富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

MJ死す・・・

2009年06月26日 | Weblog
マイケルジャクソンは、泣く子も黙る「マイケルジャクソン」で
たとえば、「まいけるじゃくそん」と、キーボードたたけば
例外なく「マイケルジャクソン」と変換され
バスケが好きな人をのぞけば、「MJ」は「マイケルジャクソン」を意味します

※MSは「マイクロソフト」って事になるようですが
個人的な話ですけども、「マイケル・サリバン」を指すのがボクの事情です※

ところが、このエンターティメントの一世を風靡した
「マイケルジャクソン」の突然の死を報道するNHKのアナウンスに
ものごっつい違和感を覚えたのはボクだけではないはずで
この一大ポップスターの死を告げるアナウンサーは
しきりにNHK内の内規というか下らんマニュアルを厳守して
「ジャクソンさんが・・・」と何度も繰り返す

マイケル・ジャクソンという言葉そのものが
時代を象徴するという認識がない・・・少なくとも
彼の死は、「ジャクソン家」の誰かが死んだという程度のニュースではなくて
バブルに明け暮れて、何かを作り出すことのなかった「80年代」という
ただ「ポップ」なだけの時代のシンボルである
「マイケルジャクソン」の死は同時にその時代そのものの終わりを
意味して思える。
それにもかかわらず、「ジャクソンさんが・・・どうしたこうした」
と繰り返すNHKという放送局の紋切り型の官製放送の「質」を疑ってしまった。

MJそのものをボク自身は、特に好んで聞いたり見たりしなかった。
ボクが信奉するBeatlesやBobDylanのように
精神や文化を創り出す核になる「精神性」を持ち合わせなかったし
存在そのものはあくまでもエンターティメントでしかなかったとも言えるかも知れない
けれどもダンスやマスクで、この地球(ホシ)にすむ
何十億のうちの何億の人間の目を瞬間振り向かせる不思議な
魅力を持ち合わせてはいたのだ

マイケルの死に直面して、程度の低い話を聞かないでもない、
根拠もない「白人にあこがれて」皮膚を漂白したなどと・・・
人としてあるまじき人種差別めいた話を持ち出すのは
考えとしてあまりにも、はしたないし、情けない
そもそも人間をさして、黒人とか我々黄色人種などという区別こそ
はなはだ低次元の論理でしかない・・・彼の見せた「すべて」をみるにつけ
彼がそんな程度のエンターティメントであるのなら
これだけの人を振り向かせることは出来るはずがない。
「コクジン」などという侮蔑が、ナンの意味も持たないことを
心底身にしみるべきだし
この期に及んで「彼は黒人として・・・」などと
わかったような・・けど結局見下げた評論ごっこは
それこそ、げすな言葉と恥じなければならない。
彼が魅せた事全部が、彼そのもののエンターティメントであって
肌の色などナンの関係もない話なのだ。

一方で彼の理解しがたい美学は、彼だけが持ち得た美学だったが
突然その死を告げられて思うのは、理解は及ばないけれど
それはまるで「甘い毒」のようにすべてが魅力にあふれて
好き嫌いや趣味の問題を通り越して
善悪や差別やそういう人間の持つ矛盾を歌と踊りに表現して
見事だったと感じる・・・・・


最新の画像もっと見る

コメントを投稿