守田です(20221230 22:00)
● まずは動画をご覧下さい
● 渡辺千恵子さん、谷口すみてるさんらに学んで
今回の報告、8月9日前後の長崎訪問の話から始めました。
9日の平和式典の田上市長の平和宣言冒頭で、渡辺千恵子さんのことが紹介されました。
その渡辺さんたちが立ち上げた「原爆乙女の会」に参加されたのが、谷口すみてるさん。
16歳の時に郵便配達中に被爆され、背中一面と腕を大やけどされた方です。
渡辺さんや谷口さんのこの立ち上がりに、長崎の被爆者運動の原点があります。
まずはその点に触れていただきたいです。
● 高橋眞司さんから77シンポについて聞いて
続いて10月末の訪問で『長崎にあって哲学する』の著者、高橋眞司さんの講演に参加したことをお話しました。
講演のメインは1977年「NGO被爆問題シンポジウム」のこと。
日本被団協の国連への訴えから立ち上がった企画で、9000人の被爆者からの聞き取り調査が行われました。
初めての被爆者の生活実態に即した被害実態調査でした。
被爆によってどのような生活の不利が生じているかが聴き取られました。そのポイントを紹介しました。
この調査に関わり、後に「長崎『原爆問題』研究普及協議会」会長になられた秋月辰一郎医師のことにも触れました。
● 平和公園の碑、そして歴代市長の平和宣言を取り上げました
続いて平和公園内にあるたくさんの碑から、3つ紹介しました。最初に「核廃絶人類不戦の碑」に触れました。
続いて、「追悼 長崎原爆朝鮮人犠牲者」碑、「長崎青年乙女の会」の碑、「ふりそでの少女像」を紹介しました。
長崎では日本人だけでなく朝鮮人を始め多くの国の方が被爆していて、その全てが追悼されています。
歴代長崎市長の平和宣言についても触れました。そこでも何度も日本のアジア侵略を問い、全ての戦争犠牲者を追悼しています。
とくに本島等市長(1979~1994)は日本のアジア侵略のことを深く掘り下げました。また彼は議会の答弁で天皇の戦争責任にも言及しています。
本島氏はその後、アジアの犠牲を考えると「原爆はやむをえなかった」とまで述べられましたが、僕は「それは言い過ぎ」と述べました。しかし氏の告発の意義はもっと掘り下げねばと思います。今後の課題です。
● 支配層と民衆を分けて考えることの大切さを述べました
最後に戦争の問題を考えるときに、国(政府)と民衆を分けて考えることが大切!と強調しました。
戦争を始めるのは上級国民。それに「下々の民」が煽られて戦争が進みますが、現場ではその民と民が殺し合いをさせられます。
殺されるのも悲惨なことですが、殺すのも悲惨なこと。多くの兵士が戦場で心身がボロボロになってしまいます。
こうした戦争の悲惨さを訴えてきたのが、長崎の、広島の経験、被爆者の思いだと僕は思うのです。その点で田上さんが、この間、平和宣言で被爆者の言葉の引用を続けていることに共感しています。
最後に次は来年1月13~16日に長崎を再訪することを述べました。高橋眞司さんの3回目の講演に学び、被爆二世の方たちと交流し、永井隆氏の遺構、浦上天主堂などに触れてきます。
「同行大歓迎!カンパでもお支え下さい!」と締めくくりました。みなさまもお力添え下さい!
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なお写真はすべて守田講演スライドより
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