富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

ナンで、「そのまんま」ごときに振り回されてるんやろ

2009年06月27日 | Weblog



MJが死亡した話は、ない知恵集めて、理念も志のかけらさえ見えもしない
「解散」話よりも、ずっと意味深いニュースである

やたらめったら、「地方分権」を振りかざす目立ちたがりの
テレビ知事たちに、振り回されて情けない2世議員ばかりの与党と
突然のいっかどの出馬話に、右往左往する3世議員の野党党首
考えてみれば、ちょっと前に「2世議員」の世襲がどうたらこうたら
言い合ってた話が、今頃はたち消えている。

あの手の話はどう見ても滑稽で、論理がなってなかった
要するに、今現在の4割をしめるという現職の2世議員にこそ問題があるという話
であるのに、今度の選挙に立候補してくる初顔にだけ限定した問題にすり替えた
ええ加減さと東京都知事の衣を借りてこそ存在する息子議員など
「選挙区」が違うと言うだけで2世議員でないと平然と・・・ぬけぬけとテレビで
言う様は、論外であった


んなもんやから、テレビに取り上げられてええ気分の
支持率の高い知事たちが調子を張り上げる声に右往左往して
国政が振り回されている・・・カエル顔のナカガワなにがしなどは
その典型だ

けれども、実際はだからといって地方自治を唱える知事たちに
この国の何を任せていいのだろう。
宮崎の名産のセールスは適当に上手に見えるかも知れないけど
あれは、テレビに出ずっぱりの知名度のせいやし、マニフェストも公約も
付け焼き刃のそしりを免れない・・・彼の当選は
前職の失態につけ込んでなされたことを、事実として認めないと
今はいっかどそうに言うけれど、
結局宮崎の県政のシステムが彼の手によって
どこまで変わったというのだろうか、怪しい話でもある。
テレビに取り上げられているのは、週に3日しか地元にいない
彼の知事室だけで、そんだけ留守にしていても不足なく動いているシステムは
元のまま「そのまんま」の役人主導でないと、理屈に合わない気もする。
「大阪」にしろ財政を切り詰めた予算の話しか耳にしない・・・
ひとりで変えられるほど、柔軟でないのが「官僚国家」のゆえんである。
やっぱり、支えるに足る考えと哲学
ちゃんとしたブレーンと目標を共有する大きなグループと
理念が揺るがない活動を通して、みせて欲しい

彼らは、週末はほとんどテレビに出ずっぱりで、テレビを利用し
テレビという虚像をうつす媒体に利用もされて思えてしまう。
僕らが求めているものは「雰囲気」ではない、変わっていく事実である。
片手間に、見た目の知名度に期待している余裕もない。
そういえば、彼らがタレント業だけをやってるときに
いつ、「弁護士」業をしているのかと、不思議に思った事を思い出す。
同じように、地方自治で、どんだけ暮らしの足下を変えているのだろうか・・・

合間を見つけて、かいま見せる「政治論」は
レッドカーペット的な、瞬間芸的「ええとこ撮り政治」報道にしか見えない
任期を全うもしない実績のなさから感じるものは、結局はかれらが中央と同じで
県政・府政の実務は「官僚」によりかかった仕事しかできていなくて
地元に金をぶんどってこいという声に後押しされた
地方分権などとうそぶいても、財政配分だけの論理しか見えないでいる
それに彼らが「行政」の長という仕事を
放り出して、立法にまわろうとするのは、あのアベやらフクダに
どれほど違うというのだろうか・・・・・
「地方」とばかり念じていて、彼らに実感できているのは
おらが地元の窮状だけではないのだろうか・・・
立法府への解釈は、2世議員並に「ちいさすぎ」はしないだろうか
国政はもっと外交などの課題を理解し、国の未来に視野が開けていないといけない。

どっちにしても選択肢ではないし、テレビにうつるもんが決して
純粋で正しいものだと信じられない
せめて、「総裁候補」を真顔で論じるのなら、
政治として何をやり遂げたかを語るべきで、そうでもないのにマスコミは浅はかに
それを報じ、結果その程度の(ちょっとだけ大学に通い直して得た論理の)
知事ぶったもののレッドカーペット的コメントを、
政治の真ん中のニュースにして真顔に論じる羽目に陥ってしまった
与党などという輩も相手するはずの野党も、軽々しいし
地方にいながら、ロケに来ないのならせっせと出向いて
テレビのカメラ目線ばかり気にして、テレビにばかりものを言う
声高な地方分権の暗唱といつまでも保っておきたい知名度
実は、それもそれと・・・思えて仕方がない。

「解散」というのなら
いっそこの国のシステムのなにもかもをチャラにして解散すべきだと思うのは・・・

絶望的に過ぎるのだろうか・・・