富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

福島原発事故収束宣言に思う

2011年12月18日 | 震災

そもそも、この人類的な危機にありながら、いまだに「東京電力」などいうきわめて小さな1企業に
事態の対処のすべてを任せきっているこの国の政府も政府機関もあまりに、知恵がなく何よりも心許ない・・・
あれほどめちゃくちゃに壊れきった原発の「跡形」を、いまだに原子力発電所呼ばわりして、
稼働している原発と同じ扱いにして、今後大きな事故に至る危険性は排除されたという・・・・
そんなことを丸呑みにできるはずがない・・・なぜなら政府自身が、稼働中の浜岡原発をもっとも危険性が高いと
停止させた事実と今回の事故収束宣言は、我々が信じたいと思う安全という意味から明らかに矛盾しているからだ。
もう大きな当面の危機は去ったというのなら、なぜこの時期に健全な状態の原発を止めたのか、
廃炉まで数十年かかるというこれからの時間に、危険は去った訳ではなく第二第三の危機を恐れるからではないのか・・・
とても人間が近づけない状態で、原子炉の現状が確認できるわけでもない。
誰も溶け落ちた核物質の現状を知らない。メルトスルーしているのならとっくに建屋のコンクリートなど突き抜けて
地下に至ってやがて地球規模の汚染に至るのではないか・・・それこそがチャイナシンドロームのもっとも恐ろしいシナリオである。
本当に何が起こって、どうなっているかもわからずにいながら・・・
それでなお、「一区切りがついた」などといえることが受け入れられない。

「冷温停止」といっているのは、原子炉に取り付けられた温度計の計測値に過ぎない。
そもそも福島の原子炉はとっくに壊れて、健全な原子炉ではない・・・核燃料が溶け落ち、格納容器も
原子炉のカバーをできているわけではない。通常の毀損のない原子炉と同じ方法で求めた計測値を公表するのは
事故を過小化したい東京電力の企業の思惑にすぎず、彼らはいつも無表情なスポークスマンを通じて
順調な工程表の成果と程度の軽さばかりをアピールする。
そのたびに悪いことしてないのに、生まれた場所を追い立てられ 困窮して未来を失ったまま
途方にくれる住民への思いと
本当のことを知らされない放射能の「被曝国」のこの国に住むものの気持ちを逆なでする。

通常の原子炉の廃炉にさえ、30年かかるという。
福島の原発の廃炉に100年もかかるとすれば 誰がその責任を担うのだろう。
いっかど殊勝な顔で、一生懸命やってるポーズの現東京電力の幹部たちは
本当の意味での「収束」した原子炉をみることなしに、この世にはいないのである。さらに言えば
東京電力という会社自体の存続など想像もできない。
これは、もうとっくに国家の責任として、取り組むべき負のテーマである。
けれども一年の政策にも一貫性のない政治からは、そうした覚悟もビジョンも示されているわけではない。

今毎日死の恐怖と戦いながら、収束の可能性のために日夜労苦を惜しまない作業員の途方もない仕事を
次世代またさらに次世代に引き継がれるとすれば、 誰にそれを託せるというのだろうか
放射能汚染を恐れて避難する若い世代がそんなリスクを担えると思っているのだろうか・・・
「おまえがそれをやれ」といえる親はいないだろうし、
とても今の世代が次世代にそんな危険な仕事をすすめたり、後押しできるはずもない。
誰がそれを担っていくのか・・・小さな1企業の東京電力にそんな気概どころか
ビジョンがあるはずもなく、責任感のかけらもないだろう。まさか作業員の子孫に継がせる約束が結べる訳でもない。
けれどもなんとしても、誰かがそれをやらなければならない。

だからこそ、深刻だ。
何も明らかにせず、何もこれからの重たい未来に対するビジョンもないままに
たとえ、政治家のパフォーマンスにしろ、いつの間にか東電の側にたって東電の側の弁明に追われ
発電所でぬけぬけと「ありがとう」などと言うような政治家が発する「収束宣言」などにどれほど意味があるというのだろうか

それよりも海洋汚染の実態、放射能汚染の事実
一説にヒロシマに落とされた原爆の数十倍ともいわれ、あるいはチェルノブイリ規模にして原爆数百発といわれる
放射能量に等しいのか超えてしまっているのか・・・
空恐ろしい事実をどこまで、隠そうとするのだろうか・・・・
気安めに過ぎないような一過程の話など、本当は気が安まることなどない。
我々が知りたいのは 我々が背負った重たい事実とこれからの重い未来への対応と心がけなのだ。


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