明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1374)危険な原発でもうけを狙った東芝の末路(後藤政志さんに聞く)

2017年04月28日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です。(20170428 23:30)

東芝の崩壊が止めどなく続いています。

4月11日に同社は2017年3月第3四半期(10〜12月)決算を公表しました。2度にわたって発表を延期し、最終期限を迎えてのものでしたが、なんと今回は決算書の正しさを証明する監査法人からの「適正意見」を得られないままに公表。その後にこの監査法人を解約することまで発表しています。しかしこれでは決算が適正に公表されたことにはならず、この間、ささやかれている東芝の上場廃止の可能性が一段と高まったと言えます。東芝はこのまま「消えて行く」可能性大です。

なぜこんなことになってしまったのでしょうか。この点について僕は「明日に向けて」で、東芝の不正会計が露見した時点で原発事業の失敗との関連の分析を深め、ウェスチングハウス買収の時点から、東芝の崩壊が続いて来たことを明らかにしてきました。未来のない原発に資産をつぎ込んできたのが失敗のもとだったという点をです。

その上で、この23日日曜日に、元東芝の後藤政志さんを京都市にお招きし、東芝崩壊の内的要因についてより深く伺い、僕があまり触れてなかったポイントを教えてもらうことができました。

 

今回はこの点をお伝えしたいと思いますが、あらかじめ要点を述べると、東芝の崩壊の要因は、日本の原子力産業が、純粋な国内産業として成立してきており、しかも国とメーカーと電力会社の密接な関係のもとに運営されてきたため、商業上のリスクをほとんど負わずに存続してきてしまったことにあります。経営陣も事業リスクと向かい合った経験を持たないが故に、自分たちに都合のよい未来しか描けず、迫り来るリスクに対応できず、どんどん墓穴を拡大してしまったのです。

やや唖然ともしますが、これがことの真相なのです。今回の記事のタイトルを「危険な原発でもうけを狙った東芝の末路」としたのも、原発が巨大な事故を起こす危険性を持つとともに、商業的にも極めてリスキーなものであるとの意味をひっかけてのことです。

東芝は福島原発事故の時点において、この二重の意味で危険な原発に社運を託してきたことを反省し、事業リスクの観点から展望が狭まっていた原子力事業からの撤退を決めれば、少なくとも今日のような雪崩うつ崩壊劇は免れたかも知れません。しかしそうならなかったのも、何かがあれば最後は納税者につけをまわし、税金で埋め合わることでのうのうとしてきたが故のことなのです。原子力村のこうしたなれ合い的なあり方こそが、事故を起こす可能性に対しても、経済的に立ち行かなくなる可能性に対しても、厳しく向かい合うことのできない体質を構造化してきたのであって、これは原子力産業の根本的な限界であると言えます。

 

そもそも企業はたくさんの社員を抱えて存在しているわけですから、倒産すれば多くの人々が路頭に迷います。このため企業は利益=ベネフィットを求めるものの、同時に常にリスクの生じる可能性に目配りし、社員や関連業者を守り抜くことがモラルとして求められます。ところが東芝はこの点が欠けたまま歩んできてしまい、ウェスチングハウスの高値での購入という博打的な賭けを行った挙げ句に破産してしまったのです。リスクを考えようとしない無責任な体質に浸かりきってしまっていたからです。

とくに東芝がきちんと判別することができなかったのがウェスチングハウスの原発建設の力量でした。そもそもアメリカはスリーマイル島原発事故以来、新しい原発を一つも作っていません。この事故が起こったのは1979年ですから、東芝が同社を購入した時点でも27年間も経っていました。ということは東芝が購入した時点でのウェスチングハウスには、原発を建てた経験のある技術者はほとんどいなかったことになります。少なくとも責任ある地位にいた人々はリタイアしていたでしょう。それでなんで新規の原発建設がスムーズにできるのか。この点の考慮がまったく欠けていたのです。

ウェスチングハウスは、モジュール工法といって、現場ですべてをくみ上げる従来の原子炉建設方式に代え、巨大な施設を作ってその中で次々と原子炉の基本部分を組み立て、現地に持ち込んで組み立てる方式を編み出し、従来の工期を大幅に短縮すると豪語していたのですが、そんなものはそれこそ「絵に描いた餅」にすぎませんでした。誰も実地に経験したことのないものでしかなかったのです。

それで実際に行ってみると、次々と生じた設計上の変更に同工法が対応しきれず、かえって工期を大幅に延ばしてしまう大失態を招いたのでした。工期を短くしようとして、かえって長くしてしまい、巨額の損失を生んでしまったのです。ところが東芝はこのように、自らが考えたのとはまったく違う事態に現場が陥ってしまう可能性など少しも考えていなかったのです。まさにノーリスクであるかのように歩んできてしまったのでした。ちなみにこれを教えてくださった後藤さんも、東芝の愚かさ、モラルのなさを説明する際には、いつもより激しく怒りを表さざるを得ませんでした。

 

さらに後藤さんが強調されたのは、こうした東芝の大崩壊の責任を、日本政府が大きく負っているという点です。なぜならもともと東芝は沸騰水型原発のメーカーで、アメリカのゼネラルエレクトリックから技術供与されてきました。日立製作所もこの系列に属します。これに対してウェスチングハウスは加圧水型原子炉のメーカーで三菱重工に技術供与してきたのです。

東芝のウェスチングハウス買収は、このような米日の原子炉メーカーの系列を覆す大再編を伴うもので、もともと原子力産業は国策産業ですから、そんな大きなことを一企業で決められたはずがないと後藤さんは言うのです。明らかに政府がこの大再編に関与し、東芝にウェスチングハウスを買い取らせたはずだというのです。

こう考えると東芝が、ウェスチングハウス買収のリスクになんら目を向けなかった理由も見えてきます。政府がバックにいて責任を取ってくれる(といっても最後に納税者に責任転嫁するだけですが)ので、自らがリスクを厳しく考えなくても良かったからです。

後藤さんはこの日、こうした点を分析した幾つかの雑誌記事も持参され、すでにマスコミの多くもこの点に気づき、責任者の特定を行っている点も教えてくださいました。この内容はまた後日にお伝えしますが、ともあれ大事なのは、東芝の崩壊は原発輸出路線を国策として確定してきた政府によってももたらされてきたものだという点です。

もちろんとくに関与の度合いが高いのが安倍政権です。原発輸出を「トップセールス」で押し進めてきたからです。安倍政権もまたリスクなどまったく無視して突っ走って来た。今日の東芝の崩壊が如実に示しているのは、こうした安倍政権の経済成長路線そのものなのだということをしっかりとみておく必要があります。

 

そして重要なのは、この点では実は三菱重工も日立製作所も同じ構造の中にあるということです。両社ともに巨大な複合企業ですから、違った部門もたくさんあり、東芝よりもリスクに直面した経験を持っているかも知れませんが、しかし少なくとも原子力部門は、これまで東芝と同じような優遇政策の中をしか歩んできていません。

とくに三菱重工は、美浜原発で深刻な蒸気発生器の事故を起こしたり、二次系の配管破断で死傷事故を起こしたりしながらも、国によって守られ続け、大きなリスクを背負うことなく今日まで歩んで来ています。その点では東芝となんら変わらないのです。

ところがこの欠陥部品である蒸気発生器を強気でアメリカのサンオノフレ原発に輸出したところ、たちまち事故を起こして同原発が停止してしまい、そのまま廃炉になってしまう事態に突き当たりました。三菱重工は、同原発の所有企業から廃炉の責任全体を問う7000億円にも及ぶ損害賠償を請求されました。

三菱重工にとっては「幸い」なことに、国際的調停のもと、同社は最終的にほぼ部品代だけの賠償金を払えば良いことになって巨額の賠償を逃れることができましたが、しかしこの事態は、原発建設には、放射能漏れと被曝の危険性だけでなく、巨大な経済的なリスクもつきまとっているという事実を明らかにしました。しかも一つの事態で会社が簡単に吹っ飛んでしまうようなリスクが常にあるのです。いや事故を起こさずとも、建設が滞るだけで巨額の損失が出てしまうあまりにリスキーなものが原発産業なのです。

その上、すでに明らかになっているように、これとはまた別に廃炉費用が膨大にかかります。どう考えてもまともな商売感覚ではやっていけないのが原発なのです。だからこそ国策産業であり続けて来たわけですが、そんな国策産業に、違う文化や社会的土壌を持った他国を相手取った輸出事業などとてもできないことが、今回明らかになったのです。政府と三菱重工、日立製作所は、この点にこそ学び、すべての原発輸出計画を白紙撤回すべきです。以上が後藤さんから学んだエッセンスです。

 

もちろんそれでこんな人々に国内で原発を再稼働してもらっても困ります。実際、この間政府は原発輸出の展望が狭まっているが故にこそ、再稼働への流れを強めているのだと思えますが、しかしそもそも原子力村はリスクを考えることのできない人たちの集団であることが、今回、全面的に露見したのです。そんな人々にどうしてあまりに危険な原発の運転をこれ以上、託すことなどできるでしょうか。

東芝の思惑が次々と外れてしまったように、将来の発展の夢など、何一つ実現できなかったように、国内での原発の安全な稼働もまたあり得ない幻想なのです。再稼働はリスクを無視したインモラルな愚挙です。

この間、幾つかの裁判でも示されたように、この地震列島の中できちんとリスクを考えれば、もはや原発を稼働させてはならないというのが社会が選ぶべき当たり前の結論です。

私たちは東芝の崩壊の経験から、この点をこそつかみとろうと声を大にして訴えようではありませんか。東芝の経営陣の無能さを罵倒しているだけではいけない。大切なのは、こんな正常なリスク感覚も持たない人々が進めて来た原子力産業そのものを閉じなければならないということです。

そしてその先に、未来の人々への崇高な任務として、私たち市民の関わりのもとで、廃炉作業を進めなくていかなくてはなりません。使用済み核燃料の安全な保持の仕方も開発しなくてはなりません。それはもはや営利企業にできることではありません。必要なのは廃炉公社です。「私たちの世代の過ちをただし未来の人々を放射能被曝から守る公社」と言った方が良いかも知れませんが、それを社会的共通資本として設立し、運営していくことが私たちが進むべき道です。

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1 コメント

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Unknown (梅谷)
2017-04-30 21:21:04
記事の配信ありがとうございます。
本記事(1374)に誤記入と思われる部分がありましたので、コメントを投稿させていただきました。
・「2017年3月第3四半期(10〜12月)決算」
 →「2016年度第3四半期(10〜12月)決算」
・「廃炉作業を進めなくていかなくてはなりません。」
 →「廃炉作業を進めていかなくてはなりません。」「廃炉作業を進めなくてはなりません。」


「明日に向けて(1375)この世は絶望するには面白すぎる!(くらしとせいじカフェ用原稿)」にも、
・「人権が落とし込められる」
 →「人権がおとしめられる」「人権が貶められる」
・「人権を落とし込める」
 →「人権をおとしめる」「人権を貶める」
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