明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

黒い雨訴訟で大きく開かれた可能性をいかに生かすのか 問われているのは私たちの努力だ  明日に向けて(2146)

2022年01月15日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220115 23:30 0124 21:00改訂)

1月29日土曜日に大阪府豊中市で黒い雨裁判についてお話します。
午後2時から豊中市中央公民館・講座室にてです。ぜひご参加下さい。

残念。コロナが流行っているので1月29日の開催は取りやめとなりました。
代替の日を設けるかどうか、主催者のみなさんで検討中です。決まり次第またお知らせします



「広島と福島をつなぐ希望の判決」

このタイトルは主催者のみなさんがつけたものです。良いタイトルだと思います。これに沿ってお話します。
僕はこの場合の「福島」は「福島県」のことではないと受けめています。「福島」に込められているのは、福島原発事故被災者=新ヒバクシャのことです。
さらにこの判決は、世界のヒバクシャにも希望をつなぐものとなっています。だから「広島と福島、そして世界をつなぐ希望の判決」だったらもっと良いかな・・・。

当日お話するエッセンスをぎゅっと縮めて表現しておきますい。一つに黒い雨裁判は、これまでの被曝影響の見積もりがとても過小評価されたものだったことを明らかにしたことに大きな意義があります。
またとくに高裁判決では、黒い雨の影響を受けたかどうかだけが、被爆者と認める要件であること、病になっているかいないかは関係ないことを明確にしたことに大きな意義があります。
放射能の被害を受けたら、病を発症しうるのですから、当然にも医療保障が必要なのです。病は未然に防ぐことに越したことはないし、早期に発見されるほど有利です。だから「発症しうる」人は守られて当然なのです。


高裁でも勝訴!喜んで手を振る高東征二原告団事務局長 2021年7月14日 守田撮影

問われているのは私たちの努力

もう一つ、お話したいエッセンスは、画期的な意義を持っている黒い雨訴訟判決で開かれた可能性を、どう生かすのか、今、私たちが問われているという点です。
ここまで、つまり判決を引き出すまで、原告の方たちがものすごい頑張りを見せて下さいました。弁護団や支援者の方たちも素晴らしい活躍をして下さいました。それでつかみ取られた判決は、私たちすべてに希望を与えてくれています。
なぜって私たちの誰もがヒバクシャだからです。みなさん。ぜひこの点をおさえて下さい。ヒバクシャとはあなたのことであり、私のことなのです。

なぜか。広島、長崎の被害をものすごく小さく見積もることの中で、アメリカが大規模な核実験を繰り返したからです。これに対抗して旧ソ連もまた大規模な核実験を繰り返しました。黒い雨の影響はこのために過小評価されたのです。
その後にたくさんの原発事故がおきました。その度に私たちは放射線被曝にさらされてきたのです。にもかかわらずこの事実をもみ消す行為が今も続いています。
政府が高裁判決を無視し、「病を発症した」ことを被爆者認定として持ちだしてきていること、さらに明らかに黒い雨被害を受けている長崎の方たちを無視しようとしているからです。こんなこと許してはいけない。問われているのは私たちです。

以上、大きく二つの点を軸にお話します。ぜひご参加下さい!


1954年3月1日 ビキニ環礁で行われた核実験キャッスルブラボー 他人ごとと見てはいけません。被爆・被曝させられたのはあなたであり私なのです!

#黒い雨 #広島と福島をつなぐ希望の判決 #豊中 #放射線防護 #被爆者 #ヒバクシャ #広島 #長崎

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黒い雨訴訟について、最もこの裁判を丁寧に取材した毎日新聞広島支局記者・小山美砂さんにお話を伺いました!守田が司会をしました。ぜひご覧下さい。

12月19日に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この連続講演にも触れています。

『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』ダウンロード先
https://nyoki2pj.com/lp/info_yomitokibook/

新BOOK 『AFTER TEN YEARS 命を守り育むために 福島原発事故から10年を振り返る』ダウンロード先
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原発はエネルギー問題ではありません。放射線被曝の危険性をしっかり把握しようー『放射線副読本』読み解き会をあなたの周りで 明日に向けて(2145)

2022年01月14日 20時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(22020114 20:00)

原発復活をもくろんだ数々の騙しにご用心

福島原発事故以降、たくさんの原発反対デモや集会が行われ、日本の原発は次々と廃炉になりだしました。
高速増殖炉もんじゅもストップし、核燃料サイクルの展望が閉ざされ、日本の原発にウランを売っていたアメリカの核燃料会社も倒産しました。
世界でもドイツや台湾が全廃を決めた他、原発離脱の流れが強まっています。

ところがこの間、気候変動問題などを利用し、原発復活が図られようとしています。
EUでも「脱炭素社会に向かうために原発が必要」と核大国フランスなどが叫び出しています。
これと向かい合うために大事なのは、原子力マフィアのウソと騙しのテクニックを見破るスキルを身に着けること。


マクロン仏大統領の原発建設再開の表明を報じる読売新聞


原発はエネルギー問題ではない

騙しの中の一つが原発を「エネルギー問題」とみせかけることです。
原発は「石油がなくなる」という掛け声のもとに進められ、今も「原発が無いとエネルギーが足りない」と喧伝されています。
騙されてはいけません。原発は安全問題であり国防問題です。重大事故で日本の半分以上を壊滅させるかもしれないからです。


福島原発事故では半径170キロが強制移転、250キロが任意移転になる可能性があった FNNの報道より

しかもそんな中でのたった数十年の発電で、何万年もの核廃棄物管理が必要になる。
大きな危険性と労力を未来世代に送るのです。
原発は暴力そのもの。倫理的にも許されないものです。


「原子力・エネルギー図面集」より 出典は核燃料サイクル開発機構


放射線被曝の危険性を無視するのが騙しのベース

この事実をごまかす騙しのベースは被曝の危険性を無視すること。
原発が放射性物質が大量に生み出すこと、しかもそれが何万年も続くことを隠してきたのです。
この騙しは、広島・長崎での大量虐殺以降、ずっと続けられてきました。

もともと騙しを進めたのはアメリカ軍。大量虐殺の責任を問われないためでもありました。
その後に危険性を隠して、核実験が続けられ、原発が世界各地で使われだしました。
だから一番大事なのは、被曝の危険性をしっかりと把握することです。


米軍による被曝影響隠しを暴いたNHKスペシャル『原爆初動調査 隠された真実』にご注目を


『放射線副読本』読み解き会をあなたの周りで

文科省が作った『放射線副読本』には、この騙しのテクニックが詰め込まれています。
もともとのアメリカによる放射線についての説明を手本としているからこうなりました。
福島原発事故の責任を逃れ、さらに原発を動かしたい政府と核産業の動向も反映しています。

このため反対にこのBOOKを読み解けば、騙しを見破るスキルを身に着けられます。
そもそもこのBOOKを読むと、誰もが「もやもや」するのですが、そこをすっきりと読み解けば良いのです。
そのために『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』を作りました。ぜひ活用して下さい。


京都市キッチン・ハリーナでの読み会より


次の開催は大津市で

滋賀県大津市にて行います!3回連続で全ページを読みます。
1月15日(土)、2月19日(土)、3月19日(土)、いずれも午後2時から4時まで。
大津市生涯学習センターにて。資料代1回1000円(読み解きBOOKは別途)、全3回申し込みで2500円。

主催は『放射線副読本』読み解き会・有志の会
連絡・申し込み先 080‐3791‐5345(安斎) 090-8523-6857(石堂)
FAX 077-522-6359 Mail:yomitokkiradiation@gmail.com

チラシのメールアドレスが間違っているのでご注意下さい。

#放射線副読本 #放射線副読本すっきり読み解きBOOK #にょきにょきプロジェクト #原発はエネルギー問題ではない #何万年も核廃棄物を管理 #重大事故で日本の半分以上が壊滅 #放射線防護 

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12月19日に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この連続講演にも触れています。

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グローブス少将が残留放射線をもみ消し被爆者救護も禁止したーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー2 明日に向けて(2144)

2022年01月13日 15時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220113 15:00)

NHKBS1スペシャルの文字起こしの2回目をお送りします。

● マンハッタン計画責任者グローブスが残留放射線をもみ消した

NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」-2回目
2021年12月29日放映

ところが、これらの調査結果は、ある人物によって隠蔽されます。グローブス少将です。
ペースが調査後にグローブスに呼び出されていたことが、今回初めて分かりました。



「帰国後、私は報告書を書き『Secret』扱いにした。」
「ある日、上司に呼び出されると一緒にグローブス少将がいた。彼らはしかめ面をしていた。
彼は「報告書は『Top Secret』にすべきだった」「これに関係する文書やデータは全て廃棄し全てを忘れろ」「報告書を書いたことも忘れることを命じる」と言った。
これは作り話ではない。私は「イエス サー」と答え、しっぽを巻いて退散し彼の言う通りにした。」

さらに被爆地を撮影していたコリンズも、軍の意向に沿った調査報告を求められていたと語っていました。

ドナルド・コリンズ
「原爆調査に向かう前、責任者からこう言われました。『君たちの任務は、放射能がないことを証明することである』。
そこで私はこう言いました。『失礼ですが我々は残留放射線を測るように命令を受けたのですが』。すると責任者は『放射線量が高くないことを証明しろ』と言ったのです。」

その結果、グローブズが提出させた初動調査の報告書では、残留放射線の存在が完全に否定されていました。

グローブス少将宛「原爆調査報告書」(1945年9月5日~10月12日)
「『残留放射線』の測定結果と、人への被害の臨床的な証拠がないことを考えると、爆発後、有害量の残留放射線が存在した事実はない。



人々が苦しんでいるのは、爆発直後の放射線のためであり、残留放射線によるものではない」

グローブズが残留放射線が存在しない理由として挙げたのが、原爆を開発した物理学者オッペンハイマーの理論でした。



原爆は爆発する瞬間、強烈な初期放射線を放出します。これに対し残留放射線は2種類あります。
一つは爆心地の土壌などが中性子を吸収することで放射性物質となり、放出するケース。もうひとつは爆発で発生した放射性物質が雨や塵などと共に降り注ぎ、地上に残り続けるケースです。

ただしオッペンハイマーは「広島 長崎では残留放射線は発生しない」としました。
なぜなら「原爆は地上600mという高い地点で爆発したため、放射性物質は成層圏まで到達。地上に落ちてくるのは極めて少量になる」というのです。
これがアメリカ政府の残留放射線に関する公式見解となりました。


● 実際には深刻な残留放射線の影響があった

グローブスによって否定された残留放射線。私たちは極秘とされた海軍の測定した値や、日本の科学者による測定値を入手。専門家と共に値と場所を地図上にプロットしてみました。
1945年9月から46年1月までに測定された、長崎の残留放射線の値です。残留放射線は時間と共に急激に低くなる減衰という現象を起こします。



そこで時間を遡り値の変化を調べてみることにしました。

すると原爆投下の1時間後、爆心地から3キロ離れた西山地区で、放射線は1時間当たり97ミリシーベルトを超えていた可能性があることが解りました。



この放射線の値を計算した京都大学複合原子力科学研究所の今中哲二研究員です。

NHKスタッフ
「一番注目すべき地域ってどこだと思われますか?」

今中哲二研究員
「それはやっぱり西山ですよね。西山が圧倒的に線量が高かったですから。これはもう私からしたら直ちに避難するか、直ちにどこか遮蔽の強いコンクリートの建物に避難するとかという線量です。
そういう中でたぶん西山の人たちはね、暮らしてたんだと思います。」

放射線医学の第一人者である広島大学の鎌田七男名誉教授は、人体に影響を与えていた可能性を指摘します。

鎌田七男名誉教授
「6時間たった段階で(がん死亡リスクが高まる)100ミリシーベルトは優に超えちゃうと。これだけの数値からでも人体への影響はあったと。
体調を崩していったり脱毛した方もあるわけですから、これを見て(人体への影響があると)意を強くすることができますね。」

西山地区の住民を対象に血液検査を行っている写真も見つかりました。近隣の子どもたちまで集め、検査に協力させていました。



原爆投下から2か月後、アメリカ軍が注目していたのは白血球の値でした。正常値を遙かに超える1万以上の高い値を示す住民が多数に上りました。(1945年10月~46年1月)

鎌田名誉教授によると「放射性物質が体内に入ったことで起きた可能性が高い」と言います。
アメリカ軍は残留放射線を測定していただけではなく、人体への影響の可能性まで周到に調査していたのです。

陸軍軍医による報告書
「西山地区の人々は原子爆弾の投下から数か月後に、有意な白血球増加がみられた。動物の場合、全身に被ばくした後に白血病が進行する可能性があり、人間がどうなるか特に興味深い。
また放射性物質を経口摂取した後の人体から、骨肉腫も確認されている。西山地区に残る放射性物質の堆積物には、人がさらされ続けると危険を伴う可能性がある。



この条件を考えると、原爆の直接の影響を受けていない西山地区の住民は、残留放射線の影響を観察するのに理想的な集団である。」


● 核開発のために在留放射線は皆無と語ったグローブス

次々に明らかになる残留放射線に関する不都合な事実。しかし、グローブスは公式見解を変えようとはしませんでした。
1945年11月28日、グローブスは議会で証言を行います。その議事録を今回入手しました。

質問者
「残留放射線を調査した記録はありますか?」

グローブス
「はい。ございます。残留放射線は『皆無』です。『皆無』と断言できます」。
爆発が非情に高い地点で起きたため、放射能による後遺症は発生しませんでした。

質問者
「私から見ると、陸軍省は何度も何度も『放射線による被害はなかった』と強調しています。そこには放射能被害を認めると、倫理的に間違いを犯したことになるという思いが、陸軍省側にあったのではないですか?」

グローブス
「この問題は、ひと握りの日本国民が放射能被害に遭うか、それともその10倍ものアメリカ人の命を救うかという問題であると私は思います。これに関しては私はためらいなくアメリカ人を救う方を選びます。」

当時ソビエトとの冷戦が既に始まっており グローブスは今後も核兵器が必要であると強調します。

グローブス
「アメリカの科学者の研究では残留放射線による死についての報告は実証されていない。



原子力の研究をやめてしまうことは、アメリカが自ら死を選ぶことに等しい。」

「原爆は非人道的な武器では無く、アメリカになくてはならないものだ。」
グローブスは残留放射線の影響から目をそらし、核開発で世界をリードすることを最優先としたのです。


核開発の歴史を分析してきた歴史学者のジャネット・ブロディ教授です。
グローブスは科学を都合よく利用することで、残留放射線の問題をアメリカ国民の目からも覆い隠していったと指摘します。

「アメリカ社会では「無知学」と呼ばれるずるい手法が使われることがあります。
「無知学」とは当局が望まない情報の拡大を何らかの手段で阻止することです。



グローブスは全ての″原爆に関わる文章″を支配し続けていました。
そして科学的なメリット、医学的な効果など、肯定的な結果だけを取り上げて、負の部分は隠しました。
これは戦争犯罪を犯した人に対して、見て見ぬふりをするのと一緒です。

グローブスは負の側面から顔をそむけたい市民の深層心理につけ込んでいったのです。
政治家やアメリカ国民を残留放射線の問題から、目を背けるように巧みに操ったのです。」


● 日本軍もまた「放射能はすぐに減衰する」と深刻な影響を隠そうとした

アメリカが残留放射線を否定する一方で、日本はその影響をどう捉えていたのか?
実は日本軍も原爆が投下された翌日から、被害を調べる為、医師や科学者を現地に送っていました。(8月7日、日本海軍調査、8月8日日本陸軍調査、8月13日九州大学調査)



その中に、残留放射線にいちはやく注目した医師がいました。東京大学の都築正男(つづきまさお)教授です。

都築正男教授 中国新聞1945年9月5日掲載記事より
「爆発の当日、広島におらず、その後広島にやってきた人で数日間、勤労作業などに従事した人の健康状態については、相当の症状を示し、また死亡した人もある。



爆発後、数日以内に爆心地から半径500m以内の土地で働いたものには、ある程度の傷害があたえられていると考えてよかろう。」

都築が疑ったのは、原爆が爆発した後に爆心地に入った人が被爆する”入市被爆”でした。



爆心地の土壌は、中性子を吸収することで放射性物質となり放射線を放出します。
今回入手した値で作成した、広島の爆心地周辺での残留放射線です。原爆投下後の1時間後は1時間当たり15ミリシーベルト(15.13mSv/hr)と極めて高い値になっていました。

広島では、原爆投下の翌日に救護や家族を探す為に、少なくとも1万8千人が爆心地に入っていて、残留放射線を浴びた可能性があると考えられています。

残留放射線が人体に与える影響を危惧していた都築医師。
長男の正和さんは、その原点に戦前にアメリカに留学して放射線医学を研究した経験があったと語ります。
「(原爆投下前に)アメリカの放射線の専門医から、そんなに大量の放射線を生物に照射することはありえないわけだから、お前の研究は放射線医学にとって意味のない研究であると。ただそれが後になったときに、放射線の生物に対する影響がどういうものがあるのかもっと研究しなければいかんということは、直接、聞きましたけどね。」

当時、日本の科学者の間では残留放射線については、さまざまな思惑が交錯していました。
西山地区の調査に参加した物理学者の森田右(すすむ)博士は、住民を避難させることを検討していました。(回想録 1991年より)
「西山地区に雨と一緒に死の灰が降り注ぎ、地面一帯が強い放射能を持っていることが判明、住民の避難が検討されたこともあった。」

さらに西山地区の調査に協力した石川数雄医師は、血液検査で分かった白血球の値についてこう述べていました。

「いままでかつて我々が予期しなかったとにかく普通でない変化がありました。非常にたくさん増えて1万2万といわゆる白血球増多症を持っていたわけです。それが若い子どもの方が多かった。私たちはここに非常に恐るべき事実があるような気がしましてそれが蓄積した時にどうなるかと。」



一方で石川数雄医師は、残留放射線が大衆を不安に陥れることを危惧していました。

石川数雄医師
「アメリカの方から伝えられた『70年生物の存在を許さない』とPRされて、そのことに多くの方々が恐れおののいて、多くの死体の片付けも十分できないような不安な気持ちであった。
私は『放射能というのは時間とともに強く減弱していくんです。弱っていくんです。いわゆる人間の体に受けても心配はいらないんだ』と県知事に申し上げたことを記憶しています。」

廣島戦災(放射能に関する)調査報告書(1945年8月15日)
陸軍がまとめた報告書です。「人体に障害を与える程の放射線は測定できなかった」と記されています。有害な残留放射線は存在しないとされることでパニックを防ぎ、人心の安定を図ろうとしていたのです。


● 人々を助けようとする科学者たちは米軍に圧迫された

それでも日本の科学者たちは、アメリカの調査に協力する一方で、残留放射線の人体への影響を証明しようと取り組みます。



原爆調査に当たった都築正男医師が残した資料です。

原爆投下から3ヶ月後に開かれた原爆災害調査研究特別委員会の極秘の記録が見つかりました。

1945年11月30日。GHQの立ち会いの下、広島、長崎を調査した科学者が、初めて一同に会し、報告を行いました。(「原爆災害調査研究特別委員会」)
戦中、国産の原爆開発を行っていた仁科芳雄博士。爆心地から離れた地で残留放射線を測定した事実を発表します。

仁科芳雄博士
「特別な地区の放射能が強くなっている所があります。原爆が爆発して原子核の破片が飛散して放射能を示している。雨と一緒に落ちてきている。」

続いて、残留放射線の人体への影響を危惧していた都築正男医師。

都築正男医師
「爆発後 他の土地から応援にまいり、作業に従事した人の白血球の数が減りました。放射能の障害を受けたのではあるまいか?ただ確実にそうである実例をいまだつかみえないのであります。」

しかし アメリカ側が科学者に対し厳しい言葉を突きつけます。

GHQ経済科学局幹部
「日本人の原爆研究は許さぬ」

都築はこの発言に強く反論します。「広島と長崎ではここで発言している瞬間にも原爆症で次々と死亡しつつある。原爆症はまだ解明されていない新しい疾患でまだ治療方法はない。たとえ進駐軍の命令でも医学上の問題について研究発表を禁止することは、人道上許しがたい。」

しかし、アメリカ占領下では都築医師の主張が通ることはありませんでした。
戦後、都築都築正男(医師)にインタビューした広島大学の今堀誠二教授は、都築から「科学者としての無念」を聞いていました。

「問題は政治が先か、人道が先かということであって、結局は人道が政治に押し切られてしまった。広島・長崎に何万という被爆者がいるんだと。毎日何人も死んでいってるんだと。
その人々を助ける方法があり、研究もでき、発表もできるにもかかわらず、占領軍の命令によってそれを禁止して、この人々を見殺しにするとは何事かと。」



晩年まで被爆の研究を続けた都築医師
核の平和利用が検討され始めたころ、原爆初動調査を振り返り、こう語っていました。
「私は今後、機会が与えられるならば、資料を整理して人類の幸福のためにより友好的な形で編み直してみたい。
そうすれば苦心して集めた資料が真に実を結ぶ時を迎えるだろう。」

国家の思惑の中でにぎり潰されていった科学的事実。
新たな取材でアメリカは残留放射線を否定しながら、被爆地の調査を続けていたことがわかりました。

「残留放射線の影響は、アメリカが行っている被爆者の遺伝子研究にも重要な意味を持つ可能性がある。」


体調不良や原因不明の死があいついだ長崎市西山地区。調査の対象にされながら、住民たちはその事実を一切、知らされませんでした。

松尾トミ子さん
「これは人として見ていない感じがするんですよ。実験みたいにしてるなって。」

戦後、核兵器の開発を進めた世界は、残留放射線の存在から目を背けつづけました。

チェルノブイリ事故医療対策責任者
「私たちがチェルノブイリの大惨事を調査した時もそうでしたが、放射線の値を引き上げたり引き下げたりする問題はかなり恣意的なものでした。」

残留放射線の否定は私たちに何をもたらしたのか。現在にいたる核と人類の関係を紐解いていきます。

続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKスペシャル #残留放射線 #グローブス #オッペンハイマー #都築正男 #仁科芳雄 #広島 #長崎

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昨年12月に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この番組にも触れています。

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被曝被害の過小評価と向き合うために・・・『放射線副読本』読み解き会にご参加を(1月15日(土)午後2時から大津市にて) 明日に向けて(2143)

2022年01月12日 13時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220112 13:00)

1月15日(土)午後2時からから『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』を読む会が行われます。全3回でBOOKの頭からしっぽまで読み込みます。
滋賀県大津市で行われますが、zoomでリモート参加もできます。



メールアドレスが間違えています。正しくはyomitokkiradiation@gmail.comです


被曝被害はかなり過小評価されてきた

昨年、被爆問題をめぐる大きな出来事がありました。広島の「黒い雨裁判」で原告が、第二審でも勝訴したことです。
第二審は、一審の内容を上回るものでした。一審では「黒い雨被爆者」の認定に「特定された11の疾病にかかっていること」が必要とされたのですが、二審はこれを「失当」と退けました。
「黒い雨に被災した可能性があれば被爆者として認定せよ、被爆者健康手帳を交付せよ、それでこそ真っ当だ」と判決で指摘されました。


高裁勝訴後の報告会にて 「頑張ろう」とこぶしを上げる原告のみなさん 20210714 守田撮影 

さらに昨年、NHKがドキュメント『原爆初動調査 隠された真実』を放映し、黒い雨などによる被爆・被曝事実が、アメリカによってもみ消されていたことが立証されました。
被爆影響はとても小さく見積もられていたのです。このためさまざまな疾病や傷害、障害が、被爆と無関係とされてきたのでした。
核戦略の維持と原発稼働を可能にするためにも、被爆影響は隠され、もみ消されてきたのです。

文科省が発行した『放射線副読本』もこの流れの中にありますが、丁寧に読み解いていくとこのことがどんどん見えてきます。
原爆による大量虐殺後に行われた被爆影響を隠し、もみ消してきたテクニックが『副読本』に流れ込んでいるからです。
ぜひこのテクニックを知って下さい。それがあなたと大切な人の命を守ることにつながります。


ひとつぶてんとう園での読み会より


今回はこれまでよりも丹念にBOOKを読み進めます

今回の3回シリーズ、ちょっと違った読み方をします。
従来は1時間読み解きを行い、30分解説、残りの時間で質疑応答をしていましたが、今回はBOOKを1時間半がっつりと読みます。
BOOKに盛り込まれた被爆を小さく見積もるテクニックをがっつり読み解きます!


例えば『副読本』では「放射線のものをすり抜ける性質」だけ教えている 5ページ

このため、これまで読み会に参加された方にもぜひご参加いただきたいです!
『放射線副読本すっきり読み解きBOOK』にご興味を持ちながら機会を逸していた方も、ぜひご参加下さい。
まずはBOOKを貫いているテクニック・・・「それほど間違ったことも書かないけれど肝心なことも書かない」点を見破ります。


実際にはすり抜けない部分がモノを被曝させている。『読み解きBOOK』でこの点を強調 ページ「と」

とくに1回目では、半減期にまつわる騙しのテクニックをご紹介します。これまで「読み解きBOOK」を読んだ方の多くが「目からうろこが落ちた!」と言って下さっているところで必見!
例えばこれは、福島原発事故後に被曝の危険性がまったくないかのように吹聴した長崎大学の山下俊一氏が使ったテクニックです。
ぜひしっかりとおさえましょう!


「半減期詐欺」にご用心!


読み解き会、zoomで参加できます

「読み解き会」は3回連続で行われます。
月に1回で第2回が2月19日(土)、第3回が3月19日(土)、いずれも午後2時から4時までです。
毎回、僕がナビゲーターを務めます。

場所は3回とも滋賀県大津市・生涯学習センター
https://www.city.otsu.lg.jp/manabi/lifelong/c/index.html
資料代として1回あたり1000円(読み解きBOOK代は別途)、全3回申し込みで2500円です。
zoomを使ったリモート参加も可能。ぜひ全国・全世界からご参加ください。

主催は『放射線副読本』読み解き会・有志の会
連絡・申し込み先 080‐3791‐5345(安斎) 090-8523-6857(石堂)
FAX 077-522-6359 Mail:yomitokkiradiation@gmail.com

#放射線副読本 #放射線副読本すっきり読み解きBOOK #にょきにょきプロジェクト #半減期 #ナガサキ #フクシマ #山下俊一 #高村昇 #放射線防護 #原爆初動調査隠された真実

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12月19日に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この連続講演にも触れています。

にょきにょきプロジェクト新BOOK 『AFTER TEN YEARS 命を守り育むために 福島原発事故から10年を振り返る』を以下からゲットして下さい!
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明日に向けて(2042)アメリカは原爆による被曝実態を隠した、実際の被害はずっと大きかったーNHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」よりー1

2022年01月10日 23時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220110 23:00)

NHKBS1スペシャル「原爆初動捜査 隠された真実」をご紹介します。

2021年12月29日、NHKBS1スペシャルで「原爆初動調査 隠された真実」という番組が放映されました。もともと同じタイトルで同年8月9日に放映されたものの拡大版です。(8月のものは1時間15分、今回は1時間40分)

広島・長崎への原爆攻撃後、初動調査に入ったアメリカ軍が、黒い雨などがもたらした残留放射線による深刻な被曝実態を把握していたながら、握り潰していた事実を掘りだした大スクープでした。

調査に入った米軍兵士の証言、遺稿などにも取材した秀逸な番組ですが、とくに隠されてきた長崎の被曝実態が明らかにされています。
8月に観たときに、「かなり画期的だ」と考えて文字起こしし、さらに12月の放映時も事前に「明日に向けて」で宣伝しました。するとFacebookの投稿が123件もシェアされるなど、かなり大きな反響がありました。この点を踏まえて、この拡大版も文字起こしすることにしました。8月のものに新たに放映された部分を付け足しました。

番組が明らかにしたのは、被曝被害がかなり矮小に報告されていたこと。とくに長崎の被爆実態が、これまで考えられてきたよりも圧倒的に酷かったことが示されました。西山地区など、大量の「黒い雨」が降り、高濃度な汚染を被りながら、まったく補償も援護も行われて来なかった地域があることがクローズアップされました。

国は「黒い雨」広島高裁判決を真摯に受け入れ、この新たな事実も認め、長年の原爆被害者の放置を謝罪し、いまなお生き延びられているみなさんに即刻、被爆者健康手帳を発行すべきですが、すでに年末に「黒い雨」被爆者認定から「長崎の方たちを外す」ことを表明しています。許しがたいです。

この番組の告発は、黒い雨裁判に続いて、これまで放射線被爆に対する被害が大きく過小評価されてきたことを明らかにしたもの。重要なのは、ここから「放射線防護学」の書き換えもまた絶対に必要だということが結論付けられることです。被曝影響がいま思われているよりももっと深刻だったのですから、一般市民の被曝許容量とされている年間1ミリシーベルトだって見直すべきです。
さらにこの事実が、米軍によって隠されてきたこと。日本政府がそれに追従してきた、これはもう手酷い犯罪です。この罪を米国・日本両政府に償わせなくてはいけません。

このためこの番組の拡大版の文字起こしをこれから4回にわたって掲載します。
なおこの文字起こしは、もともとは京都市在住の諸留能興さんが8月の番組を起こして下さったものを守田が編集したもので、今回拡大版部分を加えてあります。
さらに、8月の時にはできなかったのですが、今回は4回の文字起こしの紹介のそれぞれに、新たに明らかになった事実から何を学ぶべきなのかも書き加えるつもりです。

重要な番組を作って下さったNHKのスタッフのみなさんに深く感謝いたします。


深刻な被曝事実が握りつぶされていた!

NHKBS1スペシャル「原爆初動調査 隠された真実」
2021年12月29日放送 以下、文字起こしをお届けします。

今回初めて見つかった、76年前の被爆直後の長崎を撮影した映像です。
アメリカ軍の原爆に関する最初の調査を兵士が撮影した、極めて貴重なものです。

米軍元兵士
「私の任務は地域に残った放射能を測定することでした。」

アメリカ兵が測定していたのは被爆地に残る放射線、残留放射線でした。

米軍元兵士
「51km地点では通常の2倍もの残留放射線を計測しました。」

原爆の爆発によって発生した放射性物質が、雨や塵と共に降り注ぐことなどで発生する残留放射線。
その影響に関しては、未だ意見が対立しており、最大の謎とされてきました。
調査に参加した94歳の元兵士です。当時、被爆地に残る残留放射線の調査は、トップシークレットだったと言います。

アメリカ原爆調査員 マイカス・オーンスタッド(94)
「調査団は残留放射線が存在することは知っていました。しかしその恐ろしさを私は理解していませんでした。」

今回私たちは、原爆投下直後に、アメリカ軍が行っていた原爆初動調査に関する膨大な資料を入手しました。そこからは残留放射線についての、知られざる真実が浮かび上がってきました。
アメリカ軍は、秘密裏に残留放射線を測定。極めて高い値を測定していました。さらに、それが人体にどのような影響を及ぼすかまで、研究していたのです。

原爆調査報告書
「この地に残る放射性物質に人がさらされ続けると、危険を伴う可能性がある。動物の場合、全身に被ばくした後に白血病が進行する可能性がある。人間がどうなるか特に興味深い。」

しかし、アメリカ政府はこの事実を隠蔽。科学者達に圧力をかけて残留放射線も無かったことにしようとしていたことも、明らかになりました。

マイカス・オーンスタッド
「私は上官に呼ばれて『報告書に関係する文書やデータは廃棄し全てを忘れろ』と命令された。」

日米両政府は原爆の残留放射線による健康被害を認めてきませんでした。

しかしヒロシマ、ナガサキの人々は「その影響で多くの人が苦しんでいる」と訴えています。

岩﨑精一郎さん(44歳没)の妻岩﨑恒子さん
「骨髄性白血病。脾臓も取ったんですよ、手術して。原爆にあったからこんな病気になったってはっきりしたらいいんですけど。それも分からないまま。」

なぜ、残留放射線の影響は隠蔽されることになったのか。
核による被害と、国家の思惑が交錯した原爆初動調査。真実が隠されていた過程を辿り、その全貌を明らかにします。

タイトル
原爆初動調査 隠された真実
前編 ”科学”を握り潰した”国家の思惑”

原爆が投下された市街地から3キロ。

山間にある長崎市の西山地区です。

戦前は貯水池を中心に小さな集落が点在。多くが農業を営んでいました。この地区で原爆投下後しばらくして、住民の体調不良や原因不明の死が相次ぎました。

松尾トミ子さんです。この地区で育った義理の妹を亡くしました。
「これはねぇ、成人式の写真です。成人式の時はこんなに元気だったんですよね。」

松尾幸子さん。23歳の若さで白血病で命を落としました。
「ひとつも怒ったところを見たことはないです。人の嫌がることは絶対言わない子だったですもんね。うん・・。」

76年前の8月9日。西山地区は爆心地から山を隔てているため、原爆の熱線や爆風は届かず、直接の被害はほとんど無かったとされています。
しかしこの日、地区には灰や雨が降り注ぎました。1歳だった幸子さんは、貯水池の近くにいた兄の背中でそれを浴びたといいます。

「なにしろ灰が落ちてきて・・・『この灰は何』という感じで、何も知らずに受けてたみたいですね。」

幼い頃は、何の異常も感じなかった幸子さん。突然体調を崩し、17歳の時に「白血病」と診断されます。

「血の塊が口から出たり、鼻から出たり。もう、それを取ってやるのが大変だったって。
一番いい時に亡くなっているから、何とも言えないです・・・やっぱりいろいろ考えたら、涙が出るんですよ。」

幸子さんの死と、残留放射線との関係は、当時の詳細なデータが存在せず、分からないとされています。

ヒロシマ、ナガサキで、その年だけで21万の命を奪ったとされる原爆。
実はアメリカは、その被害や影響の詳細なデータを収集する為、調査団を派遣していました。

最初の(マンハッタン管区)調査団が広島に入ったのは9月8日。原爆を開発した科学者たちでした。続いて陸軍と海軍の、それぞれの調査団が(10月12日)。
更に戦略爆撃調査団も加わり(10月14日)、およそ4ケ月にわたって、大規模な調査を行いました。



調査には軍人だけでなく、物理学者や医師を始め、様々な分野の専門家が参加。日本人の科学者も協力しました。
地表温度を3000度以上に上げた熱線や、秒速440メートルの爆風がどのように建物を破壊したのか、原爆が被爆者にどんな影響を与えたかなどが詳しく調べられたのです。

調査を統括したアメリカ陸軍のグローブス少将です。
原爆開発計画「マンハッタン計画」の総責任者だったグローブスは、ある事に頭を悩ませていました。それは被爆地に残る残留放射線の影響でした。

実は、日本は、被爆直後から、その被害を世界に訴えていました。日本が世界に向けて行っていたラジオ放送です。
ラジオ東京
「原爆は今や世界の批判の的となっている。この死の兵器を使い続ければ、すべての人類と文明は破滅するだろう。」

各国が特に問題視したのは、終戦後もその地に放射線が残り、人体に影響を与えているのではないかということでした。
ディリー・エクスプレス
「広島では原爆が落ちた30日後にも人が死んでいる。それは『原爆の疫病』としか表現できない。」

アメリカ国内でも、ヒロシマは70年間草木も生えないと報道され、「原爆は国際法に違反した兵器ではないか」という世論が高まったのです。



これはグローブスにとって不都合な状況でした。当時、アメリカは占領のため、日本に兵士を駐留させようとしていたからです。
原爆投下後に自国の兵士が被爆することになれば、議会や世論の反発は避けられない。こうした中で初動調査は行われていたのです。

大きな焦点となっていた残留放射線の存在。今回、初動調査についても新たな事実が明らかになりました。
76年前の調査に参加した科学者の遺族です。当時、父親が被爆地で使っていたという遺品を保管していました。


被爆地調査員ドナルド・コリンズの女性遺族

「これは父ドナルド・コリンズのカメラです。長崎で調査で使っていたんだと思います。」

ドナルド・コリンズ。放射線の研究者として、原爆開発に携わってきた人物です。
1945年9月。調査団の一員として、ヒロシマ、ナガサキを訪れていました。
コリンズが被爆地で撮影したプライベート・フィルムと証言テープが見つかりました。映像には、長崎市内で残留放射線を測定するコリンズの姿が映っていました。

ドナルド・コリンズ
「私の任務は地域に残った放射能を測定することでした。ジープに乗って、どこまで残留放射線が広がっているのかを確認しました。」



アメリカ軍が神経を尖らせていたという残留放射線の値。

「我々は風下51km地点まで追跡しました。51km地点では通常の2倍もの残留放射線を計測しました。」

コリンズらは残留放射線が人体に与える影響にも注目、多数の写真を残していました。

ドナルド・コリンズ
「我々はどのくらい放射能を浴びると吐き気を引き起こすのか。どのくらいで脱毛が起こるかを分かっていました。我々は住民がどこにいたのかを聞いて、受けた放射線量を予測していました。」


同じ時期、被爆者への聞き取りなどを行った元調査員が今も健在でした。
マイカス・オーンスタッドさん。94歳です。

被爆地に残留放射線がどの程度残っているか、不安を感じていたといいます。
しかしその情報は厳重に管理され、一部の科学者しか知ることはできませんでした。

「調査団は残留放射線が存在することは知っていました。しかしその恐ろしさを私は理解していませんでした。」
「私は科学者ではありませんし、詳しいことは何も知らされず、こちらから何も問いかけることはできませんでした。」

当時、トップシークレットの指定を受けていた残留放射線の記録。

今回、海軍が4か月に渡って、被爆地の残留放射線を測定していたデータも入手しました。
報告書を作成した海軍のネロ・ペース少佐です。生理学の研究者だったペースも、また、残留放射線に関する証言を残していました。

「私たちは4か月の間、長崎で残留放射線を測定。人々から血液を採取し、広島でも同じことをした。私たちが収集したデータは”機密事項”だった。」

ペースは4か月かけて長崎で900カ所、広島で100カ所もの地点で残留放射線を測定していました。
報告書の中で、ある地域で非常に高い残留放射線が確認されたことが記されていました。長崎、西山地区。23歳で亡くなった、松尾幸子さんが住んでいた場所でした。


「西山地区は山の陰にあり、初期放射線を受けなかったにもかかわらず、爆心地より高い残留放射線が認められた。
放射線測定器を地上1mのところから地上5cmへ移動させると、測定器の針は倍増した。西山地区ではかなりの放射線があることを示した。
この地区の放射線量の最高値は1080μr/hr(マイクロ・レントゲン・パー・アワー)を示し、人間の最大許容量に近かった。」


現在の値に直すと1時間当たり およそ11μSv/hr(マイクロ・シーベルト)。一般人の年間線量の限度を4日で超えることになります。
報告書では西山地区で残留放射線量が高い理由を「その地形にある」と分析していました。

海軍報告書
「8月9日の長崎は風速3mの微風が吹いていた。西山地区では、爆発後に雲が上空を通過し雨が降った。爆心地と貯水池の間には山が連なっており、谷間となっている西山に放射性物質が堆積したと考えられる。

続く

#原爆初動調査 #隠された真実 #NHKスペシャル #残留放射線 #グローブス #マンハッタン管区調査団 #戦略爆的調査団 #長崎西山地区 #原爆調査 #白血病

*****

昨年12月に行った「核と原発」に関する守田の講演を公開中です。ぜひご覧下さい。この番組にも触れています。

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明日に向けて(2041)2022年、資本主義的暴力を越え社会的共通資本の思想の可能性を広げたい!

2022年01月09日 23時00分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20210109 23:00 なおこの記事は1月1日の記事のリメイクです)

年頭にあたって

みなさま。
旧年中は大変、お世話になりました。今年もどうかよろしくお願いします。
1月2日に義母が逝去したため、「明日に向けて」の配信を控えていました。今日より、元気に活動を再開します。どうかよろしくお願いします。

今年は京都市で新春を迎えました。
何か京都らしい画像をお見せしようと、元旦の夜更けに南禅寺を訪れ、山門を撮影してきました。
さすがに正面からだと暗すぎたので、街灯に照らされた側面からの画像に挨拶を乗せてお送りします。

2022年を僕は大きな飛躍の年にしたいと思っています。
この一年、いやこの十年で大きく思想的な変化を遂げ、発展できたと自負しているので今年はそれを自由自在に出していこうと思います。


この10年でつかんだもの

この10年間、それはほぼ福島原発事故後の年月と重なるわけですが、どうしても当初は「強いられた」活動に没入せざるを得ませんでした。放射線被曝から多くの方の命を守ることです。
しかし徐々にその活動は、それまで僕が志してきた現代社会=資本主義の矛盾を克服する道に溶け込みだしました。

中でも原発との対決が、不可避的に原爆との対決、世界の核戦略との対決へと僕を向かわせしめ、その中でとても大きなことが見えてきました。
一言で表せば、「現代資本主義の暴力構造にもっと目を向けなければ、その頂点にある核体系との対決を、資本主義の克服の基軸に据えなければ」ということです。

「何を当たり前のことを」と言われるかもしれません。しかし率直に言って僕は、被爆問題をこの10年ほど、深く考え、学び続けたことはありませんでした。
その中で「大事なことが分かってなかったことが分かった」という気持ちの中にあります。
「まだまだ資本主義に騙され、困惑させられてきた」とすら思います。

資本主義は市場を通じた巨大な搾取体系ですが、同時に巨大な暴力の体系でもあります。その中軸産業の一つが軍需産業です。それがさまざまに暴力肯定の思想をまき散らしています。
例えば新自由主義の蔓延ひとつとっても、市場の中でなされたのではありませんでした。南米での軍事クーデターや、アメリカ、イギリス、日本などでの新自由主義的政府による、労働組合の暴力的な解体とともに進められました。

同時にその間、湾岸戦争やアフガン戦争、イラク戦争などが続けられてきました。
だからこの暴力構造を資本主義的矛盾の最も基軸にあるものと捉えて対決し続けなければならないのです。


2021年12月19日の守田講演のスライドから


暴力の思想を克服的に越えるために

大事なのは、この資本主義を特徴づける暴力思想は、実は私たちの心の中にも浸透していることです。
暴力に「正義」と「悪」があり、「正義」の暴力は肯定すべきだという考えとしてです。

そこに多くの人々が、米軍や自衛隊の存在、あるいは警察官の暴力を、疑うことなく容認してしまっている根拠があります。
同時にそれが反転すれば、正義のための民衆の側からの暴力の発動や、「テロル」の行使なども認める根拠となるし、実際僕はかつて「正義の暴力」を支持していました。

「え~暴力なんて」・・・と思われる方、反芻してみてください。あなたは暴力反対の思いを、米軍・自衛隊、そしておまわりさんにまで適用できているでしょうか。
なかなかに「正義の暴力」の否定は難しい。そして実はそこにこそ、軍需産業にとって巨大な儲けが生まれる素地があると僕は思うに至りました。ぜひとも2022年、このことを問う論稿を連続的に出していきたいと思います。
また年末に、このことの一端を講演で語ることができました。まだの方、ぜひご覧になって欲しいです。


資本主義を越える「社会的共通資本」の可能性

さらに2022年に、恩師宇沢弘文さんに学んだ「社会的共通資本」の思想的可能性について、もっと大きく論じていきたいと思っています。
この点でもすごく鮮明に見えてきたものがあります。

自公新政権の首班の岸田首相が、繰り返し「新しい資本主義」に論及していますが、これはここ数十年、世界を席巻してきた新自由主義のもとで、資本主義批判が高まっていることに対応しようとするもの。

ある意味で支配層の危機感を表すものです。しかし批判が集まっている根本的矛盾に手をつけずに、小手先で批判をかわそうとすることしかできていない。だったら民衆の側から本当の改革案を出すチャンスでもある。

では何が必要なのか。まさに「社会的共通資本」に発想だと僕は思うのです。
実は僕はそれは、分権的市場経済の利点は活かしつつ、社会主義のアイデアを融合させていく発想だと考えています。

これに対して「ばら撒き政策」ではどうみてもケインズ主義への舞い戻りしか見えてきません。それではダメだと僕は強く思います。
宇沢理論は僕の理解ではケインズ左派とマルクス派の止揚を目指したもの。2022年はこの点も論じていきます。

社会的共通資本についてはとりあえずこの動画をお示ししておきます。

ともあれ、今回はまだ示唆的なことしか出せませんが、とにかくこの10年間で培ったもの、ため込んだものに一気に点火して進みます。
みなさま。どうか今年もよろしくお願いします。

#資本主義の矛盾をいかに越えるのか #資本主義の中軸産業は軍需産業 #暴力の世紀を越えて #社会的共通資本の思想的可能性 #宇沢弘文 #新しい資本主義 #新自由主義の矛盾 #ケインズ主義

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明日に向けて(2140)義母をお見送りしてきました(1月2日逝去、7日葬儀)

2022年01月09日 21時30分00秒 | 明日に向けて(2101~2200)

守田です(20220109 21:30)

 義母をお見送りしてきました・・・

みなさま。
元旦にお送りした「明日に向けて」で年賀のご挨拶をお送りしましたが、翌日1月2日に富士宮市に住んでいた義母が逝去しました。

このためその後に、義母の眠る富士宮市に向かい、6日通夜、7日葬儀に参加してきました。
コロナ禍ですが、親せきや近隣の方等多数が参列して下さいました。
いつも多くの方に囲まれながら、とても活発に人のために、地域のために、いろいろなことをされていた義母を彷彿とさせるものがありました。

義母にはたいへんお世話になりました。心からの感謝を込めてお見送りしてきました。
富士宮市から京都市に戻る際、新幹線の中から撮った夕暮れの富士山の写真をお送りします。ちょうど富士川鉄橋を渡った際のもので、富士川に逆さ富士が写っています。

義母は富士山が好きだったので、これからもこの山を見るたびにお義母さんのことを思い出すのだと思います。
たくさんの恩にお応えするためにも、これからの人生、さらに世のため人のためにと頑張ります。あ、それが一番、自分のためでもあるのですけれど。

たくさんお世話になり、いろいろな思い出をいただいたことに本当に感謝しています。
お義母さん、どうもありがとうございました!

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