昨日、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで第4回音楽大学オーケストラ・フェスティバル演奏会を聴きました 東京芸術劇場の建物に入ると、巨大な水牛のオブジェが出迎えてくれました

 

          

 

プログラムと演奏者は①ショスタコーヴィチ「交響曲第10番」(北原幸男指揮武蔵野音楽大学管弦楽団)、②チャイコフスキー「交響曲第4番」(マテシッチ指揮昭和音楽大学管弦楽団)です

 

          

 

自席は1階0列11番。会場は9割方埋まっている感じです。このフェスティバルは1回に2つの音楽大学が登場しますが、オケの演奏に先立って、エールの交換ということで”ファンファーレ”が演奏されます 最初は武蔵野音楽大学のために、昭和音楽大学の野呂望君作曲によるファンファーレが11人のブラス奏者によって華やかに演奏されました

ブラスのメンバーが一旦退場して、武蔵野音大オケの学生たちが入場します。圧倒的に女子学生が多いことに今さらながら驚きます この傾向がそのままプロのオケに反映していくのだと思います

コンマスも女性です。女性の場合、正しくは”コンサートミストレス”と呼ぶべきですね オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスというオーソドックスな態勢を採ります

ロマンス・グレイの北原幸男が登場、ドミトリー・ショスタコーヴィチの交響曲第10番第1楽章が低弦によって重々しく始まります この曲は彼のイニシャルD,Schの音名象徴D,Es、C,Hが織り込まれ、自叙伝的な性格が強いと言われています。ただ、われわれ素人には音楽を聴いていても、どこでどう使われているのかまったく分かりません

この曲を聴くにあたって、初演者であるエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのCDで予習しておきました

 

          

 

さてこの曲の聴きどころは何と言っても第2楽章「アレグロ」です。この音楽の持つ激しさは何なのでしょうか スターリンの死によって「社会主義レアリズム」路線が下火になって、これまでの鬱積が一気に噴き出したのでしょうか これから自由路線を突っ走るぞ、という表明の現れでしょうか ショスタコービチはこの作品について「熱烈に平和を愛し、戦争への移行に反抗し、地上における人類の使命が破壊ではなく創造にあると考えるような、現代の人々の思想や希望を表現したものである」と述べていますが、あまりにも抽象的すぎて真意は分かりません。北原は激しく身体を動かしオケを煽り立てます。若さに溢れる学生たちが情熱的な演奏で応えます

会場一杯の拍手に、学生たちの顔は達成感に満ち、とても嬉しそうです

休憩後は、まず昭和音楽大学のために、武蔵野音楽大学の越川信生君作曲によるファンファーレが12人のブラス奏者によって高らかに演奏されました

ブラスメンバーが一旦退場して、昭和音楽大学オケのメンバーが入場します。このオケも女性が多いのですが、チェロや管楽器は約半数が男子学生です。こちらはコンマスは男子学生です。1969年イタリア生まれのマッシミリアーノ・マテシッチがタクトを持って登場します

チャコフスキーが交響曲第4番を作曲していた1877年頃は、彼を崇拝する女性と、愛しているわけでもないのに結婚し、それが原因で自殺未遂事件を起こすなど精神的に病んでいました そんな窮地を救ったのはロシアの大富豪の未亡人ナジェージタ・フォン・メックでした。彼女がいなかったら、チャイコフスキーは立ち直れなかったでしょう

第1楽章冒頭のホルンとファゴットによるファンファーレは、チャイコフスキー自身が「運命の動機」と呼んだ重要なフレーズです この楽章を通して聴いて感じたのは、ティンパ二が重要な役割を果たしている、ということです 管楽器も弦楽器も、もちろんメロディーメーカー、チャイコフスキーの音楽の核となる要素ですが、ティンパ二は、ここぞという場面で全体を”締めている”と思います 男子学生のティンパ二奏者はよく頑張っていました

第2楽章の冒頭のオーボエ独奏は哀しみを湛えて良く歌っていました 第3楽章は前半が弦楽器のみのピチカートですが、これが素晴らしい演奏でした 第4楽章は”第2の運命の動機”とでも呼びたくなるような特徴的なフレーズで始まります そして、再び第1楽章の”運命の動機”が現われ、激しいクライマックスとともにフィナーレを迎えます

会場を拍手が満たし、ブラボーが飛び交います 学生たちは「やるべきことはすべてやった」という満足感に満ちた顔をしています。私も惜しみない拍手を送りました

毎年、この「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」を聴いていて思うことは、「舞台で演奏している学生たちは各大学で選抜された人たちに違いない。しかし、彼らが何年か後に卒業する時に、いったい何人の学生が音楽関係の道に進めるのか、早い話が”就職できるのか”」ということです。生き生きと演奏する彼らの姿を見ながら、そんなことを考えていました

 

          

コメント (2)
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